「本当は」 「――――…アスランが?」 告げられた内容に少し驚いたらしいピオニーに、傍にいた兵は居心地悪そうに頷いた。 定期視察の時期がやってきて、この儀礼的で退屈ではあるが、宮殿から出られる数少ない行事に少しご機嫌だったピオニーは、思わぬ事態に、顎に手をやり思案した。 ジェイドより少し前にマルクト軍へ入ってきた彼、アスラン・フリングスは、なかなかに話しやすく印象の良い青年で、護衛を連れて行か なければならない行事などでは、必ず指名していた。 それというのも、何かと奔放で時折突拍子もない事をしようとするピオニーが相手だと、他の頭の固い軍人では、怒るか固まるかのどちらか になってしまい、進んで辞退する者が多いからというのと、あらゆる不測の事態に対応できるだけの頭の回転の早さ、柔軟さ、機転などが要求される為、並の軍人では役不足だからだった。 その点彼ならば、剣の腕も立つし咄嗟の判断力にも優れ、また話し相手としても退屈しない、護衛として申し分ない人物で、ピオニーは最近は彼ばかりを護衛に任じて外へ出ていたのだが――――…どうやら、今回彼は都合がつかなくなってしまったようだ。 しかし、それも仕方のない事だろう。 つい先日、彼は中佐になってしまったのだから、仕事や引継ぎ等、予定が詰まっているに違いないのだ。 「さて…じゃあ、誰にしたらいいか」 先ほどの兵も退室し、誰もいない部屋で一人呟く。 頭も切れて力もある軍人、というと、本当に限られてくる。 ノルドハイム、ゼーゼマンなどは確かにこの部類に入るのだが、彼らは階級的にも護衛などをしている暇もなければ、気軽に呼びつけられる立場でもない。 となれば、少佐以下の階級で、この条件に見合う人物を護衛に据えなければならない―――――。 ―――――…ピオニーの考えうる限り、この条件下で最も適任な人物は、思案するフリをしながらも、実は既にはじき出されていた。 ジェイド・カーティス。 彼程、この条件にぴったりと当てはまる者はいないだろう。 現在大尉であり、槍の腕にも定評がある彼。 何より、マルクトでも随一…いや、このオールドランドでも一、二を争う優秀な頭脳を誇る彼ならば、咄嗟の状況判断能力にも長けているので、文句なしの人材だ。 だが、彼と長時間行動を共にする事が、ピオニーが思案してしまう点だったのだ。 理由は分からないが、彼はケテルブルクで別れたあの時とは、変わってしまっていた。 まるでピオニーと親友であった事など忘れてしまったかのように…いや、まるで最初から関係などなかったかのように他人行儀に接する彼は、普段報告や所用でやってくる兵士以上に、扱いに困り、接していると居心地の落ち着かない相手になっている。 そんなジェイドと―――…共に視察ができるのか。 勿論いくら考えても答えは出ず、ましてやジェイド以上の人物も見当たらず。 結局、ピオニーはジェイドを護衛につけて出かける事に決め、その旨を伝えるべく兵を呼びつけた。 ――――――その日出かけたのは、首都グランコクマに程近い、小さな古い街だった。 最終防衛ラインに近い割に、攻められた時に防衛ができる程の人員はおらず、かといって要塞のような堅固さもない。 それは先帝の頃から言われ続けていた事だったのだが、予算の関係や国境により近い他の要所の強化を優先させた為、長くそのままになって いた。 キムラスカとの仲が戦争勃発間近、と軍人すら囁くようになりつつある現在、最悪の事態も想定して、この街にも何かしら防衛策を講じなけ ればならないだろうと判断し、こうして今回ピオニー自らがやって来たのだが…。 「――――…できそうか?」 長い間風雨にさらされ、老朽化の進んでいる街を囲む壁を睨みながら、ピオニーは傍らの護衛に語りかけた。 問われた護衛――…ジェイドは、くせのない砂色の髪と眼鏡とで表情を微妙に隠しながら、澱みない口調でそれに応じる。 「不可能…ではありません。確かに現在財政は余裕があるとはいえませんが、少々引っかかる部分もありますので、そこを突付けばある 程度は都合がつくでしょう――――…不足分は、無駄を省けば捻出できます」 「引っかかる…?」 「軍上層部の武器購入予算の金額が、少々高めになっています。恐らくは個人的な交際費が上乗せされているのでしょう」 ここに上層部の人間がいたら顔色を変えそうなことを、ジェイドはしれっとした顔で報告した。 しかし確かに、それはピオニー自身も気付いていて、いつ会議で切り出そうかと思案していた案件ではあったので、いいタイミングだとも思った。 アスランも提案できないほど愚鈍な人物ではないが、こうもさらりと告げる事はできない。 ここまではっきりと言いづらい事も報告できてしまう潔さと度胸があるのは、恐らくジェイドくらいなものなのだろう。 こういう人物こそ、軍ではなく財務部に一人欲しいものだと、素直に優秀な臣下だと感心した。 まさか、壁の補強と軍の人員をどう配分するか、簡単な意見だけを聞こうと尋ねただけでここまでの意見が返ってくるとは思わな くて、今までどうして彼を起用しなかったのか、とピオニーは後悔していた。 関係が冷たいままだから、大した意見や会話は望めないと思っていたのに、案外仕事の話には積極的に応じてくれるジェイド。 それも、真っ直ぐで偽りのない真実を、それが例え良くない事でも良い事であっても、オブラートに包むことなく進言する彼は、遠まわし に言いたい事を伝えてくる他の臣下などよりも、よっぽど好ましい臣下だと思う。 親友という枠ではなくなってしまったけれど、代わりに誰よりも優秀な臣下であろうとしているのだろうか。 理由はなんにせよ、宮殿での隠された感情や意思の応酬に疲れていたピオニーにとっては嬉しいことだった。 「お前の意見、十分に参考になった。さて――――…あとは本部にでも顔を出して、今日は泊まっていくとするか」 本当の所、日が暮れる前にグランコクマへと戻り執務の続きをしなければならなかったのだが、予想以上の街の状態に、あちらこちらと 見てまわっていたら、すっかり空は暗くなってしまっていた。 こんな闇の中を帰路に着けば、それこそ怒られるだろうし、一泊して戻ると連絡しておけば問題ないだろうと判断した為の発言だった。 「……はい」 「―――――…ジェイド?」 澱みなく返ってくると思っていた彼の返事は、しかし予想外にも数拍遅れて聞こえてきて、思わずピオニーは左後ろを歩くジェイドを見やる。 だが彼は無表情のまますたすたと歩くだけで、こちらに視線を合わせようともしない。 仕事の話が終われば、こんなにも冷淡なのだ―――――…その現実を目の当たりにしてしまい、今日の残りをどう過ごしたらよいものか、 降って沸いた居心地の悪い夜を思うと溜息が出そうだった。 ■ ■ 建物は観光都市のような体裁をもちながらも、人の数は少なく、緑豊かで田舎らしいのどかな雰囲気 をもつこの街は、ピオニーが幼少期を、ジェイドが生まれてからずっと住んでいた雪の街ケテルブルクとは違った趣があり、好ましいと思う。 皇帝以前にお客様、とでもいう風に、物怖じせず人懐こい笑顔をみせる宿屋の主人と他愛のない会話をしながら、ピオニーは珍しく幼い頃 の事を思い出していた。 ピオニーはグランコクマに戻ってからというもの、よからぬことを企む ケテルブルクで毎日抜け出して遊んでいた日々が嘘みたいに、彼は神経を張り詰め、別人のように立ち回り、この美しいが暗雲の立ち込める 宮殿で暮らしてきた。 安らぐ日など、皆無に等しく。 民のことを一番に考えていたのは本当だが、しかし毎日をやり過ごすのに必死で、会話を楽しんだり、生活そのものを楽しむ余裕などなかった。 そもそも、牢獄にも等しい宮殿での生活を楽しむなど、そうそうできる筈もないのだが。 そんな生活を何年も続けていたものだから、あの楽しかったケテルブルクでの日々が、色褪せて霞んでいたという事実に今更気が付き、少し焦った。 あの屋敷を飛び出して、ネビリムの私塾へと入り込んで授業を受けた事や、そんなピオニーを邪険にもせず、勉強を見てくれた彼女の笑顔なども、それまでおぼろげになってしまっていた。 しかし、今でも忘れていない事もいくつもあった。 忘れようもない、その塾で出会ったジェイドやサフィールとの初対面のことや、遊んだりした日々。 皆から遠巻きにされているジェイドのことがどうしても気になって、迷惑も顧みず、よく彼の家に邪魔をしに行ったものだった。 にこりとも笑わず、最初は全くピオニーを寄せ付けなかった氷のような天才少年は、しかしピオニーにとって唯一無二の親友だった。 今は違うといわれても、過去は変わらない。 親友である事を忘れられたかのように振舞われるのは今でも本当に辛かったが、変わる事のない過去があるだけ、まだマシだった。 ――――――親友として心を許してくれたと、そう思っていた。 ケテルブルクで別れた時の表情で、「皇位継承権を持つ少年」としてではなく「友人」として、自分との別れを惜しんでくれたのだと、思っていた。 王族でなくとも自分を認めてくれる存在がいる―――――…そう思うだけで、宮殿に戻った時には後ろ盾など皆無だったピオニーは、そこから今の位置に辿り着くまでの力を奮い起こせた。 落ち着けば、いつかジェイドを訪ねるのもいいかもしれない、そう思っていた矢先に目の前に現れた本人の態度は、それだけにピオニーにとってショックだったのだ。 「殿下。明日の出発に備えて、そろそろお休みになってはいかがですか」 かつて他愛のない話をしたその口から零れるのは、事務的な言葉ばかり。 「ああ―――…そう、だな」 そして、己の口から零れるのも、抑揚のない王族としての言葉ばかり。 そうじゃない、俺が望んでいるのはこんな会話じゃないんだ。 ジェイドばかりでなく、それを打破する事ができない自分自身にも苛立ちが募る。 昔のように、彼の壁を打ち破ってしまうだけの気概は、大人になったピオニーには失われてしまった。 幼少の頃はかすかな認識しかなかった、立場と身分による線引き、それに彼の窺い知れぬ本心に対する恐怖―――――…。 本当の気持ちが分からないからこそ、踏み出せない。 もしそれを問い質してしまえば、この関係すら崩れ落ちてしまいそうで…怖いのだ。 「さあ、こちらへ」 短くそう言って先導する群青の軍服姿を追いながら、ピオニーは無意識のうちに酷く苦しげな顔をしていた。 next→[素直になりたい] +反省+ |