「辛くなんかない」 いつも笑っている幼馴染の顔は、時折酷く己を苛立たせる。 大人の余裕を思わせる悠然とした笑みは、確かに年相応かそれ以上の印象を与え、彼の渡る世界―――姦計と虚構の入り混じる宮殿においては、大きな武器となりえるのだろう。 事実、あれの微笑みは、それ以上踏み込ませない、そんな強さを持っている。 ――――殿下。 そう言って、ピオニーの方を向いている彼の顔すら、嘘のように見えてしまう。 作られた微笑、作られた表情。 それは、感情を表出しようとしなかった幼少期以上に、薄気味悪く映る。 全く微笑む事のなかった彼が、大人になった今ではころころと笑い続ける。 それが演技だと、そう理解はしていても、やはり割り切れない所はあるのだ。 彼の本心からの表情を見たのは、いつだっただろう。 ピオニーは、いつまでも進まない書類の束に肘をつきながら、ふと思索をめぐらせる。 少なくとも、最近そんな顔は見ていなかった。 覚えているのは―――――… そう、父が亡くなり、ピオニーが次期継承者としてグランコクマへ戻る事が決定した、あの日が最後だ。 寂しくなる、と珍しく彼が自分の心の内を明かして寂しげな顔をしてくれたあの時は、別れなければならないのかという悲しみ以上に、そう言ってくれた事が、哀しみの表情を見せてくれた事が嬉しくて。 己だけの一方通行ではなかったのだ、とほっとしたものだった。 「――――…殿下。」 耳慣れた声―――…しかし、確かに年輪を経た大人の男の声が、ピオニーの耳に届く。 低く落ち着いたその声音は、かつて雪国で共に過ごした親友のものだった。 その声で、今が昼間で、つまらない仕事の最中で、執務室にジェイドと二人だけなのだという現実を思い出した。 「………殿下、物思いにふけるのは結構ですが、仕事をして貰わねば国政が滞ってしまいますよ」 感情を殺した、抑揚のない声。 まさか、根っからの学者肌で、成人後はベルケンドにでも行ったのかと思っていた天才が、マルクト軍人のエリート、カーティス家の養子として軍に入っているとは思わなくて、再会した時は立場も忘れて驚いたものだった。 別れた時よりは随分成長したが、しかし雪国の人間らしい白い肌、手入れの行き届いた艶やかな髪は相変わらず。 ついでに出会った時そのままの無愛想で滅多に変わらない表情も、そのままだった。 「殿下?」 「ああ、すまない。」 ジェイド、どうしてこんな所に? そう、驚いた感情のままに尋ねた。 彼が知っているとは思えないが、ピオニーは禍つ星の元に生まれた、最後の皇帝となる存在。 純粋に会えなくなるという寂しさの中、ケテルブルクで別れを告げたのだが、いよいよ皇位を継ぐという事が現実じみてきたと思うと、ああ、この地位について何年で死ぬのだろう、という諦念と僅かな恐怖があった。 二度と、会えないと――――…そうも、思った。 なのに、まさか、雪を背景にした姿しか思い浮かばなかった彼が、マルクト軍の青い軍服を纏い、滝を背景に、己に向かって敬礼をしてみせたのだから、驚かない筈がなかったのだ。 「―――目を通すから、少しそこで待っててくれ」 声をかければ、はい、という短い返事。 そこには、幼馴染だとか、親友だとか、そんな甘やかな空気は流れない。 最初に尋ねた時と変わらない空気だった。 まるで、他人。 初めて会ったか、あるいは少し言葉を交わした事がある、という程度の慣れない間柄のような距離感が出来ていた。 どうして、と尋ねた時も、ただ『マルクトの国民として、皇帝陛下に尽力したく志願いたしました』と、偽りの笑顔でかわされた。 うわべだけの、乾いた微笑み。 親友としてではなく、一介の軍人として、次期皇帝という地位のもと国政を担う王族、「ピオニー殿下」に向ける愛想笑い。 それがひどくピオニーを苛立たせる。 そう、時折ではないのだ。 ほとんど全ての場合において、彼の微笑みは苛立ちの材料となる。 自分に対して、何故他人のような微笑を向けるのか。 嫌な仕事を押し付けられようとしているのに、何故そこまで平気そうな微笑を浮かべていられるのか。 表面ばかりで笑っている姿を見るだけで、ピオニーは怒りにも似た苛立ちを覚える。 だが、それを表に出せはしないのだ。 ピオニーは次期皇帝。 そんな彼自らが感情を露にして取り乱してはいけないし、私的な事情で場を乱してもいけない。 例え大切な誰かが死んだとしても、平静を保たなければいけない。 辛いことも、嬉しいことも、何もかも押し殺して生きていくのが皇帝―――王族というものだ。 だから――――…昔の親友との距離が離れてしまったとしても、それも些細なものとして、平気な顔をしていかなければならない。 辛くは、ない。 「――――これで構わないだろう。ジェイド、すまないがこれをアスランの所へ」 「はい」 辛くは――――… next→「偽りの仮面」 +反省+ |