[無題E] おまけ追加(4/22)。 ほう…… ―――――という感嘆の溜息は、一体何処から漏れたものだろう。 それすらも分からない程に、周囲はどよめいていた。 会談の場であるバチカル城の一室へと案内されたマルクト皇帝の一行が、颯爽と中へと入ったその時、場に流れていた空気はがらりと変わった。 マルクト皇帝としての正装なのだろう、皇帝の、青を基調とした衣装には金の糸で細やかな刺繍が施されていて、その様は彼自身の整った顔立ちも手伝ってか、とても気品がある。 そして、その濃い色合いを和らげるかのように諸所にあしらわれた白のワンポイント―――ベルトや飾り布も、絶妙に彼という人物に合っていた。 そんな、若年ながらに彼自身を皇帝たらしめる堂々とした空気を纏って現れた隣国の代表の姿に、待ち構えていたキムラスカの要人達は、揃って息を飲む。 だが、彼のその傍らに何でもない風に付き従う美人の姿も、彼らの興味と感嘆を誘っていた。 何処か淑女らしからぬ隙のない空気を纏っているが、しずしずと歩く、何処までも典雅な動作。 柔らかそうなハニーブロンドを綺麗に結い上げ、皇帝に合わせているのだろう―――群青のドレープがかった緩やかなデザインのドレスに、 触ったら溶けてしまいそうな新雪色の肌がとてもよく映えていた。 小作りで整ったその顔には、鳩の血の名を冠した宝石のように印象深い紅。 にこりとも笑わないその顔は、それこそ寒気がするくらいに美しくて―――――皇帝の威光に満ち満ちた空気と相俟って、まるで絵物語 の登場人物のようであった。 「―――――――よくぞ参られた。ピオニー殿」 席に着いた、かたんという僅かな音で我に返ったかのように、キムラスカのインゴベルト王が咳払いと共に口を開く。 だが視線と興味はすっかりとジェイドの方へと向いてしまっているようで、ピオニーは王に答える風を装いながら苦笑を浮かべた。 本人があの性格だし、研究だの軍務だので装いに関して全く無頓着だった為に、一瞬目が向かうものの、そうそう注目の的になることのなかったこの幼馴染。 だが、妹のネフリー同様―――というより、体格面で劣る部分があるにも関わらず、その差すら埋めて、実は彼女は妹以上の美人なのだ。 柳のように細くしなやかな腰や背中。 現在妊娠中であるせいか、少しだけふくらみを増している胸。 幼い頃絵本で読んだ雪の女王だとかいうのが実際にいたらこんな感じだろうと思えるような、白い肌。 更には自分が生地を選んで仕立てさせた群青の衣装は、彼女の白い肌を更に際立たせ、自分のものなのだという優越感にも浸れる。 今回駄々をこねてジェイドに付いてきてもらったのは、こうして先に結婚し愛らしい娘を設けていたインゴベルトに自慢する為だったのだ。 即位前から付き合いのある彼もその辺りは理解しているらしく、生暖かい眼差しと共にピオニーを見ている。 しかしさすがにこの場でそういった話をするつもりはないようで、席に着いたのを確認すると予定通りに会談を開始した。 ――――――――会談自体は差し迫った話題がある訳でもなかった為、半分程は談笑のような形で無事に終了した。 そうして、次の予定行事に移ろうと王宮内が準備で慌しくなっている中、客室の一つでは押し問答がかれこれ1時間程続いていた。 「だから…これも予定に入ってるんだって!」 「私が同行を承諾したのは会談のみです。何故そんなものにまで出なければならないのですか?」 「それは…ッ、だがな、これもキムラスカ訪問の予定の一環だ。お前だって分かっている筈だろう」 「…………………」 別に、晩餐会が――――晩餐会を兼ねたダンスパーティー自体が嫌という訳ではなかった。 ただ、皇帝の傍らにある以上「一曲くらいは」と求められると思うと、少しどころではなくとてつもなく嫌だったのだ。 実はジェイドは破滅的にリズム感覚がない。 頭脳と顔ばかりは神とやらは中々に良いものを与えてくれたようなのだが、どうしても、リズム感覚―――殊に音楽の才や踊りの才につい ては、そこいらの幼児よりも劣っている。 そんな事、ピオニーだって分かっている筈なのに――――――!! 信じられないといわんばかりの視線で、ジェイドは改めてピオニーを睨みつけた。 だが一体何のつもりなのか、既に傍仕えの者にパーティ用の装飾具の準備を呼びかけている始末。 まだ、こちらは出るとも言っていないのに、だ。 「陛下!」 「―――――たぶん、お前は囲まれて踊るどころじゃないと思うし、大丈夫だって」 十分予測がついていたが、改めてそれ――――キムラスカ側の好奇交じりの視線と言葉とがやってくる事を指摘され、思わずジェイドは言葉に詰まる。 それを見て苦笑を浮かべると、大丈夫だ、とピオニーは細いその肩をぽん、と叩いた。 話している間にすっかりと傍仕えが準備を終えてしまっていては、もうこれは半分以上強制のようなもので。 そもそも皇帝に逆らえる筈もなかったのだが―――――できることならこれだけは自分のわがままを聞いて欲しいと思っていたジェイド としては、とうとう逃げ場を失った、そんな気さえした。 渋々、とばかりに仏頂面(といっても表面的にはいつもの無表情だ)でジェイドが会場へと足を踏み入れると、一気に人の視線が集中した。 傍らのピオニーから威圧感でも感じているのだろうか、その誰もが、すぐに寄って来る事はなかった。 これ幸いとばかりに、ジェイドは、いつもは護衛の任務の為に見る余裕のないキムラスカ城の装飾に目を向ける。 「……………」 重厚な雰囲気であるのは、さすがに城なのだからマルクトもキムラスカも変わらないのだが―――――… やはり、歴史の長いキムラスカの城は、どこか明るく開放的な雰囲気のあるマルクトの宮殿と違って、荘厳さが違うように思える。 確かに、今最高位にある者の人柄というのも大きく影響しているのだろうとは思うが。 「バチカル城は初めてですの?」 「――――――はい?」 唐突に、下の方から子供特有の高い声―――しかし妙に落ち着いてしっかりとした声が聞こえてきた。 何事かと視線を下のほうに移動させてみると、なんとまぁ、年端もいかない少女が、年齢に不釣合いな上品な笑みを浮かべてみているではないか。 何と返したら良いのか分からず、ジェイドはとりあえずお仕着せの笑みを浮かべた。 「…いいえ、今までも来ていたのですが―――こうしてゆっくりと見るのは初めてだというだけですよ」 「まぁ、そうでしたの。」 「…………それよりも、あなたのような可憐なお嬢さんがこんな所にお一人なのか。お聞きしてもよろしいですか?」 くせ毛なのだろう、ふわふわと色々な方向へと揺れる髪を少し押さえるような仕草を見せながら、少女はやはりどこぞの王侯貴族のような 仕草で、「どうぞ」と傍らのテーブルにあったグラスをジェイドへと差し出す。 それを受け取りながら返答を待っていると、彼女はくすり、と小さく笑った。 「まるで殿方のような返答をなさいますのね?」 「これは失礼しました。性分なものですから」 今の姿には似つかわしくない、そう分かってはいたのだが…どうにも、これが普段の行動なのだから、変えられそうにない。 殆ど無意識の行動に自分で苦笑しながらそう誤魔化すと、それで納得してくれたのであろう、少女はたおやかに一つ礼をすると、優雅に微笑んだ。 「わたくし、ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアと申しますの。今、父がピオニー陛下と歓談中なものですから、そのパートナー たるあなたのお話し相手として、こちらへ参りました」 渡されたグラスからほのかに香ってくる独特の香りに、うっかり流されそうになってしまったが、ジェイドは瞬時にその名の意味するところを悟った。 と同時に、いつの間にか離れていたピオニーの姿を確認し、自分の迂闊さ、それにピオニーの気配の消し方が上手すぎる事実に閉口する。 キムラスカ・ランバルディアの名を持つ少女―――それはつまり、このキムラスカ王国の王女であることに他ならない。 その割にはここの王族特有の焔色の髪ではなかったり、瞳の色も違っていたり…少々気になる点もあったが、その立ち振る舞いといい、 年に似合わない落ち着いて大人びた語り口は、王女としてしっかりと教育を受け、大切に育てられた証だった。 「本当ならば、今日は最近完成した孤児院の視察へと向かう予定だったのですが、急遽、婚約者のあなたがいらっしゃると聞いて、お父様にとめられてしまいましたの」 「それはそれは…」 「それについては、すぐにまた日程を組み直しますもの。あなたが気になさる必要などありませんわ」 ふふふ、と、いたずらっぽく微笑むその姿は、うまく隠してはいるが、ずいぶん子供らしくかわいいもので。 彼女としては冗談をきかせたつもりだったのだろう、だが、それはまるで子供の悪戯のような愛らしさを呈しているように感じられた。 柄にもなく、ジェイドはそれにつられて素の笑みを浮かべる。 素の笑みなど、長らく人前で浮かべたことのないものだったが――――その笑みは偶然目撃した周囲の人物たちを釘付けにするくらいには、効力のあるものだったらしい。 着飾った姿ともあいまって、それほどに綺麗だったというのもあるのだろう。 だが、本人やその笑みを導き出した王女―――ナタリアは、まったくといって良いほど、その視線の集中には気づかなかった。 「それにしても、殿下。」 「あら、ナタリアで構いませんわ。」 「そうはいきませんよ。私は立場上、あなたをナタリア殿下、と呼ばなければなりませんから」 彼女にはそうは告げていないし、何よりキムラスカ側にも、自身が軍属であることは伝えていない。 だがそれもうまく流しつつ、ジェイドは素朴な疑問を少女へとぶつけた。 「あなたはずいぶんと外に出られる機会が多いようですね?バチカル城にいて、勉強だけをなさっていても――――」 「――――それでは、民がどのような生活をしているのか、知る事ができませんもの。卓上の理論だけで政を行うなど、愚かな施政者の行うことですわ。………わたくしは、そうはなりたくないのです」 「―――――…」 急に雰囲気が変わったかと思うと、ナタリアは毅然とした眼差しで窓を―――その向こうに広がって見えるのだろう、バチカルの街を見ているようだった。 その強い眼差しは、彼女の素晴らしい将来の姿をそのままあらわしているかのようで、思わずジェイドは言葉を失う。 しかしすぐに雰囲気を元の穏やかなものに戻したかと思うと、彼女は少し照れくさそうに笑ってみせた。 「これは、わたくしの大切な方の受け売りなのですわ。恥ずかしい話ですが…わたくし、彼らに言われるまで、そんな簡単なことにも気づきませんでしたの」 そうは言うが、それでもあの台詞を口にした時の彼女は、同じ年頃の少女の目ではなかった。 それこそ、将来を待望したくなるような、有能な施政者としての目。 それを、まだ15にもなっていないであろう幼い少女に見ることになろうとは、思ってもいなかった。 引きずられるようにしてやって来たキムラスカ訪問だったが、意外な収穫を得たものだ―――――…。 「では、挨拶が残っていますので」と、とても申し訳なさそうに自分から離れていった少女の可憐な後姿を見送りながら、ジェイドは ぼんやりとそんなことを思った。 「なんだ、ずいぶんと機嫌がいいじゃないか」 ナタリアが去ってから程なく雑談から戻ってきたピオニーが、にやにやと笑いながらそんなことを言った。 この男は――――まぁ、彼女程、顕著に高潔な意思が見えないものの、施政に携わるのには悪くない男だ。 しかしなんとなく、あの少女のような施政者に憧れらしいものがあったようだ。 彼を見た途端、少しだけ落胆したジェイドは、小さくため息をつく。 「キムラスカの有能な跡継ぎを拝見して、将来に光が見えたからですよ、きっと。」 「ああ、ナタリア姫と話をしたのか。」 毒を交えて小さく答えると、それだけでこれまでのことを大体察したピオニーが、なんの気なしに相槌を打った。 察しが良いのは悪いことではないし、それで命を救われることもあるのだが――――。 「あの殿下のような素晴らしい施政者がいればいいんですけど、ね」 ピオニー陛下、あなた以外のね。 後半は声にはせずに、そう心の中で付け足す。 暗に、消去法でお前は皇帝になったのだ、もっと精進しろ、といった意味合いを含めたのだが、何故かピオニーはその台詞を聞いた途端、 はた、と動きを止めた。 「―――――ははは、まぁ、俺の子供にでも期待しとけ」 「………………そうきましたか」 数秒停止していたかと思うと、また先ほどの含み笑いを浮かべて、ピオニーはそう切り返してくる。 彼も彼なりにナタリアという跡継ぎを見て、思うところがあったのだろう。 これは、もしかすると彼も、自分と同じことでも考えているのかもしれない。 そう思うとなんだかおかしいような気がして、ジェイドは耐えられずに小さく笑ってしまった。 短いおまけ +反省+ |