[言霊] ――――――悪魔。 それは、幼少より数々の逸話を作り出していった天才の通り名だった。 通り名の由来は、その紅い瞳。 幼い頃に譜陣を刻み込んだ為に、元のローアンバーとはかけ離れてしまったその瞳の紅と、それが宿す剣呑な光に、皆恐れをなす。 本来ならば、理知的な、と称するであろう年齢不相応な賢そうな眼差しは、しかし彼の突出しすぎた頭脳や研ぎ澄まされた刃物のような気性故に、全てが人々の恐怖をかきたてる材料にしかならなかった。 それは、呼ばれた本人ですら納得してしまう名前だった。 だから、それを知っても尚近付いてくる2人以外、彼に友と呼べる者はなかったのだ。 そうして、彼はやがてその友2人をも切り捨てていった。 つもり、だった――――――。 「アスランは忙しいだろう?構わないさ、ジェイドを連れて行くからな」 「はぁ…それは、助かりますが」 先任の任務の報告と視察の予定を伝えにきて、そのついでに護衛は誰にするかを尋ねた所、そんな答えが返ってきて、何とか都合がつかないかと食い下がられると思っていた彼―――…アスラン・フリングスは思わず呆けた返事をしてしまった。 継承権を巡って争い続ける王族達にとってダークホースのような存在であり、目の上の瘤のような存在でもある目の前の男。 …しかし、目下兵の間では最も期待されている王族の一人である彼、ピオニー殿下の執務室は、いつも雑然としている。 勿論そんな事を本人には聞けないが、もしかすると整理整頓は苦手なのかもしれない。 しかしながら、仕事は他の王族よりもよっぽど出来るし、何より権力というよりは国民のことを思って皇帝を目指そうとしているところがあるのは、とても好ましい。 最近は護衛として彼とよく接していたせいか、その思いが顕著になり、他の兵と同様アスラン自身もピオニー派になりつつあった。 殿下は、宮殿外の事もよく知ろうと、好んで視察へ出かける。 この息苦しい世界から一時的にでも逃げたい、という思いも勿論ない訳ではないだろうが、視察に出れば、その顔は真面目な施政者としてのものになる。 他の兵よりも学問を多く齧っているアスランでさえも時折答えに窮する程の鋭い質問もあって、その真剣さには本当に頭が下がる。 殿下との会話は頭を使うので正直大変だったが、他の兵にはついていけないものなのだろうと理解して、これまでアスランは頑張ってきた。 しかし、数年前鳴り物入りで入ってきたカーティス家の養子を、殿下は最近急に好んで指名するようになっていた。 「殿下は最近カーティス大尉がお気に入りなんですね」 冗談めかして、アスランはそう言って笑った。 これは、実際アスランも気になっている事だった。 自分の少し後に入ってきた、元研究員の天才博士ジェイド・バルフォア―――いや、研究所に入った時点で既にカーティス家の養子になっていたのだが―――彼は、入った当初から軍でも飛びぬけた頭脳の持ち主である事など、分かりきっていた。 殿下の難しい話しにも付いて来れそうな、最適の相手だろう、と誰もが思っていたのに、何故か殿下は長らく彼を指名することはなかった。 だから、単純にアスランは、天才故の付き合いづらさから、殿下が敬遠していたのだろうと思っていたのだが――――…いつか、たまたまカーティス大尉を護衛に任じて以来、殿下はすっかり彼を気に入ってしまったようだ。 そんな内心を知ってか知らずか、彼は屈託のない笑みを浮かべて、アスランの問いを肯定する。 「―――そうだなぁ、あいつは1を聞けば10は答えてくれるからな、話をするだけで色々為になる」 「大尉は元々研究院出身ですしね」 元より彼の著書、様々な理論の確立などから、天才の中の天才である、という事は宮殿の誰しもが知っている事。 更には研究の名目で戦地で死体を漁っていたという気味の悪い噂から、死霊使いの異名を取っていた事も、軍内では有名な話。 だが、それ以上に殿下は頭脳や異常性よりもジェイド自身で評価しているようだったので、それが尚、アスランの興味を誘った。 「…興味あります、って顔してるなぁ、アスラン?」 「え」 「はは、まぁ――――…俺も正直、最初はジェイドを護衛につけることを躊躇ってた。でも、あいつは付き合ってみると案外面白い奴なんだ」 まるで友人を紹介するか、フォローしようとしているかのような口調でピオニーは言った。 「あの目の色や外見からすると、結構付き合いづらそうだろう?騙されたと思って話してみろ、きっと印象が変わる」 「はぁ…」 まるでジェイドの付き合い方は任せろ、と言わんばかりの口調。 ただの友人どころか、旧知の友人の間柄のような雰囲気すら感じられてしまって、アスランは少しばかり戸惑ってしまった。 だがそれは表面には出さないようにして微笑むと、曖昧な返事をした。 「それでは、今回も護衛はカーティス大尉という事で伝えておきます」 一通りジェイドジェイドと、彼に関する話を聞かされて、少しばかり引きつった笑みを引っさげて、ようやくアスランは退室を許された。 はて―――…あの方は、ここまで一人の人間に肩入れするような人物だったか。 ささやかな疑問が頭をもたげたが、しかしその疑問もすぐに吹っ飛んだ。 図ったかのようなタイミングで、階下を歩くジェイドを発見してしまったのだ。 スロープになっているその渡り廊下で、アスランからは見えているものの、何事か考えながら歩いているらしいジェイドは、気付いていないようだった。 「カーティス大尉」 が、思わず声に出して呼んでしまい、その声を聞いたジェイドが、ふと顔を上げた。 「――――…おや。」 なんでもない風に見上げ、アスランを見て声を上げた彼―――ジェイドと言葉を交わすのは、実は初めてのことだった。 紅い瞳を、眩しさからか少し細めてこちらを見るその顔は随分と整っている。 そんな意味のない事を考えながら、さて何を話したら良いものかと、必死に考える。 「フリングス中佐も殿下に御用で?」 「え?ええ、今終わった所ですが…」 「そうですか」 も、という事は、彼もピオニーに用があるのだろう。 何かの書類を左手に持ち、歩み寄りつつもにこやかに話しかけてくる。 殿下は、付き合ってみると案外面白い―――そう仰っていたが、まさに模範的な軍人、といった風体で、公私共に叩いた所で埃の一つも出なさそうな彼の何処をみて、面白い、というか…肩入れする程の何かがあるようには思えない。 正直、アスランとしては「上にはいけるだろうが、それだけの人間」という判断しかしようがなかった。 そもそも、いかに頭脳が優れていようとも、死体を漁るなどという気味の悪い行動を繰り返していた常軌を逸した人間である。 上にはいけても排除されるのがおちだろう。 だからこそ、皇帝になるべきピオニー殿下の傍には相応しくない――――…彼自身に罪はなくとも、アスランはどちらかといえばそんな意見だった。 だが、だからといって殿下の意向を無視して彼以外の護衛を据えるわけにもいかない。 それに、話してみた印象では、彼はさして問題のある人間には思えなかった。 内心色々なことを考えながら、しかし表面は人付き合いの為の笑みを浮かべて、先ほど決まった件を切り出す。 「護衛の件ですが、一週間後のエンゲーブ視察はカーティス大尉にお任せするそうですよ」 「私…ですか?他にもいらっしゃるでしょうに」 「殿下は大尉をお気に召しているようですよ。近郊の視察で、何かあったんですか?」 思えば、初めて彼を護衛に任じてから、殿下の態度は変わっていった。 疲れたように溜息を付くことがよくあったのが、段々と少なくなっていき、最近では滅多に聞かなくなった。 それと入れ替わるように、この大尉の話ばかりをするようになっていったのだから、彼が何か関係しているのかもしれない、と思うのは当然だった。 「何か………いえ、特には」 少し妙な間を取ったものの、彼は澱みなく「ない」と答えた。 彼がない、といえば大した事はなかったのかもしれないが、あの殿下があそこまでジェイド、ジェイド、と言うようになる程だ。 何も無いという事こそありえないと思うのだが、彼にはこれ以上聞けなさそうだと思い、アスランはそこで話をやめることにした。 そうして別れようと会釈をした所で、小走りにジェイドへ駆け寄る影があって、気になって歩を遅くすると、信じられない話題が飛び込んできた。 「大尉!先日の視察の際に殲滅したというレジスタンスの残党の件なのですが――――…」 「ああ、それは執務室に帰ってからにしてください」 アスランの顔色を見て間髪入れずにそう言い切り、何事もなかったかのようににこりと微笑むと、彼は追及される前にさっと殿下の部屋へと逃げ込んでしまった。 どうやら、アスランに質問をさせたくなかったようだ。 だが、その場には話を聞いてもらえなかった、事情を知っているであろう兵が一人残っている。 「―――――今の話は?」 階級にはこだわらないアスランだったが、この時ばかりはそれなりの階級で助かった、と思った。 こんなに中途半端に聞かされたまま、何も聞かずに立ち去るなんてできない。 すぐにその兵に問いただすと、本来ならば真っ先に会議で話し合われるべき回答が返ってきた。 「何故、報告をしなかった?」 「大尉と殿下が、揃って閉口令を出されまして――――…まだ裏があるだろうから、黙っておけばまだ動きがあるかも、と」 「しかし、殿下の安全が最優先―――」 「それに関しては、大尉が全面的に責任を負われる、と…明言されまして………」 消え入るような声だったが、確かに最後まで聞き取ったアスランは、少々どころでなく驚いた。 ジェイドの自信に対してもそうだが、何より殿下の信頼度にも。 「ただ、大尉も発見したのは偶然だったそうです。それを気付かれぬように処理しようとしていた所を、殿下に勘付かれてしまったと仰っていました」 ジェイドに近しいらしい兵は、少しばかり咎めるような雰囲気のアスランを見て何か思うところがあったのだろう、おずおずと 口を開く。 「大尉は、"死霊使い"等と呼ばれてはおりますが…その」 彼の表情は、ジェイドは周囲が思う程悪い人間ではない、と如実に物語っていた。 ただ、今アスランは情報整理の方に思考が占拠されてしまっているせいで、それをあまり見てはいない。 「ああ、別に報告しなかったのが悪いとか、そういう風に考えている訳じゃないんだ。ありがとう、下がってくれ」 少し頭を整理したくなったアスランは、兵を下がらせると、考えをまとめるべく自室へと急いだ。 その道中も考えながらだったが――――…今までの話を総合すると、案外、殿下の言っている通り、ジェイドの人間性は好ましいものなのかもしれない、という結論が導きだされそうだった。 殿下の不安を煽らないよう、内密に事を処理しようとしたという事。 一人で、それを何とか片付けようとした事。 それらは、殿下への忠誠、そういった類の思いが伴っていなければできそうもない、少しばかり危険な行為だ。 少しばかり、というのはアスランの判断であり、槍の名手とはいっても頭脳労働系であろうジェイドならば、もう少しリスクが高いものだろう。 それでも実行しようとした彼は、もしかするとアスラン以上にピオニーに肩入れをしている人物なのかもしれない。 決して口にはしないし、態度にも出ていない為に、未だどの派閥にも入っていないように見えるのだが――――あの兵の話を聞く限りでは、彼は完璧にピオニー派だ。 ピオニーを皇帝に――――――…おぼろげながらもアスランもそれを望む一人になりつつあるので、願ったりなのだが。 それにしても、死霊使い、などと言われる割には人間くさいところもあるものだ。 アスランは、部屋に戻って、ふと自分の目の前で兵の報告を聞かされた時のジェイドの表情を思い出して、笑った。 一瞬、本当にほんの一瞬のことだったが、アスランを見て動揺に瞳が僅かに揺らいだのを、アスランは見逃さなかった。 知られたくなかった、それはつまり、己がピオニー派だと知られたくなかったのだろう。 アスランがどの派閥か分からない以上、それは当然の配慮だと思う。 しかし、人間を実験台くらいにしか考えていなさそうだ、とさえ思われている、一見何事にも無関心に見える彼があそこまで肩入れする理由は、一体何なのだろう? それにピオニー殿下もどうしてあそこまで彼…ジェイドに肩入れしているのか、同時に気になるには十分だった。 next→[愛欲] +反省+ |