[義務 中編] ――――――最近、何かにつけてジェイドが訪れるようになった。 様々な人脈からの個人的な報告書を流し読みしながら、ピオニーはちらりと、傍らで書類整理を手伝っている男を見た。 「…………」 相変わらず涼しい横顔のまま、彼は黙々と紙の束を分け続けているのだが―――ピオニーがこうしてちらちらと見ていると、時折 視線がばちりと合う。 その度、彼は何事もなかったかのように視線を逸らすものの、そういったやり取りが何度も続くことから、こちらを気にしている のは一目瞭然だった。 ………何なんだ…? その理由を本人に聞けたらいいのだが、生憎と素直に答えるような奴ではない事は、これまでの付き合いから痛いくらいに分かっている。 だから、知りたければ自分で調べなければいけない。 最近のジェイドの奇行は、本当に気になって気になって仕方がないくらい、目に余るものだった。 「――――――…期日が迫っているものやすぐに結論が出せそうなものを選り分けておきましたので、その山から目を通して下さいね。」 「ああ…」 「それでは私は仕事に戻りますが、軍部の予算について疑問等ありましたら、またお呼び下さい」 淡々と喋っているが、結構どうでもいい事を長々と語っているようにも感じられる。 なるべく長時間、一緒にいようとしているようなのだが―――――…はて、一体どういう心境の変化なのだろうか? 「なあ、ジェイド」 「…はい?」 ―――――…例え答えてくれずとも、何か感情の変化が見られれば、何を思っているかの一端くらいは分かるかもしれないのに。 「いや、やっぱなんでもない」 「………それでは、失礼します」 そう思い尋ねようかと声をかけたが、やはり無理だと、諦めてそのまま帰してしまった。 あんな顔をされては、何事も集中できはしない。 一体、何があったというのだろう――――。 すっきりしない気分のままだったが、仕事を放棄する訳にもいかず、読みかけだった報告書に目を向けた。 「………………」 ――――――アスラン・フリングスは、困惑していた。 近頃はすっかりピオニー殿下からのお呼びがかかる事が減り、彼を敬愛しているが故に少々寂しくあったものの、グランコクマに来たばかり の頃よりも表情が穏やかになったのを見て、ひどく安堵していた。 当時駆け出しに過ぎなかった一兵卒の自分にも気軽に声をかけてくれたり、他の王族は興味すら示さない、軍備の状況を細やかに確認し たり、夜警をしている兵にご苦労、と声をかけたり。 あるいは現皇帝などが自分のしたいように配分する予算についても、軍上層部すら言えない事柄を不当だと意見してくれたりと、ピオニー の人柄と行動力は、最早宮殿内で知らない者はいない。 そんな彼に朗らかな笑みがないと知ってからは、何とか笑っていただきたいと、皆は懸命に心を尽くしたものだった。 『すまんな、気を遣わせて』 そう言って心ばかりの礼と笑みを浮かべてみせる彼が、どんなに痛ましかったことか。 どんなに頑張っても、浮かべるのは口元と目元だけの微笑みであり、誰が何をしようと、彼の表情が晴れることはなかった。 駄目なのかもしれない――――そう思い始めた矢先に現れたのが、ジェイドだった。 話には殿下と同じ場所で育ったとは聞いていたものの、最初からつい最近までずっと態度が硬かったこともあり、あまり関連性のない人物 なのだろうと思われていた彼。 だが、ひょんなことから彼を護衛に据えて以来、殿下の表情が激変したのだ。 それ以降、階級のこともあるが、外に出る際の護衛はジェイドをまず第一に指名するわ、些細な用事ですぐに彼を呼びつけるわ、会議でも 彼に意見を求めるわで、宮殿でも軍本部でも、殿下のジェイド贔屓は知れ渡っている状況。 最初は、ジェイドのあまりの素っ気無さから、贔屓にされても意に介していないと感じていたフリングスだったが、どうやらそれも勘違い だったようで、近頃は何だかんだで一緒にいる二人を見て、微笑ましく感じていた。 ……………だったのだが。 久々に、ジェイドではなく自分が呼びつけられた。 そのことに、フリングスは困惑していたのだ。 「……………」 久々に立ち入ったピオニーの部屋で、フリングスは所在なさげに立ち尽くす。 床には、ついこの間エンゲーブから連れてきた子ブウサギが、ぶぎぶぎとなんとも形容しがたい声をあげて走り回っているのだが、ピオニー はその姿すら気にならないのか、黙りこくって自らの座っている机の上を見つめていた。 腕を顎に乗せたまま、いつになく真剣な表情。 グランコクマではジェイドが来るまでよく見られた、小難しい事項について思索をめぐらせる顔だった。 近頃ではすっかり考える仕事はジェイドの仕事となっていたのに。 一体何事か、と、フリングスがふと不安げな眼差しを送ったところで、唐突にピオニーが顔を上げた。 それは、何か一大事が起きたかのような深刻そうな顔。 「アスラン――――お前の腕を見込んで、頼みがある」 「は、はい」 何故、頼む相手がジェイドではないのだろう。 聞きたくても聞けなくて、フリングスは動揺する気持を抑えて殿下を見る。 まさか。 「すまないが、しばらくジェイドの様子を見ていてくれないか?」 「――――――…え?」 「いや…詳しくは言えないんだが、報告書に気になる事が書いてあってな。あいつには気付かれないように…頼む」 ばつが悪いのか、少し目を逸らし、がしがしと頭を掻きながら言われた言葉に、フリングスは一瞬どうしたら良いのか分からなくなった。 つまりは、ジェイドを見張っていろ、と。 そういう事らしいと理解はしたのだが、一体どうして彼を見張る必要があるのだろうと、次第に疑問に思い始めた。 導き出されるものは、そう多くはない。 謀反の恐れがあるとか、他にも何事か企んでいるだとか。 そういった尻尾を掴むための見張りならば、フリングスは幾度か経験してきた。 だが、よりにもよってその対象がジェイドだとは―――――…。 ピオニー殿下の信頼が今最も厚いと噂される彼が、よもや謀反を企んでいるなどと、誰が考えるだろう。 信じられないと思いながらも、意見することはこの場では許されない。 というよりも、ピオニーのいつになく真剣な雰囲気が、それを許さなかったのだ。 その為、フリングスは半ば勢いのまま了承の意を伝えて、即座に退室してしまった。 next→[義務 後編] +反省+ |