[うさぎと懐刀] 「―――――失礼します」 いつも兵士やめいどが入ってくる時に言うお決まりの台詞が、へいかの今日の執務がようやく終わるという時に、扉の向こうから聞こえてきた。 それは大抵追加の書類であったり「だいじん」の小言――――つまりは、すぐに執務を終えることができないということだ―――ということにつながり、それはすなわち、わたしがへいかと遊ぶ時間も減ってしまうということにつながる。 もししたっぱの兵かあすらんだったなら、わたしが追い返してやろう。 そうした決意を胸に、入ってくる人物を睨みつける。 と。 「―――――おお、ジェイドか。久しいな」 一瞬、私のことを呼んだのかと思ったが、わたしはへいかと毎日この部屋で一緒にいるのだから「久しい」という表現はあてはまらない。 ならば、もしやと入室してきた人物を見てみると、そこには見たことのない兵士が立っていた。 私が着せられている「みにちゅあ」と同じでざいんの軍服を上から下までぴしりと着こなし、砂の色をした長い髪の中にある顔には眼鏡がのっている。 あかい目は、初見だと少し怖い印象を与えるだろうか。 そんなことを考えていたら、兵士――――私と同じ名前らしいその人は、つかつかとへいかの執務机に近づいてくる。 「ようやく報告書がまとまりましたので、提出に参りました」 「おま…だから帰ってきてすぐに顔見せなかったのか」 普通は帰還したらすぐに俺の所に報告に来るもんだろう、と文句を言っているへいかの顔は、どこか穏やかだ。 よく分からないが、このじぇいどという人は最近帰って来た人らしい。 どこにどれだけの期間行っていたのかは知らないが、へいかに対して少々無礼ではないのだろうか。 「………記憶に新しいうちに、早くまとめてしまいたかったものですから」 「まぁいい。で、どうだった?」 「――――そうですね、概ねあなたの予想通りでしたよ」 机の間という距離さえもどかしかったのだろうか、そそくさと席を立って机をまわり、じぇいどの持っていた報告書を受け取る。 机に半ば腰掛けたような状態でそれに見入り始めたへいかを見て、じぇいどは苦笑を浮かべている。 その姿がどうも印象的というか、普通の兵らしくない。 へいかの態度も普通じゃないような気がするのだけれど――――わたしには、その理由は分からなかった。 「――――――――…」 『……?』 ふと、気づくとじぇいどの視線がわたしに集中しているのに気づいて、わたしはびっくりしてかれを見つめ返す。 まるで無表情だけれど、これは驚いているのだろうか。 わたしが首を傾げていると、じぇいどは唐突にわたしを持ち上げて、へいかの前に突き出した。 「………陛下」 「うん?」 「…これは、なんですか」 この宮殿にいる者は、わたしに危害を加えるものではないと段々分かってきたわたしは抵抗しなかったが――――脇に腕を入れて持ち上げられるというこの持ち上げ方は落ち着かない。 足をばたつかせてわたしがそれを訴えると、じぇいどに不思議と通じたらしく、すぐに膝下に片腕が移動して、ようやく足元が安定した。 わたしたち…うさぎという生き物は、足がつかないと怖くてしかたがないのだ。 「見て分からないか?うさぎだ」 「耳と尻尾の形状からしてウサギという種別なのは分かっています。しかしこの姿はなんなのですか、と質問しているのですよ」 じぇいどは、どうやらわたしが普通のうさぎではないという理由から、わたしを持ち上げて質問をしているらしい。 たしかに、わたしも本来の「うさぎ」を見て、耳と尻尾以外はかなり似ていないという事を知ったけれど。 「あー…そうか、お前は丁度任務に出かけてたんだっけな」 そうだ、わたしだってこのひとには初めて会った。 確かに事情は知らないだろう。 かくいうわたしも、自分の境遇や生い立ちについては詳しく知らない。 ただ物心ついた頃には檻の中にいたという記憶しかないのだ。 わたしと、そしてじぇいどがじっとへいかを見つめていると―――――へいかは、わたしが実験動物だったのだと教えてくれた。 薄々感付いていたことを言われて、わたしは特に驚くことはなかったけれど。 「――――――なるほど、人道的…というべきかは分かりませんが、正当な理由があったのですね」 「お前、俺が趣味で飼ってるとでも思ったのか?」 「ええ、それはもう。ブウサギをペットとするあたり、かなり特異な趣味をお持ちだから、もしやと思ったんですよ」 ふふ、と笑って、じぇいどはしゃがんで、拘束してしまってすいませんでしたね、と小さく言って、わたしを床の上へと下ろしてくれた。 その意外なことばに私は驚いて、じぇいどを見つめたら―――不満と受け取ったのだろうか、わたしの長い耳の間を、耳といっしょに優しくひとなでして、また立ち上がる。 ふたりとも、とても大きいから――――この近さになると、表情はもう見えない。 だけど、じぇいどはへいかへの態度の悪さの割りに、悪い人ではないのかもしれない。 その証拠に、わたしを見て驚くでもなく(実際は驚いたのかもしれないが)、へんなものを見るような目で見るでもなく、それどころか、わたしの頭をなでてくれた。 だから、たぶん悪い人じゃない。 実際、へいかも随分この人に気を許しているような印象があったので、益々わたしはそう思った。 「…で、報告はこれで全部か?」 「ああそれなんですが、もう少し補足があるので、それはまた後日提出に伺います」 ふたりは、すぐにわたしの話題から離れると、また仕事の話をはじめる。 なるほど―――ほかの人よりも、随分息が合っているようだ。 話している内容はわたしにはよく分からないけれど、意見も一致点が多くて、次々と話がまとまっていく。 いままで見たへいかの臣下の中では、一番執務の相性が良いのではないだろうか。 そんなことを考えていたら、となりの部屋がにわかに騒がしくなった。 きっと、がいがぶうさぎの散歩から帰って来たのだろう。 いつもは、程なくごはんの時間になって、軽く掃除をしたらすぐに部屋を出て行くのだが―――この部屋から話し声が聞こえるのを察したのだろうか、珍しくノックをして、部屋へと入ってきた。 「お、ようやく戻ったのかジェイド」 がいも、どうやらじぇいどを知っているらしい。 仕事の話をしていて水を差されたから、ふたりとも困ってしまうではないか……とわたしは思ったのだけれど、へいかとじぇいどは 気にしていないようで、それまでものすごい速さで進んでいた話を中断して、がいの方へと向き直る。 「おや、ブウサギ散歩係が帰ってきましたか。……ふむ、隣も騒がしくなってしまったことですし、続きは報告書を届けに伺うついでに」 「ああ――――そうだな、頼む」 「ん、もしかして大事な話の途中だったか?悪いな」 「…いえ、まだ軽い意見交換の段階だったので、…急ぎでもないですし、大丈夫ですよ」 にっと口元だけで笑うと、じぇいどはそそくさと報告書をへいかの机においてしまう。 その時にさりげなくほかの報告書の下に入れてしまったあたり、少し重要な報告書なのだろうか。 そんなことを考えてじぇいどの手元を見ていたらわたしはまた目が合ってしまって。 するとじぇいどは、先ほどとは全く違う、底の読めない笑顔でわたしに笑いかけてきた。 内緒ですよ じぇいどの笑顔がそう言っているように感じられて、わたしは思わずこくこくと頷いてみせると、「良い子ですね」と言われた。 その言葉からして、どうやらわたしの予想はあたっていたらしい。 だけどじぇいどはそんなそぶりも見せずに、がいとへいかと、任務であった出来事やら街の近況など、他愛のない話題に興じていった。 一通り話し終わると、じぇいどはへいかの部屋の時計を見て、「もうこんな時間ですね、退室しなければ」と言い出す。 「――――――それでは、私はこれで失礼します。ガイ!後で私の執務室に来なさい」 「…はいはい、分かりましたよ旦那」 改めていずまいを正してへいかに一礼をした後、がいに声をかける。 するとがいは、思いのほか…というかはじめて見たといっても過言ではないくらい、気力に欠けた返事をした。 じぇいどの声はちょっとだけ怖かったけれど、じぇいどに怒られるようなことでもしたのだろうか。 わたしにはわからなかったが、へいかはわかっていたらしく、笑うだけでそのやりとりに横槍を入れるようなことはしなかった。 なぞが多いけれど、切り替えの早い、そしてわたしについて深く言及しようとしないじぇいどという男を、わたしは案外気に入った。 +反省+ |