「あまのじゃく」 グランコクマ駐留を命じられ、本来ならば最前線で戦っている筈の第三師団長、大佐という階級にあるその男――――ジェイド・カーティ スは、執務室で一人黙々とデスクワークに没頭していた。 血のような紅色をした瞳を隠すシンプルな眼鏡、そして長く伸びた砂色の髪…加えて雪国育ち故なのであろう白すぎる肌は、まるで軍人 らしくない。 それでも、ほっそりとした身体を包むのはマルクト軍の軍服であるから、辛うじて、彼が「軍人」なのだと判断できる。 そうでなければ、研究室に篭る研究者、学者といった風体だ。 外見のせいなのか、外で戦っているよりは机に向かっている姿の方がよっぽど様になっているように見える。 (本来ならこんな所でのんびり仕事をしている場合じゃないんですが…) 考えながら、つい先日まで自分の担当していた地域のことを思う。 代わりに向かったフリングス将軍が接近戦においては自分をも凌ぐという実力を持つこと、そして彼の擁する部隊の大きさを考えれば心配 するだけ無駄であると分かっているし、考えているからといって心配している訳でもない。 だがその代わり、自分の任務を途中で取り上げられてしまった、という思いがある為か、不満混じりのすっきりとしない思いが渦巻いてい るのだ。 何事も中途半端を嫌う性分であるが故に、研究においても完璧を求め、大概にして成功させてきた。 それが良い事であったかは別として、やろうと思ったことは大抵やり遂げるという性格からして、負傷を機にグランコクマに…という状況 は、やはりジェイドにとって不本意なことであったのだ。 もう完治したことだし、そろそろ対策を考えなければいけませんね――――…。 さらさらと整った字を綴る手は休めず、ジェイドは思索を巡らせる。 一見するとただ無心に書類にサインしていく姿に見えるものの、その頭脳は休むことなく回転を続けていた。 「ジェイド〜」 本来やるべき仕事を取り上げられ、顔には出ていないが少々不機嫌な様子のジェイドとは対称的に、主君たるマルクト皇帝はひとくご機嫌 だった。 今日も今日とて、仕事を早々に切り上げると、当然のように執務室へと顔を出す。 定位置である、クッションと本とその他のものが散らばった一角にどか、と腰を下ろす―――――…と思いきや、意外にも彼は机の正面で あるソファへと腰かけた。 「暇だ。遊べ」 およそ皇帝とは思えない、子供のような口調でそれだけ言うと、じと、と机に視線を落とすジェイドを見つめる。 そしてその瞳は、遊んでくれるまでてこでも動かないぞ、という強い意志を伝えていた。 ……最近の彼は、いつもこうだ。 「申し訳ありませんが、あなたが期限ギリギリまで忘れていらっしゃった案件の処理が残っておりますので。外でブウサギたちと遊んで きてはいかがですか?」 暗に『邪魔だから出て行け』というオーラを発しながら、机から顔を上げることなくそう言い放つ。 大概において、仕事が逼迫していることくらいは理解しているピオニーが、数分の後に折れて部屋を後にするか、昼寝を開始する、あるいは 寝転んで本などを読み始めるのが常なのだが。 特に今回は、諸事情によりフリングスがやるべき仕事も代行しているから―――――…責任も忙しさも、普段の倍以上。 だから、きっとそうしてくれるだろうと思っていた。 ………の、だが。 「駄目だ。今日は遊べ」 「そう言って、昨日も結局仕事の邪魔をしてくれましたよね?いい加減にしないと刺しますよ」 国の最高権力者に対してとは思えない不穏な物言いでも、ピオニーは気にせず笑っている。 そうして、朗らかな笑いから一瞬にして、気遣うような優しげな面差しに変わった。 「回復してすぐなんだ。ちょっとくらい仕事のスピードを落としたって、誰も文句は言わないだろう?」 珍しく正論を述べる皇帝陛下殿に、思わずジェイドは奇妙なものを見るかのような視線を送ってしまった。 確かに、訓練を普通にこなせるほど回復している訳ではない、というのは事実だったのだ。 だが、デスクワークにおいては全く支障はない。 勿論、心配して頂ける、なんていうのはありがたい事に違いないのだが。 「……一体、何を企んでいらっしゃるんですか」 「別に、いつも何かを企んでいる訳じゃない」 また、朗らかな笑い―――のように見えて、その実隙のない微笑みなのだが―――に戻って、ピオニーはソファを立つとジェイドの後ろへ とまわり、彼の胸から肩にかけての上半身をその腕の中に収める。 「………」 「……………ですから、何をしたいんですか、あなたは」 遊べ、とここ連日言ってきては仕事を邪魔するピオニーだが、その実、遊ばなくてもこうして過剰過ぎるくらいにくっついてきている だけなのだ。 だから、実際は「遊べ」と言いながらもジェイドと遊ぶ訳ではなく、ただこうしてピオニーがジェイドで勝手に「遊んでいる」と言う 方が正しい。 それでも、どちらにせよ仕事が滞るのは変わらないのだが。 しかし、以前はここまでしつこくはなかったし、こうした妨害行動のような事は滅多にしなかった。 どうしてなのか――――…そんな事が分からない程愚鈍でもないジェイドは、だからこそはっきりと拒絶ができないのだ。 「………陛下、遊んでいても構いませんから、せめて手くらいは動かせるようにしてください。本当に期限が近いんです」 苦笑して、最大の譲歩を申し出る。 無論、嫌々触れさせているという態度は崩さないで。 そうすれば、彼は黙って予備の椅子を持ってきて、後ろに陣取って胸やら肩の辺りから、腰や腹のところまで腕を下げてくれるのだ。 きっと、完全に回復して、あの地域がアスランだけではどうしようもなくなるまで、この我侭は続くのだろう。 そちらの期限は遠からず、かといって近くもなく。 暫くはこのままになりそうだ、と、ジェイドは諦めと、だがそれほど嫌でもないという意味の溜息を吐いて、仕事を再開した。 触れていないと不安だとか、構われる事が案外嬉しいことだとか、そういったことは口にしない。 お互い、捻くれているから。 お互い、それが分かっているから、口にしないのだ。 そうして、今日もジェイドは管轄地へ戻りたい、と伝え損ねた。 +反省+ |