「ジレンマ」 抜け目ない性格だと、強かで死にそうにない軍人1と陰口を叩かれている自分が、よもやこんな辺境の地で死ぬ事になろうとは。 それが何かの冗談みたいで、意識を手放す寸前に笑った事だけは覚えていた。 タイミングを見計らったかのように現れた、敵襲。 遠距離に偏りすぎた自分の隊だけでは少々荷の勝ち過ぎる相手だとは分かっていたし、無茶をするつもりも毛頭なかった。 きりのいい所で撤退し、援軍が来るのを待つつもりで少量の武装で迎撃したのだ。 だがそれが逆に相手の神経を逆撫でしたのだろうか、妙にしつこくて振り切れず、部下の一人が切られようとして。 それがまた、つい先ほど、帰ったら妹の成人の祝いをしてやるのだと笑っていた男だと気が付いてしまい、自分自身でも無意識のうちに、 庇うべく走り出していたのだ。 相手が自分の事をネクロマンサーのジェイドだと気付いていたかは分からないが、凄まじい集中砲火を浴び、譜術で防御しなければとっく にあの世へと行ってしまっていただろうと思う。 そうして、程なく視界はブラックアウト。 これは、死ぬかもしれないと―――――…まるで他人事のように考えて、そのまま思考は中断した。 死ぬ前に一言くらい、本心からの言葉を伝えておけば良かった。 ゆらゆらと定まらない意識の中、真っ先にそう思い浮かんだのは、妹のネフリーではなかった。 浮かんだのは、雪国には似つかわしくなかった、浅く日に焼けた肌をした、かつての親友…そして、今の主君。 ただの一度だって、彼の心からの言葉に応えてやった事がなく、いつも、彼の強引さに流されるフリをしながら、苦笑で誤魔化してきて、 死にそうになって初めて、それを後悔したのだ。 何かにつけて臆病で、行動に移そうとしない自分。 なんて愚かなんだろう。 いつ死ぬか分からないのなら、早く伝えておけば良かったのに。 どこかで、死なないだろうという楽天的な考えがあったのだろう。 じゃなければ、こんな思いに捕らわれたりはしない。 だが不思議というか当然というか、死を怖いとは思わなかった。 何せ、人の死すら、理解できないのだから…… 「…………目、覚めたか」 ふと目を開ければ、傍の椅子に公務で忙しい筈のピオニーが座っていた。 その声を聞いて、急に意識が覚醒し始めたジェイドは、状況の分析を開始する。 ―――――確か自分はあの時すぐに失血で倒れて、その場で応急処置を受けた後、援軍の戦艦でグランコクマへと帰還し、治療を受けたのだ。 そして、目覚めてすぐに、言葉を伝えておきたかったと願った相手―――ピオニーがこちらを覗き込んでいるのが見えて。 あからさまに安心した、という風な顔をして、それでも強がって軽口を叩かれて。 そして、それに同じように強がった台詞を返して、そのまま眠ってしまっていたらしい。 相変わらず頭はクラクラするものの、しかし先ほどよりはマシになっているような気がした。 「ええ、しかし陛下」 「ん?あー、林檎でも食うか?」 「いえ、そんな事を言ってるのではなく……仕事は、どうされたのですか」 基本的なことを聞いていなかったと、内心で己の迂闊さを嘆きながら、ジェイドは包帯だらけの手を伸ばして眼鏡を探る。 だが寝返りをうった時に傷口に障ったのか、一瞬だけ、身体の何処かに痛みが走る。 負傷箇所が多すぎて、最早何処が痛んだのかすら分からなかったが、その痛みに顔を歪める彼を見て、ピオニーは顔色を変えて駆け寄って来た。 「…こら、動くんじゃない!」 「すみませ……っ、だから…陛下、仕事は」 切れ切れになりながらも何とか再び同じ質問を口にすると、ピオニーはジェイドの背を支えながら、なんてことないとでもいう風に、 「全部終わらせてきた」と笑った。 それは、実の所大臣に文句を言わせないのと同時に、ジェイドにも文句を言わせない為でもあったのだ。 思惑通り、ジェイドは続ける言葉を失って、ばつが悪そうにまた眼鏡を探し始める。 「ああ、眼鏡はここだ」 やがて眼鏡を探しているのだと理解したピオニーが、少し離れた机に置いてあった眼鏡を手に取り、渡してくれた。 どうも、と短く礼を述べてそれを受け取り、動き回る理由を失ってしまったジェイドは、大人しくベッドに戻るしかない。 腕も満足に動かない為好きな本を読む事もかなわず、出来る事といえば、傍らで珍しく読書に勤しむピオニーを観察する事くらいしか なかった。 彼は皇帝という地位に納まってからも、変わらずこうしてジェイドを一人の友人として気遣ってくれる。 大佐に昇格した時も、異例ともいえる皇帝からの祝いの品が届き、カーティス家は騒然となったものだった。 問い詰めれば、何、皇帝としてじゃなくて俺個人としての祝い品だから気にすんな、と朗らかに笑って。 ちょっとでも怪我をすれば、自分の方が辛いかのような表情で、仕事もそこそこに顔を見にやって来て。 優しい―――…何処までも冷たく冷徹な自分とは全てが逆で、何もかも合わないと思えるような、そんな彼と、どうしてこんなに長い間 付き合ってこれたのだろう。 『可愛くないジェイドでも、俺は好きだぞ』 ブウサギのジェイドを撫でながら言った台詞は、冗談のようで、しかしその目はひどく真剣で、とても冗談には聞こえなかった。 得意の口八丁でその場を流してしまえれば良かったのだが、王者ならではの強い威圧感と眼差しのお陰で、誤魔化せなくて。 結局無言で目も合わせず、その言葉にはついぞ反応する事はしなかった。 あの時、ちゃんと話をしておけばよかった――――自分に正直でいつでも好き放題言っている様に思えるピオニーだが、その実「自分自身」 の奥底にある思いを打ち明ける事など数えるほどしかしない彼の、本当に珍しい一言だったのに。 意地を張るところのあるジェイドは、あの時その言葉に応えるだけの勇気が足りなかった。 それを、危機に瀕したとき、唐突に思い出したのだった。 後悔という言葉が頭の端を掠めたのは、それが二度目。 「――――…どうした?喋らないお前っていうのも珍しいな」 彼らしからぬ落ち着いた声音と共に、ふと顔を上げる。 その顔を見ると、あの時の後悔が思い出された。 「少し…考え事をしていました」 「お前のことだ、また難しい事でも考えていたんだろう?」 考えると疲れるから、もう考え事はやめとけ。 笑う彼の目は冗談ではなく本気で、それがまたジェイドを苦しくさせる。 「いえ…簡単な事です。」 「ほう?」 「…………死は理解できませんが、死は回避したいと、考えていたんです」 先ほど目覚めた時に垣間見えた、今まで見たことも無いくらいに張り詰めた表情をしていたピオニーを見て、初めてそんな思いに囚われた。 強い人だと、ずっと思っていた彼の不意打ちの表情は、ジェイドの心をひどく揺さぶったのだ。 死ぬかもしれないと思った、しかし死んだ所で悪魔と罵られるほど忌み嫌われていた己の存在など、いなくなって喜ぶ者こそいても、悲し む者など―――妹のネフリーですら恐れている節があったから、いないだろうと。そう、思っていた。 なのにこの人は、喪失を恐れるかのようにずっと傍を離れない。 ジェイドが目覚めて、一瞬ではあったがあからさまなほどに安堵を滲ませ、そしてすぐにそれをいつもの仮面に押し込めて、なんでもない フリをする彼は、もしジェイドが永遠に帰らなくなったなら、悲しむのだろう。 唯一無二の親友、優秀な部下、不本意ながら、恋人の位置に居るらしい自分の喪失を―――――…。 「らしくないな。……頭でも打ったのか?」 「――――…そうかも…しれませんね。」 認めたくないと、心のどこかで叫ぶ自分がいる。 誰かが自分を必要としているなどと、そんな事を考えてはいけない。 生に未練を感じたら軍人ではないという考え方を持つジェイドには、到底認められない感情だった。 けれど、確かに少しばかりの喜びを感じているのも事実で。 いけない、これは忘れるべき感情。 人々に忌み恐れられる死霊使いが、いつ死んでもおかしくない自分が、そんな思いに囚われてはこんな思いを抱いてはいけないのに。 「…まぁ、悪くない考え方だな。」 嬉しそうに笑い、彼はまた本へと視線を戻した。 どうしてだろうとぼんやり考えていたら、気付けばジェイドの視界は暗くなっていた。 +反省+ |