「溜息で殺した」 『絶対だからな!』 笑ってそう言った、過去は親友、現在は主君でもある彼の言葉に、どうして頷いてしまったのだろう。 今更過ぎる事を考えながら、ジェイドは深い溜息をついた。 現在、彼は大きな部屋の最も奥、いわゆる上座にいて、大勢の軍関係者や臣下、貴族などの前で、何やら式辞を述べている。 その姿は、いつものだらけた服とは全く違う盛装である為か、妙に様になっている。 いつもなら、彼は例え誰が謁見に来ようと普段着であるあの服以外を着る事はないのだが、今日はマルクト帝国建国記念式典であるせいだろう、大人しく大臣達の指定した衣装を身に纏っているのだ。 …つまり、今現在、その式典の真っ最中なのである。 普段の姿とのギャップも激しければ、まともな格好をしているお陰で、生来のものであろう気品と威厳が増している彼は、きっと式典に参加している貴族の娘達の視線に気付いているだろう。 かくいうジェイドも、式典用の、若干いつもと違うデザインの軍服を着てはいるのだが、やはり、当然のように彼の変わりようには追いつかない。 自分自身もそれなりに人の視線を集めているのを自覚しつつも、ピオニー陛下の式辞に入ってから2度目の溜息をつく。 本来ならば、大佐という地位ではあるが、ジェイドは祝い事の席に姿を現す事などない。 理由は様々だが、一番の理由は、単にジェイド自身が人の多い場所が好きではないからだ。 勿論、『死霊使い』の名を聞いて畏怖する者がいるかもしれないという危惧もあったのだが、殆どは前者の、ジェイドの極端な人嫌いによる所が大きい。 その度に陛下が直々に文句を言いに来る事もあったが、最近は忙しかった事もあり、すっかりそんな我侭もなりをひそめたと思ったのだが… つい先日、新規にデザインされたものらしい軍服を携えて、陛下自らが唐突に執務室へと乗り込んできたのだ。 なんてことのない、実にどうでもよさそうな用件だった。 『試着してみてくれ。まだ試作品でな…着るとどういう風になるか見てみたい』 『は…?そんな事、先ほどあなたのところへ向かったフリングス将軍にでも頼めばよかったではありませんか』 『アスランが…?いや、会ってないぞ』 すれ違ったらしい。 火急の用件、と慌てていたから、きっと今頃ピオニー陛下の私室で嘆いているに違いない。 内心、自分より年若いのに早くも苦労し通しのアスランを思ってご愁傷様、と手を合わせる。 『さぁ、脱げジェイド!』 『お断りします。大体、私は…』 新しい軍服を見てみれば、なるほど、襟元や袖の刺繍が細やかで美しく、あれで式典などに出たなら、いかに粗野な軍人といえど、畏まるに違いない。 ピオニーの喚く声を華麗に無視しつつ、ジェイドはそんな事を考えていた。 そしてすぐに、軍服を新しくした理由に思い当たり、少し強い力でピオニーを突き放して。 『さては、あなた…それを着て、私に式典に出ろ、とでも仰るつもりですね?』 『ち、覚えていたか』 『今思い出したんですよ。確か…三日後、でしたね』 この場で着せる事を諦めたのか、まだ皺一つない群青の軍服をソファに放り投げた彼は、しかしそれでも諦めた様子を見せずに、挑戦的な眼差しを向けてきた。 『…そういう訳だ。せっかく新しくしたんだし、お前もたまには式典に出ろ』 『益々、お断りです。』 駄々っ子のようにそう呟いた主君に、ジェイドは満面の笑みでもって答えてやる。 彼は、確かにジェイドが人の集まる場所や華やかな場を嫌う事を知っている筈なのに、何故今更こんな事を要求してくるのだろう。 半分は戸惑い、半分は嫌な事を強いてくる苛立ちから、ジェイドの物言いは少しばかり棘のあるものに変わっていた。 しかしめげる様子の無いピオニーに、とうとう少し眉尻を下げたジェイドは、 『――――…一体、急にどうされたのですか。私が華やかな場を嫌うのは、ご存知でしょう?』 困った風にそう言えば、本当の子供のように口を尖らせたピオニーは、ぶちぶちと文句を言いながらもそれに答えてくれた。 『だって…ジェイド、俺のちゃんとした姿見たのって、戴冠の儀が最初で最後だろう?たまには、俺のかっこいい所をだな…』 『……………何処の子供ですか、あなたは』 『当然だろ!?少しでもイイトコ見せたいのは!』 開き直ってそう喚く彼に、ジェイドは苦笑を禁じえなかった。 こういう正直な所は皇帝となった今でも全く変わる事がなく、それが、変わり果てた自分にとってどれだけ救いになっているか、彼は知っているのだろうか。 ジェイドが笑っているものだから、馬鹿にされたと思ったらしい彼は、とうとう本格的に拗ね始めてしまう。 それを見て、思わずジェイドが了承の返事をしてしまうのは、ほんの数秒もかからなかった。 (そうだ…陛下が子供っぽくお願いしてきたからいけなかったんですね) ここに来ることになってしまった経緯を思い出しながら、ジェイドは3度目の溜息をつく。 ピオニーの、普段とは違う玲瓏とした声に耳を傾けるフリをしてはいるが、相変わらずその内容は頭には入ってこない。 「カーティス大佐、ご気分が優れないのですか?」 「いえ、大丈夫ですよ。」 「そうですか…先ほどから顔色が優れないようでしたので、つい。」 「お気遣いありがとうございます」 近くにいた階級の近い同僚の気遣いに感謝の意を示し形ばかりに微笑むと、聞いていないのに、視線はまた彼へと戻る。 見せたがっていたその姿…衣装は、新しいものらしい。 だが、軍人として不測の事態に備えて入り口に控えているジェイドにとっては、遠すぎてよくは見えない。 大佐階級ではこんなものだが、これがアスランくらいになれば、すぐ目の前で見られるだろう。 式辞が終わりの兆しを見せ始めたところで、ジェイドはその下らない思考を中断し、別の場所へと意識を向けた。 式辞の終わりと共に、会場内は立食会兼ダンスパーティーの様相へと変わり、皆が談笑を始めている。 それを期に、それまで緊張感を保っていた壁際の警護兵たちの表情も、少しばかり緩み始めたようだった。 勿論めでたい場なのだ、その程度のことはジェイドだって分かっているので、咎めるつもりはない。 しかし彼はそんな中でもにこりともせず、眼鏡を指で押し上げるとその人ごみの中へと足を踏み入れていった。 ジェイドが向かったのは、会場の出入り口だった。 式典に出ろというピオニーの勅命により、せっかく外警備を希望していたのに、無理矢理の形で会場内警備へと変更させられていたのだが、彼はどういう訳かそれを無視して外へと出る。 大佐、お疲れ様です、とかかる声に適当に応え、ジェイドはカツカツと硬質な音を響かせながら、月夜に照らされる廊下を歩き、目的地を目指した。 「――――…お、早かったなぁ」 目的地は――宮殿内でも特に人の来ない、外れのバルコニー。 そこに、先ほどまで式典で堂々と式辞を述べていたこの国の皇帝は、ぼんやりと立っていた。 後ろには滝のように流れ落ちる水。 ざぁざぁとひっきりなしに耳に入る水音は、ここに来たばかりの頃は耳障りだったのに、いつの間にか慣れてしまった。 「全く、勝手に抜け出しては怒られますよ?」 「いいんだよ、俺の仕事はあれでおしまい。あとは皆で騒ぐだけだ」 「言いますね…」 「事実だろう?それに、正直ああいう場はつまらん」 玉座では、服装とは相反してあれだけ威厳に満ちているというのに、その皮を脱いだ彼は、30を超えた男とは思えないくらいに子供っぽい。 白い歯を見せていたずらっ子のように微笑む彼は、皇帝らしい煌びやかな盛装であるせいで妙にアンバランスだった。 「では、そのつまらない場に私を引きずり込んだのは、一体誰でしたっけねぇ」 嫌味たらしく言ってやれば、すぐにその表情は憮然としたものに変わり、そして大人の男のする余裕の笑みへと変貌していく。 くるくると変わるその表情は、もう何年も見続けているが、未だに飽きない。 「でも俺のかっこいい所見られただろ?どうだ、惚れ直したか」 「惚れ直すも何も」 続きを言おうとして、ジェイドはふと思考が止まった。 何だか自分が言ってはいけない……というより言ったらとても恥ずかしそうな事を言おうとしていたことに気付き、慌てて続きを飲み込むと、それを本日通算4回目の溜息で誤魔化す。 「………元々、あなたがべた惚れなのはブウサギの方でしょうに」 誤魔化せた、とジェイド自身は思ったものの、にやにやと笑ってこちらを窺っているピオニーの様子からして、あちらにはバレバレのようだった。 「そう来たか。相変わらず可愛くない方のジェイドはつれないな?」 「勝手に言ってて下さい。さぁ、会場に戻りますよ、陛下」 ふいと顔を背けて言う彼の姿は、自覚こそないようだが照れ隠しにしか見えなくて、ピオニーは我慢しきれずに声に出して笑ってしまう。 それによってジェイドが更に機嫌を降下させるのだが、それすら構わず、彼は手入れの行き届いた琥珀の髪をくしゃりとかき回し。 「前言撤回、やっぱ可愛いなー俺のジェイドは!」 慌てた声で腕を振り払おうとするジェイドにめげず、その後もピオニーのからかいという名のいじめは暫く続いた。 +反省+ |