[無題D] 今度はちょっと続きます。 妊娠の一報により、慌しく国民に発表された、皇帝の婚約者の存在。 さすがに一気に騒ぎになりかねないという事で妊娠の事実は伏せられたものの、国民はともかくめでたいと熱狂した。 しかしながら、事実を元から知っていたにしても、宮殿内ではなんともいえない空気が漂いつつあった――――――…。 それは、皇帝の想い人としてある意味有名であった、彼の懐刀―――つまるところ、婚約者たる人物や皇帝本人について、思う所が色々あったからだ。 幼い頃から一緒だったという、慣れ親しんだ関係。 そこから恋愛感情にまで発展するのだろうかと当初は思っていたのだが、それは、ふざけたような口調ながらに瞳はひどく真剣だった皇帝を見ていれば、時間の問題だと思えた。 その上、懐刀―――ジェイドの方も、なんだかんだと言いながら、その皇帝にすっかりほだされていたのだ。 本人は皇帝としての力量は認めているが、云々と小言を垂れるものの、その眼差しはひどく優しくて。 …要は、互いにすっかり好き合っているのが分かっていたからこそ、今更という思いがあったのだ。 軍属であるというハードルはあったのだが、ただの妃以上の能力を持つジェイドが議会に認められるのに、そう時間はかからなかった。 元より口や戦略、施政に関する知識や効果の理解の深さなどを考えれば、ほぼ皇帝と同等の能力を持つのだ。 その上、既に世継ぎを宿しているとくれば、これほど都合の良い相手はいない――――そういった理由から、軍属であるという事実は見事に流されてしまった。 国民には姿は公表されていない婚約者―――ジェイドは、しかし周りの熱狂など聞こえていないかのように、日々同じような仕事をこなし続けていた。 いくら結婚するとはいえ、自分はあくまで軍に所属していて、大佐という役職に就いている。 それをおろそかにするつもりも、ましてや軍を退役する気も毛頭なかった彼女は、妊娠発覚後―――…一度貧血で倒れたあの後も、皇帝やまわりの制止を振り切って職務に復帰した。 意外にも物分りの良かった―――というより、ジェイドを知り尽くしていた皇帝、ピオニーはすぐにそれを了承して、代わりに定期的に王族付きの医者に診せるように、とだけ言ってきて、現在は日常生活に定期健診が加わっている。 こんな状況に変化してからも、ピオニーの行動は相変わらずで、日々ジェイドの執務室に仕事の邪魔をしにやって来る。 恐らくは様子見がてらなのだろうが…最近ではブウサギすら連れ込んでくるものだから、執務室が獣臭くなりつつある。 カリカリとペンを走らせながらも、ジェイドはふと、そんなどうでもいい事を考えていた。 「…………ふぅ」 長く机に向かっていた為に目が疲れてきて、一息付こうと顔を上げたら、時計の針は既に正午を回っていた。 昼食を忘れるお前の為だ、とか何とか理由をつけて、そろそろピオニーが昼食に誘いに(というより連行しに)やって来る時間である。 ついでだから、今日こそはブウサギをつれてこないように進言しよう。 聞きなれた足音が近付いてくるのを察知したジェイドは、そう決心して卓上の片付けを始めた。 あの男が来ると、大抵窓を開けて昼寝を始めたり家畜と戯れ始めたりするから―――いつ書類が飛んでいってしまうか分からない。 「ジェイド、入るぞー」 「許可を取る前から開けてるじゃありませ――…………ん、」 語尾までは言い切れずに、ジェイドは絶句してしまった。 いつものように許可を得つつ勝手に入室してきたのは、予想通りのピオニー9世陛下殿で。 だが、その姿はいつものものではなかった。 いつものように、ちょっと皇帝と宣言するにはありえない、ラフな服装を想像していたというのに―――――…何故か、その姿はまさしく『皇帝』といわんばかりの、きちんと正装した姿で。 突然の趣旨替えか?と、ジェイドは思わず不審の眼差しを向ける。 だがそんな目を向けてくるジェイドなどお構いなしに、ピオニーは機嫌良さそうににこりと笑うと、すたすたと歩み寄ってきて彼女の腕をむんずと掴んだ。 そして、そのままずるずると扉の方に引きずっていく。 「………一体その格好はなんですか?それに、何だか引きずられているような気がするのですが」 妙に様になっているその姿に内心驚きと戸惑いを覚えながらも、それを表に出さないように、努めて冷静な声で尋ねてみると。 「ちょっと付き合え。」 「は?………何、にですか」 実に楽しそうな――――まさしく皇帝ならではの身勝手さに満ち溢れた意味不明の回答に、ジェイドはいやな予感がしつつも質問を重ねる。 いつの間にか軍本部を出て、ピオニーの足はしっかりと宮殿へと向かっていた。 午後からは書き上げたあの書類を提出して、訓練に出なければならないのに――――ただの道楽ならば、今すぐ丸焼きにしてやる。 そんな物騒なことを考えていると、彼が唐突に足を止めた。 「―――――これからちょっとバチカルに行くんだが、お前も連れて行かなきゃならなくなったんだ。」 彼の言葉に疑問符を浮かべながら、立ち止まった場所を確認する。 そこは以前ジェイドが倒れた時に押し込められた、宮殿の奥まった所にある一室だった。 確か、妃用に元からあるという部屋だが――――そこからはやたらと人の気配がする。 ………まさか。 「この前お前の事を公表しただろう?そしたら、会談に連れて来い、と急に言ってきて…な。」 「……!!」 「気乗りしないのは分かるが、頼む!」 ピオニーにとっても晴天の霹靂だったのだろう、良く見れば少し慌てている様子なのが分かり、ジェイドはなんともいえない気分になる。 国家間での公式な訪問、それも友好的なものであれば、パートナーを同伴するのが通例だ。 覚悟はしていたが、しかしこんなに急にそんな事を言い渡されるとは思ってもいなくて―――…正直狼狽してしまった。 これまでキムラスカへは幾度かピオニー付きの護衛としては行った事があるものの、どうにも居心地が悪くなるであろう事は必至。 だが、だからといって断れば、キムラスカ側とのせっかくの関係が硬化してしまいかねない。 選択肢は、最早限られていた。 「―――――…分かりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば」 ぞんざいな物言いでそう言うと、ジェイドはメイドが待ち構えているのであろう部屋の扉を少々乱暴に開けて、入っていった。 ピオニーがこのタイミングの発表でキムラスカが同伴を要求してくるであろう事を狙っていたなどとは、案外鈍い彼女は気付かなかったようだ―――そんな事に内心ほくそ笑みながら。 その後メイドによって着飾られたジェイドは、多くの臣下の溜息を誘うような姿へと変貌した。 彼女達は口々に「大佐のお肌、一度触ってみたかったんです〜」と騒いでばかりで、結局刻限ギリギリに仕上がったのだが――――さすがに用意は手馴れている。 あっという間に出来上がった淑女に、功労者たるメイド達は勿論、見立てたピオニーも感嘆の声をあげた。 「よく似合ってるじゃないか。やっぱり軍服と同じで、群青が似合うな」 「そうですね…大佐はお肌が白くていらっしゃるから―――着慣れている色であるせいもありますけど、他の色よりよっぽどお似合いですわ」 「……………………」 腹を締め付けず、かつあまり体を冷やさないようにと肌とラインの出づらい衣装ではあるのだが―――――…綺麗に整えられた髪とうっすらと淡い紅の引かれた唇、薄化粧を施した美貌だけでも、その魅力は有り余る。 さすがは俺のジェイド、という満足げなピオニーの一言が準備完了の合図となり、メイドは片付けを始めた。 「さ、行くぞ。」 「………はぁ」 自分の姿にはあまり頓着しない性質だが、まぁピオニーが満足しているのだからとりあえず問題はないのだろう。 あちらで待ち受けているものが何であるかも考えずに、ジェイドは大人しくピオニーの後についていった。 +反省+ |