[腕の中]



























ルグニカ平野での大規模な衝突から一週間が過ぎ、何とか落ち着きを取り戻し始めたセントビナーだったが、急遽皇帝が慰問に訪れるという通達が来た為に、再び慌しくなっていた。

「何をしている、目立つ瓦礫だけでも片付けておけ!!」

「はっ…はい!申し訳ありませんっ」

現在、セントビナーの城門脇の壁は少し崩れてしまっている。
タルタロスが走行機能にまで支障をきたしていたせいで、撤退時に船体を制御しきれずに擦ってしまったのだ。
その為、街は外から見ると少しばかり戦の名残のある状態であった。

しかしそれでも、なんとかそれを払拭できるように、と、目立つ瓦礫は片付け、負傷兵は部屋へと戻らせ、どうにか常と変わらない街を演出することに成功した。
皇帝が到着するまであとほんの僅か、という所であったので、グレンは密かに安堵の息をつく。

後の問題は――――――…時折ふらふらと出歩く、一番の重傷者のジェイドだけだ。

どういった理由からかは知らないが、グレンでさえも戦慄を覚える程に皇帝陛下に固着した思いのあるらしいあの男は、軍人としての職務に異様に拘ろうとしている。
こちらがどんなに言い聞かせても、ヒーラーや看護兵がどれだけ優しく諭しても、あの男は全く聞く耳を持たないのだ。
暇さえあれば出歩き、自身の部下の様子を人づてや書簡で尋ね、ようやく部屋に戻ったかと思えば、執務机なんぞに噛り付いて、遠くグランコクマにいる師団の訓練メニューやら戦闘後のアフターケアにまで頭を捻っている。
かちりと隙無く着こなした軍服の下には、見えないだけで実は真っ白な包帯がぐるぐるに巻かれているのだが――――出歩いている分には全く怪我人らしい素振りをみせない。
それでもいつまで経ってもグランコクマに戻れないのは、やはりまだ動かすには無理があるからだった。
しかし、それを差し引いても、彼の回復の早さ(いや、早いというのは錯覚で実際にはやせ我慢をしている可能性もあるのだが)は尋常ではなかったから、遅かれ早かれ戻れるのだろう。
その証拠のように、彼の行動の範囲や活発さは段々と増している。

そんな事実に落胆のような安堵のような、ともかく二律背反的な思いを抱きながら、グレンは城門の見渡せる一室で後ろに手を組み、外を眺めていた。

妙に、落ち着かない。

皇帝が来る緊張感からなのだろうか、先ほどから胸がもやもやとして落ち着かないものだから、父の老マクガヴァンが訝しげな顔をしているのにも気付かないで、グレンは檻の中の猛獣のように、部屋を右往左往としている。
そうしている内に兵の一人から皇帝の馬車が到着したという報告を受け、何故落ち着かないのかという疑問を押し殺して出迎えるべく部屋を出た。







馬車が入り口に到着する頃にはしっかりと待ち構えていたグレンを見るなり、馬車から降りてきた客人―――皇帝は困ったように微笑む。
彼の姿を見るなり深く礼をしたグレンは、顔を上げてその顔と相対すると、少し呆けてしまった。
今年33になったばかりの、若き皇帝。
彼は優秀な部下と自身の実力により、つい先日即位したばかりだ。
しかし、既にその威厳や迅速で適切な対応は既に先帝や歴代の皇帝よりも輝いてみえて、グレンは思わず息を飲む。

「わざわざ出迎えてもらわなくても――――」

「いいえ、これが臣下としての務め。どうかご理解下さい、陛下」

「ああ、わかった、分かったから」

気さくだとは聞いていたが、彼の言葉には承服しかねる。
そう考えたグレンは彼の言葉が終わるよりも先に「それはできない」と突っぱねた。
それを見た皇帝はひらひらと手を振って、尚も言い募ろうとするグレンの言葉を遮ると、辺りをぐるりと見回した。
戦時下とはいえ、セントビナーは駐留兵が増えた事や、先のタルタロスの航行による城壁の破損以外でさしたる変化は見当たらない。
だがそれでも僅かな戦の匂いを察知したのだろう、皇帝―――ピオニーは、苦い笑みを浮かべた。

「ルグニカ戦では本当によく働いてくれたな。グランコクマに戻ってきた兵から色々と聞かせてもらった」

「はぁ…」

何処か浮かない顔のような気もするが、それでも笑みを浮かべているし、何より普段の彼を知らないので判断のしようがない、と思い、グレンは皇帝の言葉に相槌を打つ。
どこか落ち着きの無い視線の動きも、きっと気のせいだ。
その瞳が何を探しているのか…勘付きながらも知らぬふりを通して、グレンは屋敷へと彼を案内する。

「滞在のご予定は2日、との事ですので、部屋をご用意させていただきました。ひとまずそちらへご案内いたします」

グレンが顔色を窺いながらもそう告げると、ピオニーは「いや、」と短く言いながら、軍人の詰め所の方を見やって。

「すまないが、先に兵の様子を見て回りたい。随分痛手を喰らったのもいたのだろう?」

「………はぁ。」

「では行こう」

元より皇帝に逆らえる人間など存在しない。
彼の言葉に二言もなく応じると、宮殿に篭っているとは思えない力強い足取りのピオニーの後を、グレンは急ぎ足でついていった。











――――――ピオニーは、細かい所までよく気の付く人物だった。
ともすれば見逃してしまいそうな箇所にまで目が向き、そこかしこから情報を吸収していく――――そんな彼の姿に、グレンはただただ驚くしかなかった。
戦の当事者達から当時の状況を尋ね、数字ではなく実際に被害の程を確認していくというその作業は、求めれば恐らくいずれは紙の上に淡々と書かれた状態で提出されるものだろう。
しかしそれでも、現場の状況というものを、宮殿からではなく実際に己の目で見ようとしている彼の姿勢は、さしものグレンといえど感銘を覚えた。

(父が手放しで支持をするのが分かる気がする―――――)

兵を見かける度に極々自然にねぎらいの言葉などをかけているピオニーの後ろで、グレンはそんな事を考えていた。



「――――――?」

ふと、住民街の方が少し騒がしいと感じ、ピオニーとグレンはほぼ同時に足を止める。

だが音源は住民街――――尊い身分たる皇帝が易々と向かっていくような場所ではない。
すぐに傍の兵に様子を見てくること、騒ぎを沈静化させてくることを指示するべくきびすを返したら。

「…あ!」

「!?な――――」

傍の兵が呆けた声をあげて皇帝の方を指差すものだから、なんと失礼なことを、という咎めの視線を送ってから、何事かと指の先の姿を追って。
………だがしかし、そこにはいた筈の皇帝の姿がなくて。

「…ッ陛下!?」

驚いてきょろきょろと辺りを見回せば、駆け足にも近い足取りで騒ぎの中心へと向かう皇帝の後姿が、兵の視線の先にあった。
そんな皇帝の姿を慌てて追いかけていくうちに、いつの間にか騒ぎの真っ只中にたどり着いてしまう。
そこは、街の中心からは少し離れた、いわば壁際のような場所。
だが、そこにはなぜか魔物と、槍を片手に対峙するジェイドの姿があった。



「―――――あぁ、丁度良かった」

街の人々の悲鳴や逃げまどう様子とは相反する、暢気な声がピオニーとグレンへとかかる。
状況とかみ合っていない声音と表情だが、しかしそれでも、彼は住民の盾になるような形で立ちはだかり、今にも飛び掛ってきそうな魔物たちへの威圧を続けていた。

そんな魔物の後ろに壁の崩落の跡を見とめたグレンは、脳裏で損壊箇所の報告書の内容を思い出していた。

(早々に直せ、と指示した場所だった筈だが)

グレンは、住民街にこのような穴が空いていては住民の安全が守れない、と、優先的に修繕するように命じていた。

それなのに、申し訳程度に修繕用の道具が置いてあるだけで、まだ手もつけられていない。
そんなことをのんびりと考えていたら、とうとうジェイドとにらみ合っていた魔物が、動きを見せ始めた。

「ッ…住民を避難させてください!それから陛下、あなたも」

戦い慣れているとはいえ、一人で……それも負傷しているジェイドが片付けるには、少々多い数の魔物だというのに、ジェイドはグレンに、グレンの部下に援護を求めるようなことはしなかった。
どういうつもりなのか、ただグレン達には住民を避難させるように求め、魔物の集団へと一人突っ込んでいく。

自分が手助けをするなど癪だが、避難誘導に駆け出した兵の数は戦闘に割くだけの余裕がないし、何よりこの場には皇帝陛下がおわすのだ。
これはもう自分がやるしかない―――――そう思って腰の剣に手をかけた瞬間に、それを勝手にすらりと抜く腕があった。

「―――――陛下!?」

「ピオ…ッ陛下!お戻りくださいと」

グレンの声に振り返ったジェイドが咎めの声をあげるがピオニーは構わず、ジェイドのすぐ後ろから迫ってきていた魔物の一匹に、鋭い一閃を浴びせる。

「この街では負傷兵の方が多くて、これ以上の人員は割けんだろう?俺だって普段から鍛えているんだ、グレンの代わりくらいにはなるだろうさ」

言って、思わせぶりな視線をグレンへと投げかける。
彼のその視線は後方へも向けられているものだから、一体何事かと、グレンはくるりと振り返る。
すると、兵がうまく誘導しきれずに住民が混乱し始めているのが見えた。

―――――なるほど、確かに皇帝ではこの事態に収拾をつけることはできない。
それどころか、皇帝が自ら住民に存在を誇示しては、一体どのような混乱が生じるか。

今でこそ魔物に気を取られて皇帝の出現には気付いていないものの、ここはグレンが戦闘に加わるよりも、ジェイド一人に戦闘を任せてさっさと住民の避難誘導にまわる方が建設的だ。
しかし、ジェイドが酷い手負いでさえなければ、皇帝が手を煩わせることもなかったというのに―――――。

……いや、元はといえば、壁の修繕状況をチェックしなかった自分に非があるのだろう。
ジェイドへの理不尽な怒りが沸いたグレンだったが、しかしすぐに元々の原因が自分のチェック不足にあったことを思い出して、唇をかみ締める。

いつ開くか分からない傷口を庇っているのだろうか、最小限の動作で魔物たちを片付けていくジェイド。
そして、その前方でそんな彼を守るように、豪快に魔物を切り伏せていく皇帝。

ジェイドはともかく、皇帝に剣を取らせるような事態を招いたのは、自分。

「――――早く行かないかっ!」

「は、」

戦闘の合間に飛んだピオニーの叱責に、弾かれたように返事をすると、グレンは混乱した頭のまま、住民の群集へと飛び込んでいった。



















■                           ■




















「―――――勝手の違う武器だと、また戦法も変えないといけないな」

魔物を撃退し終え、血糊を飛ばすように剣を一振りすると、ピオニーは苦笑いを浮かべた。
しかしそれは苦戦した、という笑みではなく、単純に戦法の勝手の違いを実感したが故の苦笑いで、それを承知していたジェイドもまた、似たような笑みで返してみせる。

「一国の皇帝の台詞とは思えませんね」

「……嗜み程度に剣を振るうのは勝手だろう?」

同じように槍を上から下へ、風を切るように振り回したかと思うと、ジェイドの手の中の槍は、光に包まれその姿を解離させた。
その動作は一見すれば流れるような優雅ささえ滲ませていたが、見る者が見れば、何処となくぎこちなさを感じさせるもの。
案の定、すぐに彼の異常に気付いたピオニーが、剣を投げ捨て大股に近づいてくる。

「それにしても―――――…無茶をしてくれたな」

口元こそ笑みの形を作っているものの、その蒼い瞳にはあからさまな怒りが滲んでいて、ジェイドは思わず身構えてしまった。
しかしそれが良くなかったのだろう、包帯でぎっちりと抑えている筈の傷口が、じくじくと痛み出してくる。

そんな僅かな状態の変化まで察したピオニーの笑みが、小さく歪んだ。

「第三師団の者が揃って青い顔をしていたから、一体どれだけの怪我だったのかと思えば」

「…この通り、たいしたものではありませんよ」

「………血の匂いがする」

ジェイドの精一杯の返答には応えず、ピオニーは肩―――ではなく、腰あたりに腕をまわし、ゆっくりと引き寄せた。
腰にまわした腕も、普段の彼の粗野な生活ぶりからは想像もつかないくらい、羽に触れるかのような優しいものだ。
常ならぬ労りようにジェイドは内心驚いたが、しかしそんなそぶりは微塵も見せずに、鉄の笑みを浮かべる。

「魔物の血ですよ」

痛みが大きくなっているから、もしかしたら傷口が開いているのかもしれないが。
しかし事実、魔物の返り血も浴びていたので、その匂いの方が濃い筈だった。

しれっとそう返答してみせたのだが、息が触れそうな程に近くにいる皇帝兼幼馴染たる男は、僅かに乱れた襟や戦闘で破れた軍服の隙間から香ってくる薬品臭と白い包帯に気付いたのだろう。
とうとう笑うことをやめ、本格的に怒りの感情を滲ませ始める。

「……よくもまぁ、そんな嘘が言えたもんだ。副官にはすぐに戻るとか言っておいて、やはりまだ治りきっていないんじゃないか」

「治りきらずとも、もとより大した怪我ではありませんから、すぐに――――――」

「『大した怪我』だから、こうしてセントビナーで足止め食らってたんだろうが」

早口にそう言う彼の語調は、珍しく荒い。
優しい彼のことだから、ジェイドの怪我を心配しての言葉なのだろう。

(全く、難しい注文ばかりをする)

被害は最小限に。
そんなピオニーの言葉を最優先にした結果がこうだったというだけなのに、この「最小限の被害」にすら、彼は渋い顔をして怒ってみせるだなんて。
それはつまり、兵の被害も最小限、かつ自分も極力負傷してはならない、ということではないか。

「―――――即位したら存分にお前を使う、と言っただろう。いつまでここでのんびりしているつもりだった?」

「…それはそれは、失礼いたしました」

今回の訪問は、あまりに長い間グランコクマに戻れない状態が続いていたものだから――――焦れて、様子を見にやってきた、という所だろう。
皇帝という尊い身分の人間の行動にしては褒められたものではないが、身分を抜きにすれば、彼の心遣いは身に沁みる。
腕の中に収められているために感じられる彼の体温も相俟って、皇帝の行動は、ジェイドに普段とは違った感情を呼び起こさせていた。













―――――――そんな二人の様子を、住民の避難を終え、事後処理もあるだろうと戻ってきたグレンは、目撃してしまっていた。
ぴったりと寄り添うその姿は、戦闘後の殺伐とした空気など払拭してしまいかねない程、近づきがたい神聖な雰囲気をもっていて。
思わず入り込むタイミングを逸したグレンは、二人の会話に耳を澄ます。

「……貴方はことごとく、難しい注文をされますね」

「当然だ。――――後ろ盾もなかった俺にとっちゃあ、腹心の部下たちだけが命綱なんだからな。簡単に死なれては困る」

「まるで、私が腹心の一人のような物言いに聞えてきますが?」

「?腹心も腹心だろう、お前。」

何を今更、といわんばかりの声と共に、少しだけ体を離して皇帝はのたまう。
その声色からは、あきらかに驚きと呆れの感情が混じっていたが、ジェイドはそんな皇帝の台詞に言葉を失っているようだった。
そうして、暫らく黙っていたかと思うと、ぽそりと

「……………そう、でしたか」

彼の必死さや勤勉ぶり、皇帝の重用ぶりからすれば、誰の目にも明らかな事実だとばかり思っていた。
それこそ、皇帝はただの『殿下』であった頃から彼を特に腹心中の腹心として信頼していると聞いていたし、彼自身それを自覚してのあの行動や態度なのだと、グレンですら思い知らされたところだった。
なのだが、確認のようにつぶやかれたその台詞が、それらが全て自覚が故の行動ではなかったのだ、と証明してしまった。
それだけ、彼が心の奥底から「腹心の部下」なのだということが改めて証明されてしまって、傍らの皇帝は勿論のこと、端から見ていたグレンまでもが、驚きのあまりぽかんと口を開けてしまう。



隙の無い、抜け目のない、胡散臭い笑みを浮かべるばかりの死霊使い。
その死霊使いの、意外過ぎる素朴な一面――――とでもいうべきなのだろうか。



「そうだったんだよ。―――――ったく、てっきり分かってるものかと思ってたってのに」

「…それは、申し訳ありませんでした」

さしもの皇帝も、どこか照れくさそうに言葉をつないだ。
長い付き合いと聞いているが、彼自身も滅多に見たことのない姿だったのだろう。

そうして、話のキリが良いとでも思ったのだろう、会話を止め、ゆっくりと体に回していた腕を解いていって、くるりとこちらを――――グレンを振り返る。

「……それじゃあ、事後処理は頼んだぞ、グレン」

まるで何事もなかったかのようにすたすたと歩み寄りながら、剣を拾ってグレンへと手渡し、またジェイドの方を振り返る。
その視線の意味にすぐに気付いたジェイドは、グレンに短く「失礼致します」と声をかけ、ピオニーの方へと小走りで駆け寄っていった。
皇帝の声でようやくグレンがいたことに気付いたらしく、振り返った表情は、僅かに驚愕の成分が滲んでいたけれど、走り去る際には、既にいつものジェイド――――いつもグレンが見ている、どこかいけすかない、胡散臭い表情の男へと戻ってしまっていた。









そして2日後。
皇帝の訪問日程が終わり、馬車を見送った後に調べてみたら、グレンも知らぬ間にジェイドもグランコクマへと帰還したことになっていた。
戦闘のこともあり、あと2、3日は安静にしておかなければならない身だったのだが――――…一体誰が帰還を許可したのかなどと、調べるまでもなく。





きっと、嵐のように過ぎ去っていったあの皇帝の隣に、怪我も治りきっていない懐刀が、平然と座っているのだろう。
そんなことが簡単に予想できて、グレンは重いため息を吐くと通常の仕事へと戻っていった。






















+反省+
前半は前々から書いてたのですが、後半が思いつかず…フォルダの中で放置されてました(苦笑)
結局ピオジェ(?)というオチですいませ…これ、これピオジェのところにおくべきかもしんない…!?
でも、気持ちはピオ←ジェ←グレな感じです。私の気持ちは。
あくまでピオジェは上司と部下というか、親友幼馴染というか、なんとも分類し難い、けどすごい近い関係希望。

2006.12.19