[喧嘩の発生から終わりまで] 会議室の空気が、皇帝の一言で凍りついた。 「―――――口が過ぎるぞ、ジェイド・カーティス」 恐ろしく鋭い声で、普段なら絶対に呼ばないフルネームで、ピオニーは斜め向かいに座るジェイドを睨む。 ともすれば不敬とも取れるであろう態度と言動の目立つジェイドだが、幼馴染という関係ゆえか、悉くそれは流されてきた。 …のだが、今回のこの問題はどうあっても彼らの意見は真っ二つに割れていて、そのせいだろう―――珍しく、というより即位して初めて、ピオニーがジェイドの言動を真正面から咎めた。 いつもは二人はタッグを組み、議会に参加する皆を一様に黙らせるのが常なのだが――――勃発寸前にまで迫ってきたキムラスカとの戦については、全く逆の意見となるらしい。 しかも、どちらの意見も的を得ているから―――会議だというのに他の者は下手に口を出せない、という状態だった。 「お言葉ですが、陛下。」 常の彼とは全く別人のような蒼の瞳を静かに見つめ、ジェイドは言葉を紡いだ。 彼の鮮血色の瞳には、ピオニーに対する怒りも呆れも、ましてや恐れの感情も込められてはいない。 真に無感情といえる目で皇帝を見やる懐刀のその視線は、周囲に戦慄を覚えさせる。 無論、そんな周囲には、二人とも目もくれない。 互いに互いをどう納得させるか――――ただそれだけに全神経を集中させているからだ。 「…遅かれ早かれ、キムラスカ軍は陸路を経て、ローテルロー橋の先へ陣を張る。そうなれば、まず真っ先に食料供給源であるエンゲーブを落とすでしょう。」 「……そんな事は分かっている」 「ならば、ローテルロー橋目前にて迎え撃ち、ルグニカ平野での戦いに持ち込むのが有利。全滅は不可能であれ、橋の前で先手を 打って数を減らせば、数で有利なキムラスカと互角の戦いが出来ます。」 すらすらと続くジェイドの説明には淀みがなく、ピオニーも渋面ながらに黙って聞いている。 時折何かを言いたげに口を開きかけるが、しかし言うべき言葉に迷ったのか、結局彼は言葉を発せず。 そんなピオニーの様子を見ながら、一つ小さく息をつくと、ジェイドは、この会議でもう何度も告げた一つの案を提示する。 「――――――だから、艦に搭載されている譜術兵器で橋への到達と同時に一斉掃射を行えば、ある程度有利に事が 運べる、と。私は何度も提言しています。だから、どうかご命令を………陛下。」 会議室は、ジェイドの結びの言葉の後、しんと静まり返った。 参謀総長であるゼーゼマンは、ジェイドの言葉には納得を示しているような仕草を見せるが、しかしピオニーの真剣そのものの顔をみるなりその態度を潜め、ノルドハイム、フリングスも揃って下を向いている。 この会議は、合議制を取りつつも、結局二人の折り合いにかかっているのだ―――――今余計な事を言えば、事態がこじれてしまう可能性がある。 それを重々承知していて、かつ意見も二人同様真っ二つになっていた面々は、ただ黙って、二人のやり取りを見守っていた。 「それは最終的な強攻策だろう。そんな事をしてみろ――――ただでさえ悪いキムラスカとの関係を一層悪くするだけだ。兵力増強、新たな 武器や戦艦の発注―――進軍準備、と取るには十分すぎる調査結果が出ているが、ダアト経由での打診の結果がまだ返って来ていない。 確かに、いずれはやって来るだろうが…時期尚早過ぎる。せめてダアト側からの回答があってからでなければ、問題がある」 「それではこちらの準備も間に合いません!いい加減駄々をこねるのは止めなさい」 さすがに焦れてきたのか――――普段は滅多に崩すことのない皇帝に対する態度さえ忘れて、ジェイドは非難の声を上げた。 本当にギリギリのタイミングなのだ。 それは、ピオニーとて十二分に理解している筈である。 …人員の派遣に関しては、ピオニーのいうタイミングであっても、ギリギリで間に合う。 だが、肝心の陸艦―――タルタロスを含めた数隻の艦が国境での小競り合いで少しばかり損傷していて、その修理や部品の発注をしなければならない。 発注をしたならば、まず間違いなくその情報はキムラスカへと伝わり、あちらもいよいよ本気になって準備を急ぐ事になる。 特にタルタロスには特殊装備が多く、修理にも多くの時間を要するから―――…ダアトがキムラスカに行っている停戦の打診の回答を待っていては、 キムラスカの進軍開始に間に合わないのだ。 キムラスカが以前のように融和的であれば、ピオニーの意見が尤も適当なのだが…昨今政策転換をしたのだろう、段々と硬化しつつある 今のキムラスカ王国が相手では、停戦に応じる可能性は、ほぼ五分五分。 残りの五分―――半分の確率で攻め入られる危険性があるのならば、ジェイドは危険性に対する策を取るべきだと考えた。 のどかなエンゲーブが、セントビナーが――――そして、この美しいグランコクマが焼けるだなんて、想像もしたくない。 その為ならば、艦…タルタロスと自分自身を盾代わりにする事など、造作もない事だった。 元より軍とは自国の民と、皇帝を守るためにある。 それを考えれば、まさしく適切な策だ。 だが、それでもピオニーは首を縦に振ろうとはしない。 ふざけた普段の態度からは想像がつかないが、彼は本当に国を、民を愛しているから。 だからこそ、最後まで停戦という望みを捨てられないのだ。 彼は、本当に優しいから――――――…。 「…………それでも駄目だ!準備開始は認めないッ」 「陛下!?」 かつてないほどに強情な皇帝に目を丸くしながら、ジェイドは盛大な音を立てて机から立ち上がった。 信じられなかった―――――こちらの考えている事など分かっているくせに。 ほぼ間違いなく開戦することだって、分かっているくせに。 優しい気性であることは分かっていたが、こうまで物分りの悪い男ではなかった筈だ。 どうして頷かないのだろう。 「ダアトに使いを送る。その返答次第だ」 「お待ち下さい!ダアトから戻るのを待っていては…っ」 「これにて、閉会とする―――――皆、長らくご苦労だった」 ジェイドの声などまるで聞こえていないかのように、目すら見ずに。 一方的に閉会を宣言すると、そのままピオニーは荒っぽい足音を立てて会議室を飛び出していってしまった。 「大佐」 会議の後、暫くして。 深い溜息をつきながら執務室の扉を開けたジェイドの耳に、自らを呼ぶ声が飛び込んでくる。 精神的に疲れていた為か気配にも気付かずに、驚いて振り返ると…そこには上官であるフリングスが立っていた。 「フリングス少将…」 「すいません、お借りしたい資料があってお伺いしたのですが」 用件を告げると、ジェイドは「どうぞ」と小さく告げて扉を広く開ける。 彼もジェイドと同じ意見なのだろう、求めた資料というのは武器の在庫だとか、進軍準備に必要になるであろうものだった。 「少し待ってください。今探しますので」 ある程度は整理してあるのだが、なにぶん量が量である為に、資料も膨大で探すのが大変だ。 その為に時間がかかる事を暗に告げると、フリングスは急いでないから、と手を振る。 それでも急がねばならない、とジェイドが気持ち急いた様子で手を動かしていると、唐突に彼は口を開いた。 「――――それにしても、先ほどはまるで喧嘩のようでしたね」 「!……ああ、会議の事ですか。…………私も正直驚きましたよ、あそこまで強情な陛下というのも珍しいですから」 唐突に振られた話題に咄嗟に頭がついていかなかったが、それがジェイド自身も驚いた、あの会議での皇帝の様子の事だと分かると、呆れた風を装いながら息をつく。 ジェイドのその態度が装いである事に気付かないフリングスは、尚もあの時のピオニーの様子を想起している。 「てっきり、陛下も賛同なさるのかと思ってました。カーティス大佐も随分意外そうなお顔をされていましたし、やはり陛下らしくない 采配……なのでしょうか」 即位して時が浅く、まだピオニーという人間が理解しきれていない軍の面々が多い。 だが、フリングスはその中でも随分付き合いの長い方に入り、他の軍人よりはピオニーの人間性が分かっている筈だった。 その彼ですら、あの様子には驚いているようで―――自分だけが驚いていた訳ではないのだ、とジェイドは何故かほっとする。 「…分かりません。あの方の采配は、時々私の想像を超えていますから」 フリングスの言うとおり、本当に喧嘩のようだったと自身でも思う。 いくら意見が違えど、あそこまで必死になって説得して、彼が理解を示さない事などなかったのだから。 まるで聞く耳を持たず、一方的に打ち切られて。 自分は『皇帝の懐刀』なんていうご大層な銘を持ちながら、その皇帝と真っ向から衝突して、しかも怒らせて。 全く、彼の意図が分からない。 こんなことは長年の付き合いの中でも初めてのことだったので、内心ジェイドも動揺していた。 もしかして、明日からは懐刀なんていう銘も返上しなければならないのだろうか。 最早、彼の隣という位置は得られないのではないだろうか―――――…。 探し出した書類をフリングスに手渡しながら、漠然とした思いにかられていたら、何処か緊張した風なノックの音が聞こえてきた。 「―――――来客中だというのに。何事だ?」 『申し訳ありません、あの―――――…ピオニー陛下がお見え…なのですが…』 「!」 ドア越しでも表情が容易に想像できる、躊躇いの色を含んだその声に、ジェイドとフリングスは顔を見合わせる。 先ほど意見が真っ二つに割れたばかりの相手の所にやって来るとは――――どういう了見なのか。 『…入るぞ』 先ほどと変わりない、低く不機嫌そうな声。 その声に少しばかり動揺させられている自身に気付きながらも、フリングスと咄嗟に口裏を合わせる。 ピオニーの意向とは逆の事を成す為の資料だ。 見つかればどんな顔をするか分からない。 フリングスもその辺りを心得ていたのだろう、咄嗟にジェイドの机から通常業務の書類を選び出すと、それを上へと重ねた。 「―――――なんだ、来客とはアスランの事か」 「…仕事の件で少しばかり用があっていらしたのですよ。」 少し突き放したような口調でそう告げると、話は聞かないとばかりに机へと足を向ける。 そうして、フリングスともう少し話をしたいから話は後にしてくれないか、と彼へ伝えようとしたら。 「…少しこいつと話がある。席を外せ、アスラン」 有無を言わせない、強い口調。 まさしく皇帝ともいうべき威圧感に満ちたその声に、フリングスが逆らえる筈もなかった。 会議の時と寸分変わらぬ怒りすら湛えた瞳に見つめられて、フリングスは逃げるように退室してしまって―――部屋には、机に 手をかけて座ろうとしたまま固まっているジェイドと、そのジェイドをじっと睨むピオニーの二人だけが残される。 「……………何の御用ですか?先ほどの会議のことでしたら聞きませんよ」 どうせその事だろうと思い、先手を打つ。 そうして二の句が告げぬだろうと冷めた眼差しで彼の方をちら、と見やると、しかし彼の眼差しは相変わらずで、何も言わないまま、こちらへと歩み寄ってきていて。 普段うるさいくらいによく喋り、笑っている男なだけに―――――その表情と行動、それに何も喋らないという状況は、ジェイドですら驚かされた。 「何――――っ」 ダン!! 訝しげに振り返ると、唐突に左腕を掴まれた。 そのあまりの強さに痛みを覚え、ジェイドは振りほどこうと力を込めたのだが…そのまま体を壁へと打ち付けられる。 「………ッく!な、にをっ…!?」 「お前は―――――…」 背中を思い切り打って呻くジェイドに、今度は覆いかぶさるように抱きついてきたピオニー。 痛みに顔を歪めながらも、その謎だらけの行動に、ふと疑問が沸いた。 片腕はきつく握られたままだが―――――もう片方の腕は、どういう訳か離さないといわんばかりにぎゅっと体に絡み付いてきていて、離せない。 一体何のつもりだろう。 そう思って、衝撃であらぬ方向を向いていた顔を、ピオニーが見える位置へと移動させると。 彼は――――彼は、ひどく辛そうな顔をしていた。 意外過ぎる…というより、これまで一度も見たことのなかったその顔に驚いてしまって、ジェイドはまじまじとその顔を見る。 ピオニーは、そんな風にジェイドが見ている事に気付いたかと思うと、ジェイドの顔のすぐ横まで自らの顔を近づけて、見えないようにしてしまった。 そうしてジェイドのすぐ耳元で、掠れた溜息を吐き出す。 その音は、音だけだというのに随分とくたびれて聞こえた。 「………陛下?」 「………………お前は、どうして死に急ぐようなことばかりをする」 ぼそり、と、低く呟かれたその台詞で、ジェイドはピオニーの言葉の意図を概ね理解してしまった。 やっぱり、気付いていたらしい。 ジェイドは納得した様子を見せたが、しかしそれでも、ピオニーはジェイドにぴったりとくっついたまま、離れなかった。 拘束していた左腕を離したかと思うと、今度はその腕をジェイドの頭へと持ってきて、さらさらとした髪を撫でるような仕草を始める。 そんな優しい所作なんて、実の親にだってされたことがなかったものだから――――内心、ひどく動揺した。 「――――お前の意見が正論なのは、俺にだってわかっている。だが、お前はどうして自分を大切にしない?」 「個人よりも集団が。一軍人よりも国家の方が、より重要だからです。だから、私は合理的判断の元であれを進言したのですよ」 「最も火線量が多くて、譜術攻撃に適した装備が全て揃っている艦という条件をほぼ完璧に満たす艦は……タルタロスだけだ。そう 考えると、お前は最前線の一番危険の高い場所に、自ら行きたいと進言したという事になるな」 「…………………ええ。それが戦術的判断です。これが一番有効だと、私も…それに、ゼーゼマン参謀総長も考えていました。」 断言すると、元から剣呑であったピオニーの気配が、益々鋭くなっていく感じがした。 ……怒っている。 口調や態度こそ静かだが、もしかすると会議の時以上に怒っているのかもしれない。 「こういう時、皇帝という地位が嫌になる」 「は…?何を」 「お前に――――死ぬほど危険な目に遭ってこいと。そう、命令しろというのだろう、お前は」 「………何を当たり前の事を」 咄嗟に声が出なくなってきた。 駄目なのだ―――この安心する体温が傍にあると、どうにも決心が鈍ってしまう。 彼が国民の為だというのと同じくらい、自分の身を案じてくれているという事実が、とても嬉しい。 生きたいと―――柄にもなく、願ってしまう。 ――――――いつでも、軍人は未練のないように生きていなければならない。 いつ、二度と帰れなくなるか分からないから。 そして、死を恐れ、命令系統に支障を起こしてはならない。 死への恐怖は、軍人の判断をも鈍らせる。 時にその感情は大切なものとなるけれど、やはり生への未練ばかりでは軍人などやっていられない。 だから今もジェイドの家は生活感がないし、執務室にも私物は置かない。 殆どが軍の支給品で占められていて、ジェイドという個人が使っているものだ、なんて特定できるものはないのだ。 死んだ後、処分するのに苦労しないように。 そして、自分の存在の証を残さないようにする為に。 なまじフォミクリーなどという技術を生み出してしまった己がいては、それこそこの男にとっては災厄でしかないから――――――。 だから、早く、この身を消失させたかった。 輝かしいであろうピオニーの将来の姿の傍に、死霊使いの姿はあってはいけないから。 だから、死への決心を、早く死にたいという自らの願いを、鈍らせないで欲しい。 それなのに………ピオニーはジェイドの思いとは裏腹に、全身で『生』を訴えかけてくる。 「タルタロスでの迎撃は、会議でも言った通り認めない。ローテルロー橋を出てすぐの所を全軍で迎え撃てば、地理上はこちらが有利だ。―――――お前たち第三師団だけが特攻をかける必要なんてないんだ、ジェイド」 「…………しかし」 どもりつつも、何とか反論しようとしたジェイドの口を、一層抱擁を強くする事で中途半端に留める。 人の体温というものに慣れていないこの男を黙らせるには、キスよりもこちらの方が有効なのだ。 「自分から進んで死のうとするな。この部屋も何もかも、まるでお前の匂いがしないのは……いつ死んでもいいようにってことだろう? ―――――止めろ、こんな洒落にもならない事。」 「………………………」 「本気でキレそうになったんだぞ?お前が自分から死にたいだなんて進言してくるから」 先だって出るつもりだったのは、とっくに看破されているだろうと思ってはいたが……まさか隠れた願望まで見抜かれていたとは。 予想外に深いピオニーの推察に、さすがのジェイドも言葉が続かなかった。 「――――…しかし、陛下」 「聞かない」 「……いえ、聞いて下さい。陛下、貴方の未来に、私は必要なのでしょうか?」 久しぶり過ぎる男の体温に、どうやら少々弱さが出てしまったらしい。 気が付いたら、ジェイドの口は、尋ねるつもりのなかった質問を紡ぎ出していた。 その内容に、ピオニーも目を丸くしている。 「…おまえ、何を言ってるんだ」 「ですから、貴方の未来に―――平和になるであろう将来のこの国に、私のような軍人は必要なのでしょうか、と。そう聞いたんです」 一度発してしまった質問は覆せない。 仕方なしに、ジェイドはその問いを明確にした。 本当の所、軍人など関係なしに自分の存在に必要性を感じていなかったからなのだが―――そこは伏せて。 「何を当たり前のことを。必要に決まってるじゃないか。こんなに仕事が早くて有能な、その上口うるさい臣下なんてそうそういないからな」 「………私の存在価値は仕事の早さと口だけですか」 「そうだ。」 彼には、何もかも分かっていたのかもしれない。 その、何処か含みのある笑みを見て、ジェイドは何となく察した。 ジェイドが、フォミクリーを生み出した自分自身をひどく嫌悪しているという事を。 それが分かった上で、こんなふざけたことを言っているのだと―――――そこまで理解してしまうと、もはやこの問い自体も、そして会議で意見が通らなかった事自体もどうでも良くなってしまった。 目の前にあったピオニーの肩に、ぽすんと頭を預けると、そうですか、と小さく答える。 やはり、この体温は苦手らしい。 ひどく心地よくて、律していた自分自身をひどく安心させてしまうものだから。 「さっきは喧嘩みたいだったからな。とりあえずこれで仲直り、って事で」 「…………全く。30過ぎた男同士で喧嘩も何も、あったものじゃありませんよ――――馬鹿馬鹿しい」 ようやくその気配を慣れた穏やかなものへと戻したピオニーに、知らず安堵を覚えながら、ジェイドは苦笑を浮かべてそう吐き捨てた。 +反省+ |