[隠し事なんて通用しない] 祭の折に起こった暗殺未遂の一件では、ジェイドには伝えなかったが、他の色々な事も報告に上がっていて、正直彼のこれまでの軌跡に驚きを隠せなかった。 確かに、一軍人の経歴などが皇族に過ぎないピオニーの元へ逐一報告が入る訳がないのだが、それでもこの事象はもっと早く知りたかった、と、密かに歯噛みする。 それは、フォミクリー研究に関する事だ。 ホドで大規模実験などもやっていたというのに、そこに深く関わっていたジェイドの名は、皇帝の耳には届いていたようだが、さすがにピオニーの耳にまでは届かなかったのだ。 いや…確かに、ジェイドが過去、フォミクリーに関わっていたらしい、という話自体は知っていた。 だが、ここまで深い位置にいて、しかも発案者であったとまでは知らなかったのだ。 当時の名簿を見てみれば、何と同じ配属先にサフィールの名もあって。 皇帝の目を盗んで更に資料を漁ってみた所、ようやく一連の不穏の影―――― そして、ジェイドがあれだけ必死になっていた理由も、知ってしまった。 フォミクリーは、レプリカを作り出す技術だ。 それで、きっとジェイドとサフィールはネビリム先生のレプリカを作ろうとでもしていたのだろう。 人間レプリカを作り出す事に躍起になっていたと分かる、非人道的極まりなかった当時の研究実態に関する当時の報告書を閲覧して、程なくそう直感した。 だが、それを放棄し、研究は封印すると言い出したのもジェイドだったらしい。 そこで思想がサフィールと相対するようになって、そしてサフィールは研究放棄の年と同時に退役した、と記されていた。 どの道この二人がいなければなしえなかった研究という事もあり、あっさりと研究はされなくなったものの、研究ばかりに没頭する彼らの裏で、蠢く影があった。 潤沢過ぎた研究資金、人権を無視した非道な実験、更には、研究資料の運び出しに間に合わなかったからというだけの理由で、島1つを消滅させてしまった、政治的損失。 これら大きなものの裏で、不正な金の流出、人身売買――――――ともかく見るのも耐え難いような単語の羅列があって、ピオニーは正直吐き気がした。 ジェイドがこれらを知っていたかどうかは分からないが、それを生み出した元であるフォミクリー研究を、するべきではないと判断したという事は、即ちこの研究をここまで進めてしまった事を悔いているという事だ。 何でもない風な顔をしてすましている割に、その内側には強過ぎる責任感を秘めているジェイドの事だ、そうした自身の咎が他者に及ぶことが許せなかったのだろう。 そうするのは、自分自身の所業に後ろめたさを感じているからであり、それが例えピオニーではない他の誰かであったとしても、ああして必死になったに違いない。 ――――――あいつは、そういう奴だから。 そう思うと少しだけ寂しかったが、でもジェイドらしい、とピオニーは内心笑った。 「――――…カーティス大尉、ですか?」 「ああ。どんなに間が空いても、2週間に1回くらいは所用でこっちに来てたんだが……アスラン、何か知らないか?」 あの一件以来、ジェイドが殆ど宮殿に顔を見せなくなった。 最初は、恥ずかしさから顔を見せに来れないのか、可愛い奴め、程度に思っていたのだが、こうも長いとさすがに不安になってくる。 とうとう一ヶ月が経過し、耐えられなくなったピオニーは、思わずアスランを呼びつけ、そう尋ねていた。 「そういえば…………部下の話によると、執務室で書物を読み漁っているそうですよ」 どういう理由からかは全く知らないが、急にジェイドを気にかけるようになっていたアスランなら、知っている筈。 そう予測しての問いかけだったが、案の定、澱みない口調で教えてくれた。 「書物を?」 「ええ、随分沢山集めていらっしゃったそうで、マルコ―――大尉の部下も何の本だか分からないと」 フォミクリーに関するものではないだろう、だが一体何を調べているというのだろう? 純粋に気になったピオニーだったが、あの一件による事後処理の仕事が大量に回ってきていた為、とりあえずアスランを下がらせて 仕事へと戻った。 ――――――カリカリカリ… と、暫くは紙の上をペンが走る、規則的な音が響き続ける。 掠れ始めたかと思えば墨壷へとペン先を落とし、そしてまた、似たような言葉の羅列を。 普段は殆どが目を通して判を押すだけの仕事なのだが、今日回ってきたのは、皇帝からの報告書の請求で。 こればかりは己が書くしかない―――――そう判断して、ピオニーは今まさに、どうにかして裏事情に触れないように、微妙に内容を ぼやかして書いている所なのだ。 「…………」 しかし、どうにも集中力が続かない。 一文を書いたかと思うと、またペンを置き、頭をかきながらまた一文を考え、書き足していく。 お陰で字は何処かまとまりがなく、また思考が度々文章を考える事から離れてしまっていく為に、内容も何だか支離滅裂のように感じられた。 「〜〜〜〜えぇい!」 ピオニーは5分もしない内に書き上げることを放棄して、ペンを荒っぽく墨壷へと突っ込んでしまった。 気になることがあるとそちらにばかり気がいってしまって、目の前の事がおろそかになってしまう。 幼少の頃よりそうした性分であった彼は、やはり気になることを先に片付けようと判断し、さっさと部屋を後にしてしまった。 そして、彼がひょっこりと姿を現したのは、なんと軍本部。 その姿には、本部内を移動していた兵は勿論のこと、ジェイドの執務室近くで見張りをしていた兵も目を丸くする。 「……で…!!」 「しー、静かにしろよ。バレるだろ」 人差し指を立てて、見張りに立っていた兵の口を閉じさせると、ピオニーは何処か忍び足でジェイドの執務室のドアへと近付いて行く。 「お、お待ち下さい。ジェイド大尉からは誰も入れるな、と言われておりまして」 「構わん構わん。多分大丈夫だ」 「え…しっ、しかし!」 大事な研究の途中だと仰っていましたし、集中を欠いてしまうような事があっては……等と言っていたようだったが、ピオニーは気にしなかった。 構わずにノブを回す。 ―――――瞬間。 ひゅ、と風が起こった。 「――――――…!!」 「…………………おや?」 何故か喉元に突き付けられた、槍の切っ先。 驚いたピオニーはぴたりと動きを止めたが、驚いているのはジェイドも同様のようだった。 眼鏡の奥の瞳が、僅かに譜石の光で見えなくなっているものの、明らかに吃驚しているのが見て取れる。 王族たるピオニーに槍を向けているというこの状況、しかし当事者同士よりも狼狽してしまっているのは、見張りの兵だった。 だが口を出すことも出来ずに、おろおろとした様子で二人を見守っている。 「――――…これはこれは、失礼しました」 と、ジェイドは何事もなかったかのように槍を下ろした。 途端その槍は光に包まれ、存在が消失する。 「!ジェイド…それは?」 「はい?」 「だから、今、槍が」 消えたんじゃないのか?と言外に問えば、ジェイドは何でもない風に、 「――――――槍を音素に分解して体内に…というか、右腕に取り込んでいるんです。コンタミネーション理論を応用して、武器を 何処でも出せるようにしたいと思って――――少し、これの実験していたんですよ」 更に、先ほど槍を突きつけたのも、突発的な事態にすぐに出現させることが可能か試していたのだ、とジェイドは説明した。 大方礼儀をわきまえない部下の誰かだろうと思っての行動だったので、さすがにピオニーだとは思わなかったようだ。 「しかし殿下とは知らず、失礼いたしました」 「いや、悪いのは俺だから気にするな。……で、どうして今になってそんな研究を?確かに持ち運びは便利かもしれないが、そこまで 肌身離さず持ってる必要なんて」 不思議だといわんばかりの彼の言葉を遮るように、ジェイドはちら、と鋭い視線をピオニーへと向ける。 「殿下。ついこの間命の危険に晒された貴方が、それを仰るのですか?」 はぁ、と小さく溜息をついた。 そこでピオニーは、何かが引っかかる。 こんなに引っかかるような物言いは、恐らくグランコクマで再会してからは一度だってなかったはずだった。 あくまで臣下としての態度を崩さなかったジェイドだから、まさかケテルブルクで相対していたような遠慮のない態度なんて。 しかし、今のジェイドの切り替えしは、まさしく私塾でのあの日々を想起させる。 「あの場では、確かに企みを阻止することができました。 ……しかし、次はどうでしょうか?もしかすると、誰かを人質に取られたり、あの時の私のように、死角を突かれて不意の攻撃を受けるこ とがあるかもしれない。そうした時、すぐにでも攻撃態勢に移る効率的な手法の一つは、武器を手に取る時間の短縮です。」 「…………それで、音素に分解か」 「はい。これならば、丸腰のまま迎撃体制に入っても槍を相手に刺す事が可能ですから」 「――――――ジェイド」 そのために、今までずっと部屋に篭っていたのか? …と聞きたかったけれど、その言葉はすんでの所で飲み込んで、そうか、とだけ言って苦笑した。 そうだった。 自惚れてもいいくらいには、ジェイドは自分の事を気にかけてくれているのだ。 こちらに知られないよう暗躍していたり、単純に戦闘時の合理性を追求する風を装って、次回の襲撃に備えようとしていたりする位だ、きっとそんな地道な努力を続けるくらいには、ピオニーを大切だと思っている。 一瞬でもそれを『誰にでも〜』と考えてしまった自分自身が、少し恥ずかしかった。 「……殿下?」 「いや、やっぱなんでもない。じゃ、頑張れよジェイド」 それでも、まだ何事か――――それが何なのかは分からないが―――を隠しているような感じがした。 瞳が何処か必死そうな色を帯びているのが見えて、ピオニーは密かに閉口する。 …昔から、大事なことは何一つ――――本心だって、一つだって口にしない男なのだから、今更だとは思うのだが。 でも、気になってしまうものは仕方ないし、ここで問い詰めた所で、ジェイドは絶対に口を割らないだろう。 そういう奴なのだ。 だから、変に勘繰っても始まらない。 ひとまず一つ、隠し事を看破してやれた、と素直に喜ぶことにして、ピオニーはその日は大人しく引き下がる事にした。 まだ、時間はたっぷりあるのだから。 +反省+ |