[僕に必要な君、君に必要な僕] カイツール会談の場の警護の為、首都を長く空けても訝しがられないであろう地位――――少将のフリングスが皇帝の到着を今か今かと 待ち構えていたら、刻限ギリギリに、護衛の一人もなしに駆け込んでくる馬車があった。 何事かと構えていれば、そこから現れたのはなんと皇帝で。 ようやくの到着かと胸を撫で下ろし、しかしそのあまりに不自然な到着状況に、首を傾げる。 いくら秘密裏とはいえ、皇帝ともあろう地位の人物が、御者だけを供にここまでやって来る筈がない。 それに、人づてだが確かジェイドと精鋭の一個小隊が護衛として供をすると聞いていたのに、ジェイドの姿もないだなんて。 訝しく思ったフリングスが口を開くより先に、馬車から降りてきた皇帝―――ピオニーがずかずかと大またで歩みよってきて、 何故かフリングスを今にも殺してしまいそうな形相で睨みつけた。 普段はしまりのない笑みを浮かべているので忘れてしまいがちだが、仮にも皇帝の座に就いている男である。 その、今にも人一人くらいは死んでしまいそうな鋭い気配は、王者に相応しい威圧感に満ち溢れていた。 意思に反して思わず足が震えてしまいそうになるのを必死に堪えながら、フリングスは何とか声を絞り出す。 「…へ、陛下、」 「――――――アスラン。俺の護衛はいいから、とりあえず今から街道へ行ってくれ」 あくまで懇願の口調ではあったが、その眼差しは明らかに絶対的な命令だと語っていて、その威圧感から、フリングスは思わずこくりと頷いてしまう。 しかしすぐに我に返り。 「!…しかし、それでは陛下が!」 そう言い返すと殆ど間を置かずして、必死な顔をしたピオニーがそれを遮った。 「ジェイドが……あいつが、そこで戦ってる。証明するものはないが、恐らくは停戦反対派の者だろう――――もしジェイドが止められなかった場合、和平会談も妨害される恐れがある。」 「………陛下」 「すまない。こじつけたような理由だが……ジェイドを死なせたくない。不服かもしれないが、従ってくれないか」 ここまで真剣な顔をしているピオニーというのも、滅多に見られない。 そこまで彼を重んじているのか、と、他の者ならば揶揄するかもしれないが、彼を失うのは大きな損失であるという点においては、フリングスも同意見だった。 皇帝が絶対の信頼を置く腹心であるという事もそうだが、何より彼は軍部には数少ない軍師の役割をもこなせる優秀な人材であったから、ある意味では同階級の軍人よりも貴重な存在なのだ。 皇帝だというのに、どこか懇願するような色を帯びていたピオニーの言葉に是、という返事と共に強く頷いてみせると、ようやくピオニーは僅かに安堵した笑みを浮かべる。 不安感を滲ませてはいないものの、内心はきっと荒れているのだろう―――――その笑みの後、急に無表情になり、それじゃあ頼んだ、と短く言って足早に会談の場へと向かっていった。 陸艦で向かうには目指す街道は狭く、仕方なしに馬で向かった。 馬を急かしながら走って行くと、林のようだった街道は、段々と鬱蒼としてくる。 戦争の為に管理が行き届かず、こんなに見通しの悪い危険な道になっていたとは―――――改めて感じさせられる戦争の影響を悔やみながら、 ふと香ってきた焼け焦げた匂いに眉を寄せた。 木や地面の焼けた独特の匂いに混じった、肉の焦げた匂いと鉄の匂い。 多くの血が流れ、周りを破壊しているであろう光景が容易に想像できて、フリングスは尚も馬を急がせる。 そうしてようやく小さな広場のような場所が見えてきて、その場に何とか青い軍服姿が立っているのが見えて、敵がいるであろう場所に 威嚇射撃を行うよう、即座に後方の弓兵に命じた。 「―――――!?」 段々と視界が開けてきて、その兵がジェイドである事に気付き、即座に彼を援護するような形で前へと立ちはだかる。 何とか暫時の安全を確保したから、と、先ほどの威嚇射撃の効果の程を確かめるべく前方を確認………してみると、目の前は矢の位置も 分からない程に混沌としていた。 「フリン、グス、…少将…」 「カーティス大佐、これは!?」 ジェイドの部隊は殆ど全滅、あるいは生き残った兵も虫の息だった。 その上ジェイド自体も酷い怪我で、群青の軍服は血と交じり合った妙な色合いに染まり、ずっと立っていたらしいその場所は血溜まりができてしまっている。 とっくに倒れていてもおかしくないその怪我にも驚いたが、沢山いたのであろう敵の大半が倒れている事にも吃驚してしまった。 これだけの数を、殆ど一人で倒してしまったのか。 最早フリングス自身が加勢するまでもなく、部下に任せておくだけでものの数分で終わってしまうであろう数しか生き残っていないのを 確認して、フリングスは信じられないとばかりにジェイドを見やる。 と、彼は重傷にも関わらず不敵に笑ってみせると、種明かしをしてくれた。 「―――――少し、大掛かりな譜術で黙らせましたから」 その怪我では随分と無茶なことだったのだろう。 不敵に見えた笑顔が僅かに歪んでいるのを見つけて、フリングスは溜息をついた。 それくらいの無茶をしなければ、彼がこうして今も立っていることが出来なかったのであろうと思えば、表立って責めることができないのだ。 「陛下がとても心配しておられました。ここは私の部下に任せて、カイツールで怪我の処置をしま―――――――…ッ、大佐!?」 「…すいません、貧血みたいで」 そんな事は誰もが見ても明らかだ。 普段は穏やかなフリングスでさえも少し声を荒げたくなるくらいに、ジェイドの容態は酷いものだった。 ふらふらとしながら、立っているのがやっとという感じのジェイドを、とりあえず馬に乗せようと腕を伸ばす。 ジェイドは差し伸べられたその手を取ろうとしたが、自らの血溜まりに足を取られて体が傾いだ。 「…っこの状態だと、お一人で馬に乗せても落ちてしまわれそうですね」 「まぁ、確かに馬に乗るのはあまり得意ではありませんが」 「―――――急ぐので揺れますけど、大丈夫そうですか?」 傾く体を全身で受け止めてやりながら、フリングスは困ったように呟く。 その独り言にも近い言葉に軽口を返したジェイドだったが、己の状態が状態であったせいだろう、軽く流されてしまった。 後に続いた確認にこくりと頷いてみせた途端、傷に障らないようにいやに丁寧に抱え上げられ、馬へと乗せられる。 馬は背に感じられた血の濡れた感覚が嫌だったのだろう、少し身じろぎをしたが、フリングスが宥めたので何とか大人しくなり、 続いて彼も同じ馬に―――ジェイドの後ろへと飛び乗った。 「私は大佐をカイツールにお連れする。後は頼んだぞ」 「「はっ!」」 近くにいた数名が敬礼と共に了承の意を示した途端、フリングスは馬頭を元来た道へと向け、走り出した。 「―――――お帰りなさいませ、フリングス少………!?」 カイツール入り口で待機していた兵が、蹄の音を聞きつけて声を上げた。 だがその声はぱたぱたと垂れる血と、その血の持ち主たる男を見るなり、声なき叫びへと取って代わる。 「ヒーラーと、それからどこか横になれる場所を確保しろ!」 馬から飛び降り、ほぼ同時に落ちるように傾いできたジェイドを抱きとめながら、フリングスは珍しく荒い声で指示を飛ばした。 その声と明らかに危険であろうジェイドとを交互に見た後、待機兵達は蜘蛛の子を散らすように指示内容を遵守すべく走り去っていく。 程なく兵の詰め所にあるベッドが使えるとの一報が入り、フリングスは自らの軍服が血で染まっていくのもかまわず、ジェイドをそこへと運び込んだ。 ――――ヒーラーの話によれば、傷自体はそう深いものでもなかったらしい。 確かに、一番酷かったらしい肩や足の矢傷は深いものだったらしいのだが、ジェイドもむやみに矢を抜いた訳ではないらしく――― 矢傷の上にすぐに止血を施していた為に、ここに到着するまでに悪化する、ということは少なかったようだ。 それでも失血量が凄まじく、意識を失うほどにまでなったのは、その矢に毒が塗られていたかららしい。 しかもその量は、普通ならばとうに致死量だったのだというのだ。 それを聞いたときには、さすがのフリングスも寒気がした。 ――――確かに、会談に遅れないようピオニーを先に行かせて足止めをするという判断は正しいと思うのだが、よもや命の危険に晒されてまで、正体の知れぬ賊と戦い続けるような無謀なことをするなんて。 普段の姿が普段の姿なだけに、そんな無茶をするような人物には到底思えなくて、思わず、解毒薬と鎮痛剤によって眠りについているジェイドを凝視してしまう。 がたん! …と、ちょうど処置を終えたヒーラーとすれ違うようなタイミングで、荒っぽく扉を開ける音が響いた。 「!…ッもっと静かに開け―――――……」 「ジェイドは!?」 「……陛下」 会談を終えてすぐに走ってきたのだろう、ずかずかと無遠慮に詰め所の小さな部屋へと入ってきたのは、ピオニーだった。 どこぞの兵かと思い、たしなめようと開かれた口は、不自然な所で閉じられる。 だがそんな様子にも気づかないくらい、ピオニーはベッドの上のジェイドに気をとられているようだった。 フリングスは小さく咳払いをすると、何とか冷静な声を絞り出して状況を伝えた。 「………………そうか」 「大佐を除いた生存者は、追ってこちらに搬送するように部下には言ってあります……が、それもほんのわずかでしょう」 「あの状況で生き残れるなら、相当な強運だろうな。……分かっていた事だ」 言って、僅かに俯くピオニーの表情は、垂れた前髪でよく分からない。 だが、俯く直前に垣間見えた表情だけで、溢れそうになる感情を必死で抑制しているのが分かってしまったので、フリングスは何も言えずにただ彼の様子を眺めることしか出来なかった。 皇帝らしく、時には冷酷とも思える命を下す彼であるが、その実とても優しい気性であることを、フリングスや他の近しい臣下は、いやという程知っている。 その彼が、殆ど全滅するであろう事が分かりきっていた兵やジェイドを置いて会談の場へと急ぐのは、さぞ辛かったに違いない。 しかも、その見捨てた部隊の長が自らが最も信頼している親友であれば、尚の事。 「―――――ジェイド…すまない」 意識はないというのに、ピオニーはジェイドの眠るベッドへと腰掛けてそんな事を呟く。 ―――――いや、意識がないからこそ、謝罪を口にしているのかもしれない。 彼の意識があるときに言ったなら、謝る必要がどこにあるのだ、と逆に怒り出すだろうから。 唐突に、フリングスはそんなことを思った。 傷が発熱しているのか、額に汗をかき張り付いてしまっている髪を、そこいらの女性がされたなら卒倒しそうな程に丁寧な仕草で払って やっているピオニーのその表情は、伺えはしないが相当ひどい顔をしているのだろう。 大切な人間を、時には切り捨てなければならない。 分かっていて突き進んできた道だとはいえ、やはり辛いものは辛いのだろう。 その恋人にするかのような所作の一つ一つは、まるで普段の態度が嘘のように、労わりと愛おしさに満ちている。 失うのを恐れるかのように、触れる仕草は本当に丁寧で、優し過ぎて――――――見ていられなかった。 「それでは、私はこれで」 「――――ああ」 声だけはなんでもない風に聞こえたが、しかし言葉尻が僅かに震えたのが聞こえてしまった。 だがそれでも、フリングスは知らないふりを通してその場を後にした。 +反省+ |