[なんていびつな愛情かしら] グランコクマに定住するようになってから程なく、陛下直々に与えられた名誉な仕事―――――とどのつまり、ブウサギの世話。 それぞれ、知らない名前や知りすぎて呼ぶのも抵抗がある名前を持つブウサギもいるが、ガイは一週間も経つ頃には、ここでのこの仕事に慣れ始めていた。 (しかし―――――陛下も中々悪趣味というか、なんというか) ぶぃ、と短く鳴いてブラッシングの続きを控えめに促しているネフリーにごめんな、と小さく声をかけながら、ガイは止まっていた腕を再び毛並みにそって動かし始める。 ―――――ネフリーはまだいい。 ゲルダというのが誰なのかは知らないが―――これも構わない。 ルークという名も、まぁ呼びなれているし本人がいないぶん、いいとしよう。 しかしあのディストの本名だというサフィール、それに日々何かと破天荒な皇帝陛下の行動に胃を痛めているフリングス少将のファーストネームであるアスランなんていう名は、どうなのだろう。 ガイは、散歩の時にたまたま彼の名を冠したブウサギを少将の目の前で呼んだ時の反応が、未だに忘れられない。 絶対に、あれは名を呼ばれる度に胃を痛めているのだろう。 一瞬だったが、去り際に顔を青くして腹を抑えているのが見えた。 この分だと(本人には恐ろしくて確認を取ったことがないが)、ネフリーの傍らで次のブラッシングを大人しく待つ、本来のその名の持ち主よりも素直なブウサギに対する風当たりは、厳しいのではないだろうか。 ……いや、むしろいつ焼かれて焼きブウサギにされてもおかしくない。 陛下がもし少しでも留守にするのなら、その隙に何かをしてしまうのではないかと、ガイは真剣にそう思った。 「待たせたな。お前で最後だな?ジェイド」 ネフリーがブラッシングを終え、満足げに窓辺へと移動していくのを見やってから、そのブウサギ―――――ジェイドへと向き直る。 陛下に特に可愛がられている節のあるネフリーと鼻水が常に垂れているサフィール以外のブウサギは、皆似たような首輪をして、いずれも凡庸な顔をしているから見分けをつけづらい。 だが、最近になってこのジェイドを見分けられるようになったので、近頃は頻繁にこのブウサギの名を呼んでやるようにしていた。 ジェイドは、少しだけだが皆よりも古くからいるブウサギのようで―――皆と少し年が離れているのが第一の特徴。 そして、他よりも少し要領が悪い。 あの性悪をそのまま人にしたような中年の名をもらっているとは思えない程、要領が悪いのだ。 えさ箱を奪い合いにならないように丁度良く置いてやっても、ジェイドは他のブウサギ達に一歩遅れてしまい、結果的に食いっぱぐれる事数度。 何かを見ながら歩いていて陛下のコレクションの下敷きになりかけたこと、数度。(ちなみにこの時ガイは自慢の俊足でそれらを全て剣の鞘で叩き払い、陛下の拍手喝さいを浴びた) 特に年齢の関係で鈍足という訳でもない――――むしろ動きは遜色ないほどなのに、何かにつけてぼけている。 だからこそ、ほんの三日ほどで、ガイはジェイドを覚える事ができたのだ。 今日も、やはり少しとぼけた顔をしてこちらを見ている。 自己主張の激しい陛下のペット達の中で、一番大人しいのもこのジェイドだ。 サフィールのように、加減を少し間違えただけで鼻水の乱舞と共にこの世の終わりのような鳴き声を上げるでもなく、少し強めにブラシを当てても身じろぎひとつさえしない。 比較的大人しい方であるあのネフリーでさえ、ブラッシングには少し鳴き声をあげるというのに。 ある意味一番手のかからないブウサギなのかもしれない。 ガイはそんな事を考えながら、最後のブラッシングをすべく、腕を伸ばした。 「あれ」 「――――――どうした?ガイラルディア」 ガイの訝しがるような声を聞いて、それまでよれたシーツの上で武器コレクションの手入れをしていたピオニーが、ぎし、と音を立ててベッドから立ち上がる。 「……いえ、ジェイドに、昨日はなかった痕が」 薄い毛並みゆえに、少しかき分ければ地肌が見える。 その一定の範囲に、何かで軽く引っかかれたような痕が残っていたので、思わず声を上げてしまったのだ。 (まさか、誰かと喧嘩でもしたのか……?人間の方ならまだしも、こっちのジェイドが?) それほど鋭くはないので流血沙汰にはならないが、ブウサギにはひづめがある。 これだけのブウサギがいるのだ、ピオニーが眠っている間や席を外している間に、ちょっとした喧嘩があってもおかしくはない。 そうして真剣にジェイドの喧嘩相手を推理し始めたガイを見やって、ピオニーは苦笑を浮かべると、極々自然な動作でガイの手にあったブラシを奪う。 「……陛下?それは俺の仕事ですよ」 「ジェイドのブラッシングは暫くやらんでいい。やはり一週間やそこらのお前には、まだ早かったみたいだ」 不可解なことを言いながら、「来い、ジェイド」と低く声をかける。 すると、ぶ、と僅かに鳴きながら、ジェイドは大人しくピオニーの傍へと寄っていった。 滅多に鳴かないジェイドのその声に驚きながらも、ガイは視線で質問をぶつける。 「お前のブラッシングの加減が強すぎたんだ。ジェイドは肌が弱いくせに我慢強いから―――――お前のブラッシングが下手くそでも、ずっと我慢していたんだろう」 痛かったろう、と宥めながら、ブラシのより柔らかい面をあて、撫でるように滑らせていく。 最初にネフリーでブラッシングの手本を見せた時よりもずっと丁寧なその所作に、ガイは目を丸くした。 肌が弱いというのもあるのだろうが――――――…しかしそれでも、なんだか納得がいかない。 そんな事を考えていたら、ジェイドのブラッシングの手は休めないまま、ピオニーはなんでもないことのようにぽつりと漏らす。 「ブウサギの名前は適当につけている訳じゃないんだぞ、ガイラルディア」 「………は?」 「―――――――どんなにきつくても、それが人に気づかれる程になるまで我慢をし続ける所、何かにつけて要領が悪い所。……似てるだろう?」 ガイがブラッシングをしても特に顔色の変わることのなかったジェイドは、ピオニーのブラッシングでは気持ちよさそうに目を細めている。 肌を痛めている分随分加減しているのだろう、ブラシを動かす手は、羽に触れるかのような軽さだ。 ピオニー本人は、ネフリーを一番可愛がっているのだと公言してはばからないが…目の前の光景はその公言している内容と矛盾しているように思える。 まるで遠まわしに人間の方の事を言っているような、深い慈みの篭った声音は――――――――…。 首輪の質からして、一番可愛がられているのはネフリーだと思っていたが―――――それは、どうやら違うらしい。 「あとでメイドに薬を届けさせような、ジェイド」 特に痕がひどいところは避けた為にすぐにブラッシングは終わり、長い耳の間をゆったりと撫でながら、ピオニーはそう言ってジェイドに笑いかけている。 ジェイドも大概不器用だが、この皇帝陛下はそのジェイド以上に不器用なようだと、ガイはこの時になってようやく気づいた。 (…本人に言えばいいのにな) ブウサギ越しに、ブウサギのことだとばかりにその思いを公言するピオニーの背中を見ながら、ガイは苦笑を浮かべる。 首輪の質が他のブウサギと一緒なのは、彼なりのカモフラージュのつもりなのだろう。 ネフリーが可愛がられていない訳では決してないが――――――ジェイドへの気の使いようはある意味ネフリー以上。 これでは、まるでジェイドを一番可愛がっていると言っているようなものではないか。 ブウサギだといいながら、もしかすると…いや、間違いなく人間のジェイドの事を言っているのだろう。 「―――――では、そのようにメイドに伝えておきます」 「ああ、頼んだ」 ガイが気づいたことに気づいたのだろう、背中越しに上がった声は、何処か照れくさそうに響いた。 +反省+ |