[そんな顔もするんだね] 「――――――死んでください、と。私が権力者なら、そう言います」 冷たい…いっそ冷酷だとさえ思える声だった。 いや、ジェイドはいつも平坦で落ち着いた声をしていたから、尚のことあの場では冷淡に聞こえたのだろう。 こうして一旦自分自身を落ち着けた今ならそう思えるが、あの場ではどうにも納得がいかなかった。 実際、その直後に俺の元にやって来た、当事者である筈のルークにまで怒鳴ってしまった。 一番辛いのは、あいつなのに。 分かっていて、理解ある友人としての態度を取りきれなかった自分自身に、苛立ちすら覚える。 ――――――アクゼリュスの一件があって以降、ルークは随分とお人よしになってしまった。 大勢の人を殺してしまった、オリジナルルークの居場所を奪ってしまった罪悪感と、不必要な存在としてただ生きながらえることからくる、世界からの疎外感。 生来持っていた優しさの現し方がようやく分かってきた、という部分も大きいが、こうした後ろめたい感情からくるものもまた大きい。 自分の身ひとつで、如何にして罪を償えるか、皆の役に立てるか。 そんな事を考えながら、どうしたら自分の存在の意味を見出せるのか、日々必死になっていたあいつだから―――頭の隅では、ああいった判断をするであろう事は分かっていたのだ。 だけど、どうしても。 その選択を早まらせたであろう、旦那―――ジェイドの一言が、どうしても許せなかった。 生かすならば、レプリカよりオリジナルだとか、どうあがいてもルークかアッシュか、どちらかを犠牲にするしかないだとか。 ルークに死ねといっているようにしか聞こえない言葉の羅列。 あれだけ一緒に旅をしてきて、情も何もなかったんじゃないかとさえ思えた。 もちろん、頭の隅ではジェイドにだって葛藤があった筈だと、分かっていたつもりだ。 だけど、あれだけ無表情にずけずけと言われると、それも幻想なのかと思えてしまって。 ぱたぱたと何事もなかったかのように駆け去っていくルークの背中を見ながら、柄にもなく泣きそうになってしまった俺は、思わず天を仰いだ。 目がじんじんと痛みを訴えている―――――だが、今一番辛いのは、きっとルークだ。 そう思えば、こんな場所で俺ごときが泣いている場合じゃないと思えてきて、何とか耐えられる気がした。 「……ぁ」 どうにか涙の方も収まってきた折、丁度上の渡り廊下に、見慣れた蒼い軍服の男がぼんやりと立っているのが見えて、思わず目を見開いた。 ―――――ジェイドだ。 確かに旦那である、と認識した途端、堪えた涙の代わりのように、何か別のものが零れ出てくるような気がした。 相変わらずの無表情で、ジェイドがぼんやりと手すりにもたれかかっている。 ここで、またいつルークに話しかけられるか分からず、かといってどんな顔をしてあいつに接したらいいのか、心の整理がつかなかった俺は、気付いたらジェイドのいる上の階へと足を向けていた。 渡り廊下への扉を開けて下へと視線をやると、ルークはティアに話しかけていた。 お互いがお互い、どうにもぎこちない表情をしていて、見ているこっちもいたたまれなくなる。 そんな姿を見ていると、また先ほどの感情が胸を燻ってきたから、慌てて息を吐いて自らを落ち着けると、ゆっくりと歩き出した。 静かな教会の建物のの中で、しかも常人よりもよっぽど気配に聡いジェイドが、気配を消してすらいない俺に気付かない筈がない。 だからすぐに気付いて振り返るに違いない―――そう思っていたのだが、どうしたのだろう、どれほど近付いていこうと、ジェイドは振り返らなくて。 そうして残り数メートルという所まで近づいた時に、ようやく、いやにゆっくりとした動作で振り返った。 「……ガイですか」 「なんだよ、気付いてなかったみたいな口ぶりだな」 こいつを目の前にすると、何とか治めた筈の激情がふつふつと蘇ってくる。 冷たい声で、ルークに「死ね」と告げた。 理性では、それが普遍的な合理的判断なのだと分かってはいたが、7年間という短い間しか生きていないルークの人生を何でもないとでもいう風に断ち切ろうとするこの男を目の前にしてしまうと、そんなものは吹き飛んでしまった。 ――――――お前はどうしてそんな事を、平然とあいつに言えるんだ? そう激昂して胸倉を掴もうにも、ジェイドは俺を見ようとはしない。 ただ、何処かぼんやりとした視線を、階下へと向けているのだ。 振り返ってこちらを見たのは、俺の姿を確認して一言呟いた時だけで、それ以降はゆったりと視線を外して、ただ下を――――恐らくは、ルークを見ている。 自ら死ぬことを求めた子どもをじっと見つめる彼の姿は、何だかひどく不釣合いなように見えて。 怒りの感情すら暫時忘れて、俺はルークを見るジェイドの様子をじっと見詰めた。 レンズ越しの瞳はいつもと変わらず、そしてすらりと姿勢の良い背中も変化はない。 だが、そこには何かが―――――あえていうならば、いつものような覇気が足りないような気がした。 「随分怒っていましたね。……まぁ、あなたが育ての親ですから、怒る気持ちも分からないではありませんが」 「………当然だ」 「―――――そうですね。…当然の事でしょうね」 視線は相変わらずルークに向けられたまま。 だが、光の具合でレンズが反射してしまって、一体どんな目であいつを見ているのかまでは分からなかった。 怒りたいのは山々なのだが、今彼に棘のある言葉を投げつけてはいけないような、そんな気がして、俺は怒りを押さえ込んだまま、ジェイドの言葉に適当に相槌を打つ。 「…私は」 いつも淀みなく、途切れることなどなかったジェイドの台詞が、不自然なところで切れた。 何事かと、外していた視線を再びジェイドへと戻した俺は、どうしたらいいのか分からなくなる。 「―――旦那、」 一気に胸の辺りがざぁっと冷えたような感覚がして、怒りが吹き飛んでしまった。 一見すれば、先ほどと変わらない無表情にも見える。 だが、目が。 感情の色など全く見えなかった瞳が、僅かに震えているのが見えて―――。 ―――――泣きそうだ、と。 ほとんど直感的に、そう思った。 よもや30をとうに越えた男がぼろぼろと泣くはずもないだろうに、ルークに死の宣告をした男が泣こうが関係ない筈なのに、俺はどういう訳かひどく狼狽した。 こういった場面は、屋敷時代にはよくあった。 転んで、打った膝やおでこの痛みに、あるいは自分の思うとおりにいかなくて、溢れた感情のまま、幼少のルークはよくぽろぽろと涙を零したものだった。 咄嗟にそれを思い出した俺は、反射的にジェイドの顔を自分の胸に押し付けてしまっていた。 …それは、そういった場面に出くわしたときに、まず俺がやる行動の一つだった。 「………何の真似ですか、ガイ」 「――――――いや、なんか…ルークが泣きそうになった時、よくこうやってたから」 つまりはあんたが泣きそうだったんだ、と暗に告げてしまった事に言ってから気付いて、俺はますます慌ててしまった。 言うつもりがなかったのに、驚きのあまりに本音を言ってしまっている。 胸に押し付けたせいでくぐもった声になっている旦那の声が、少し不機嫌そうで、益々気持ちが錯乱してきた。 俺は、ともかく悪かった、と一言告げて早々に腕を離しジェイドを解放……した。 「………………………ジェイド?」 ………のだが、ジェイドは何故か顔を上げようとしない。 どうしたのだろう――――と疑問を思う前に、今度は押し付けられているだけではない、小さな声が「このままで、」と囁いているのが聞こえて。 その一言に怒りなどがあっさりともっていかれ、その上、下手をすると俺以上にルークのことで考えてしまっていたらしい旦那が、急にいじらしく感じられた。 震えるその肩は、あの場でルークへと言い放った一言を、まるで逆なのだと訴えているのと同義だった。 声もあげず、涙も零さない。 だけど、心は確実にあの言葉とは逆で、俺以上に悩んでいて…そして、その感情の持っていき方が分からないようだった。 ――――――どうしてだろう、放っておけない。 意外な顔を見てしまった事にも内心興奮しながら、俺はしばらくジェイドに胸を貸したまま、突っ立っていた。 +反省+ |