[金の狼 おまけ] 皇帝になってからというもの、ピオニーは弟の助力も得ながら順調に政を執り行っていた。 あの不吉な預言などなかったかのような目覚しい皇帝の活躍に、やがて城内も預言のことを忘れ、ピオニー自身を見るようになっていき、ジェイドはほっと胸を撫で下ろす。 だがそれでも、何の咎もなかった兄を狼へと変貌させた弟への監視は怠らなかった。 ピオニーも止めろというし、弟自身とても反省している、とは聞いているのだが――――…一度反旗を翻した者が、またいつ反抗しないとも限らない。 己の思考は、至極まっとうだと思う。 久々にこなす政に関わる雑務を片付けながら、ジェイドは深いため息をついた。 「―――――どうしたんだ、らしくもない」 「………」 傍らで苦笑を浮かべながらカップを横にそっと置き、ジェイドを手伝っている男が言った。 ―――――ジェイドは気にも留めていないが、その男には気配がない。 いや、ないというより――――『人間の気配』がない、とでもいうべきなのだろうか。 ともかく男―――外見的には青年といった年頃の若い兵は、この城では馴染みがない筈のジェイドに、軽い物言いで話しかけてくる。 彼は、少し前まで弟王子の下にいた使用人の一人だった。 それを、ピオニーに無理を言って軍属の――――ジェイドの直属の部下に変えてもらったのだ。 それというのも、彼がそもそもジェイドの「使い魔」だから。 理由は明かさなかったが、ピオニーも気づいたのだろう、二つ返事で了承してくれ、すぐに使い勝手の良い百年来の侍従が手元に戻った。 しかしながら、この侍従は身の回りの世話をさせるには優秀なのだが…どうにも口うるさい。 今回もその付き合いの長さゆえの洞察力を発揮したのか、見透かしたような目をしてジェイドを見ていた。 「あんたも随分人間じみてきたなぁ」 「は?」 ややあって、使い魔は笑い出し、バシバシと無遠慮にジェイドの背中を叩く。 ジェイドはその理由も分からず、ただ彼のしたいようにさせる――――だが、その表情には正直に不可解だと書かれていた。 侍従は、嬉しかったのだ。 自分の主が、自分を使い魔として扱うようになった頃よりも、ずっと感情が「人間」になってきたから。 侍従―――――ガイがジェイドと出会ったのは、初代ピオニーが崩御して5年程経った頃だった。 元々、ガイは一介の銘刀に過ぎなかった。 幾度となく戦場で戦果を上げた名将たちの手にあったとさえ伝えられる古い刀―――――それが、血と憎しみを吸収し、妖刀となり、やがてガイの主となった人間を狂気に走らせるようになった。 ガイ本人に悪気はなくとも、刀身の放つ気に勝てなかった人間達が、勝手に自らを手にして血を求め、更なる血と憎しみと、悲しみを刀へと染み込ませていき――――――とうとう、その時の持ち主であったガルディオス家も一族全てが滅んでしまい。 あまりに多くの血と憎しみを浴び過ぎたガイは、その折にとうとう姿を変幻出来る妖刀へと進化してしまった。 その上、負の感情ばかりを吸収した為に、力も暴走していて。 守る力の一つの形として刀匠によって生を得たというのに、その行動が矛盾しているように思えて―――――意思とは無関係に人を手にかける日々を送っていたガイは、空しかった。 ―――――お前の名前は、ガイラルディア。 この名はお前の身が折れるその日まで、ずっと持っているものだから―――――大事にしなさい ガイを作り出した刀匠は、自らの作った剣の刀身が折れるその日は、主を守りぬいたその時である事を、常に願っていた。 そんな名匠の手にかかった剣だったからこそ、ガイも意思を持つ妖刀へと変貌したのかもしれない。 だが、ガイの刀身が折れたのは、意味のない殺戮の末に人間に追い詰められ、その身にあらん限りの攻撃を受けた時だった。 幾度とない攻撃の末に刀身にヒビの入ったガイは、変幻する力を失い、その場にただの剣として転がり落ちた。 人々はそこでガイを討伐したのだと満足して立ち去っていったが――――――…それでもまだ、彼は生きていた。 ―――――人々にその身を使われ刃をすり減らされ、力を得てからは疎まれ憎まれ追いやられて、それでもガイは人に感謝していた。 妖刀へと変幻させたのは確かに人の憎しみだったが――――望まぬ殺戮を止めてくれたのは、確かにその人間たちだったのだから。 魔性としては失格ともいうべきこの感情は、ガイにとって何よりのもの。 だからこのまま朽ち果て、ただの剣か、金属の塊になってしまっても構わないと思えた。 だが、そうして薄らいでいきつつあった意識は、完全に消えてはくれなかった。 『―――――――妖しの剣ですか。これは珍しい』 静かな声にふと意識が戻っていくのを感じて―――――ガイはうっすらと目を開ける。 開ける、とはいっても、単に意識を覚醒させただけで、外見上ただの剣に戻っているガイの所作は人にはわからない。 だが。 『気が付きましたか?随分痛手を喰らったようですが―――――はて、何処の妖刀ですか?貴方は』 <は…?> ガイが覚醒したことにも気づいたらしい声の主――――少し街の人間とは違った格好をした男は、剣の柄を持ってガイへと笑いかけた。 長い髪を無造作に編み、黒い服に身を包んだその姿は、昨今急激にその数が減っているという譜術士のものによく似ている。 ガイを持ったまま立ち上がり、片手で眼鏡のずれを直すと、再びその男は口を開く。 <……ガルディオス家の> 『…ああ。そういえば、あそこには名のある刀が一振りあると聞いたことがあります。――――――成る程、確かに貴方は名のある刀匠の作品のようですね』 そうでなければ、これだけの力を持つ妖刀に成長する筈がありませんから。 にっこりと笑った男は、そのまますたすたと歩き出す。 そこでようやく、ガイは自分の落ちていた場所があの街のはずれではなく、その更に外れの、森に程近い沢である事に気づいた。 街の水路から捨てられ、ここまで流れ着いたのだろうか? ヒビの入った刀身がずきずきと痛むのにも構わず、ガイは悶々と考える。 この赤い外套を着た男は、一応人間のようだが――――――なんだか普通の人間とは違う雰囲気だ。 その気配は、どちらかというと自分たち魔物や魔性の類に近い。 そんな男に拾われたということは、一体自分はどうなってしまうのだろう―――――ガイは、ふと不安になった。 ガイは、その気になればこの剣としての姿でも行動できる。 ふわふわと浮き、人に向かっていくことくらいしかできないが―――――自身が剣というカタチであるため、それだけで抵抗できる。 もし悪用されるという事ならば、思いっきり抵抗してやろう。 鬱蒼とした森に入り、この男の家らしき扉を潜りながら、そんな事を考えた。 だが、その後はガイの思っていたこととは全く違っていた。 この男は一体何が目的なのか、ガイを修理してただ傍に置くだけだった。 刀身が修復してしまえば、ガイはいつでも姿を変えて逃亡することができるというのに、だ。 確かに、逃亡した所で戻る場所もなかったが―――――それでも、何も摂取せずとも生きながらえる剣という存在だから、逃亡しても構わなかった。 だけど――――どうしてか、その決意が固まらなくて――――ある日、ガイは変幻して直接この男の前に立った。 「あんた―――――どういうつもりなんだ?俺を修理して」 ああ、そういえばこいつの名前も知らなかった。 問いかけてから、初めてガイはそんな事実に気づかされる。 机に座ったまま何かを書き綴っている男は、そこで初めて、変幻した妖刀を正面からまじまじと見た。 眼鏡越しの紅眼が、不可解そうな色を帯びてガイを映している。 やがてその瞳を僅かに伏せると、男は笑った。 「――――なんででしょうねぇ。魔剣を修理したとて、私には何の利益もありませんしね。その上、貴方は人から排斥された剣。 持っているだけでどうなるか分かったものではないでしょう」 「だったら、どうして」 「分かりません」 きっぱりと、これが当然の答えだといわんばかりに、男は言った。 「妖刀ガルディオス。貴方こそ、何故修理が終わってすぐに、私の元を離れなかったのですか?―――――貴方程の力のある者なら、 この森が普通の森ではないことくらい、気づくでしょうに」 男が窓へと目を逸らすのと同時に、すぅっと、背筋を何かが走る。 この男のせいではない。 これは――――森全体から感じられる「何か」の気配だった。 何をする訳でもない脆弱な力の気配だったが、それがいずれどう変化していくのか、ガイには想像ができない。 そんな、得体の知れない気配だった。 恐らくは極力それが表出しないようにこの男も何かしら対策を講じていたのだろうが、しかしそれだけでは隠し切れない程のこの異様な気配に、どうして気づかなかったのだろう。 この男の知った風な口調とも相まって不思議でならなくて、ガイは目の前の男を睨む。 しかし男は「この気配の主に少々因縁があるだけです」としか答えなかった。 「何が目的だ」 「言ったでしょう、『分からない』と。」 「そんなの―――――!!」 「―――――そんなに理由が欲しいのですか?人の傍らにある事でしか存在意義の見出せない魔剣」 「っ…」 人の手元に戻ることができないガイに、厳しい眼差しでその真理を突いてくる。 そうだ。 俺は、確かに人の傍らに存在し、人に使われることでしか存在意義がない。 だが、俺は俺の持ち主達を悉く滅ぼしてきた。 俺自身のせいではない、とは言えない。 だが、だからといって俺を作った刀匠のせいでもない。 人が俺を壊そうとするのは、人に危害を加える存在だと気づいたからで、それは正当な行動だ。 そのやり場のない思い、今後の事に対するガイの煩悶をこの男は分かっていた上で、何も言わずに傍に置いていたのかもしれない。 「………アンタ、もしかして」 「私は譜術士です。従って貴方を使用することはありませんから、貴方の魔力によって破滅する心配はありません――――― ここに残るつもりならば、勝手にその辺にいればいい」 ガイが男の意図を言葉にしようとしたら、それを遮るように、早口に男が言った。 行き場をなくした魔剣を、どうやらこの男は手元に置いてくれるつもりらしい。 それにしても、なんて不器用な申し出の仕方だろう――――――すました外見に似合わない言葉と態度がおかしくて、ガイはこの時、思わず笑ってしまった。 だが、このやりとりがきっかけで、ガイはこの男を信用できるようになったのだ。 男の名は、ジェイド。 妖刀ガルディオスの、きっと最後になるであろう主の名前だ。 心の中でもう一度だけ復唱して、ガイは小さく笑った。 ―――――――それから10年くらいして、「俺」は正式にジェイドの使い魔として契約を交わした。 これで、ジェイドの制御下に入ったことになったが―――それでも俺には後悔はなかった。 使い魔になった途端、情報を隠す必要がないと判断したのだろう、ぽつり、ぽつりとジェイドが身の上について話をしてくれるようになって、 そして初めて、こいつの孤独の深さを知った。 飄々と笑うこいつは、親友を亡くしても尚、親友との約束を守る為だけに永らえる譜術士だったのだ。 俺の記憶にも鮮明に残っている、あの世紀の譜術使いだと知った時も驚いたが――――あの御伽噺めいた魔物の逸話の真実を聞かされて、一層驚いた。 俺と会った時は実年齢としては40、外見年齢は30程度で止まっていたという。 今10年が経過しているから、実年齢は更に10歳加えられて、50。 外見年齢が30で止まっているにしても若過ぎる外見だったが、これで50歳です、といわれても――――にわかには信じられない。 手入れをしている限り金属腐食も劣化も起きない『剣』の俺はともかく、人間でこんな芸当を見せられると、確かに化け物に見えてくる。 ジェイドはその若さもそうだが、譜陣という譜力向上の為の術を施しているために、瞳の色まで人間離れしているから―――――余計、ただの人間にとって非人間らしく映るのだろう。 俺が知らないと思っているのだろうが、実際、ジェイドは森へ何か目的をもって入り込んできたらしい人間達から、『魔物』だの『化け物』だのと言われていた。 過去形になるのは、森に入ってきた人間が、いずれもジェイドによって始末されたからだ。 ―――――秘匿事項だから、とジェイドは苦笑していたが―――――同じ人間を延々と始末し続け、本物の魔物を監視し続けて何十年も森で生活するというジェイドの生き方は、何故か俺には哀しくみえた。 他ならぬ自分自身が選んだ生き方なのに、どうして憐れまなければならないのか。 ジェイドなら、そう言って静かに怒るだろう。 だけど、段々表情を失っていくこいつを見ながら、俺は思わないではいられなかった。 この男のこの生き方に、早く終わりがきてくれないものかと――――――――。 俺がそんなことを願ってしまうくらい、ジェイドはまるで生きる屍のようで……見ていられなかったのだ。 「あ、」 「おう、ガイラルディアか」 旦那が押し付けてきた雑務を片付け終えて、さぁ執務室に戻って茶でも入れてやるかと思ったところ、資料室から出てきた陛下と出くわす。 あっちもあっちで施政に忙しいのだろう、だが何処か充実した顔をしている新しい皇帝を見て、俺は改めてこの現実をかみ締める。 この皇帝が―――――金の狼と化したこの男がジェイドと魔物のいる森を訪れなかったら、今の俺の充実した毎日も、今の生き生きとした主のジェイドも存在していないのだ。 ジェイドは、壊れない限り不死である俺でさえ長いと感じる「百年」なんていう長い時間を、親友と交わした約束のみを糧に生きてきた。 その約束を果たした後、あいつがどんな行動に出るのか想像がつかないわけではなかったけど――――俺には止める権利も止める術もなくて。 半ば諦めていた最後の主をこの皇帝陛下は生きたまま連れて戻ってきた。 生きていようがいまいが、俺は主とするのはジェイドが最後と決めていただけに、そのジェイドが生きていた事実に、本人の意向はともかく喜んでしまった。 そのジェイドは、しかしこの皇帝と新しく約束をして、また生きながらえると決めたらしい。 いずれ何処かへ消えてしまうのではないかと危惧していた俺にとって、それは嬉しい驚きの連続だった。 「――――――弟の奴が、ジェイドの目が怖い、とか言ってたんだが…お前何か知ってるか?」 「え」 「どうせあいつの事だ、また反抗するんじゃないかとか疑ってるんだろう」 心外だ、という風な声音だったが、ジェイドの意向も、弟の負い目も理解できない訳ではない皇帝は、困ったように笑うばかりだ。 ジェイドの友人だったという皇帝は知らないが、この皇帝はとても聡い。 きっと、俺よりもずっとうまくこの事態を収拾してくれるに違いない。理由もなく、そう信じられた。 「大体陛下の想像される通りだと思いますよ」 最初の一言で、概ね陛下がこの事柄を理解していると察した俺は、陛下にこう返答した。 すると、陛下は「やっぱりそうか」と、低く呟く。 「―――――っと、これ、俺が言った事は内緒にしといてください。旦那に殺されちまう」 「分かっている。ふむ――――ジェイドもなかなか融通の利かない奴だな」 困ってもいないくせに……いや、むしろ嬉しいくせに、陛下はさも参ったという風にため息をついてみせる。 その姿を見やってから、俺は「じゃ、俺戻りますんで」と声をかけて、すれ違った。 きっと、いずれ俺はきつーいお仕置きを喰らう事になるだろう。 だが、それでもこの「新しい日常」が崩れることはないのだ。 刀身が折れかけたあの頃からは想像もつかないような幸せな日々は、そうして今日もつつがなく過ぎていく。 新生マルクト帝国は、今日も平和だ。 +反省+ |