[金の狼 5] 魔物と化したかつての恩師を殺す為―――――ただそれだけの理由で、人との交流を絶ち、親友に先立たれ、孤独に陥ってなお、ジェイドは長く生き続けた。 むなしい、悲しいと思ったことはなかった。 だが、それはとてつもなく苦しい時間だった。 いつ復活するとも知れない魔物の傍で密やかに生活し、封印状態を監視し続け、親友の血族たるマルクト王家には使い魔を送り込み、 魔物に対抗できる程の実力を持った剣士がいつ頃出てくるのか、見守り続けた。 幸いにも、世の中には譜術は絶えたが預言師という職業が残っており、彼らが王家の為に詠んだ預言の一部を聞いて、魔物の復活と初代 皇帝ピオニーと同等の力であろう剣士が生まれてくる頃とも重なっている事が分かった。 又聞きだったので確証はなかったが――――希望はあるのだ、とジェイドに思わせるには十分だった。 自分では、魔物に最後の一撃を加えることができないかもしれない。 そういう思いがあった事と、ピオニーが「自分の子孫に協力させればいい」と約束してくれていた事に、甘えていたのだ。 いくら初代皇帝が約束をしたとしても、その子孫たる彼らは何も知らない。 ジェイドが一人で確実に片付けられれば、彼らはこんな過去の魔物の存在など知らないまま、平和に過ごす事ができるのだ。 そう考えると、ピオニーの血族に協力を求める事は躊躇われた。 例え彼女と刺し違えたとしても―――――ジェイドには帰りを待ってくれている人も帰る場所もなかったので、構わなかったのだ。 100という年月は、それだけジェイドを世の中から置き去りにさせていた。 預言の者、初代皇帝より数えて9人目に『ピオニー』の名を冠した若き王子は、使い魔の報告では、驚く程初代に似た青年だと聞いた。 一度は見てみたいと思ったが、しかし世の中に自分が戻っては余計な混乱を招くだけだと思い、すぐにあきらめた。 自分が森にこもっている間に譜術士はいなくなり、ジェイドを魔物と勘違いした人間を殺す時に譜術を使ったら、ひどく恐れられたのだ。 譜術が使えるとはいえただの人間であるジェイドだが、今の世の中では譜術が使えるというだけで、化け物に分類される。 そんな自分が9代目のピオニーに会い、何を話そうというのだろう。 むしろ、友と同じ顔で『化け物』と罵られるかもしれない。 そう考えると怖くて、接触する事が出来なかった。 使い魔からは、ジェイド一人では無理だと小言を言われた。 魔物を倒したいのなら、ピオニーに助力を願い出るべきだと。 彼なら、わかってくれる筈だと。 だが、それでも彼に協力を請う事は出来なかった。 もうすぐ皇帝になるのだという彼の未来が、下手をすれば潰えてしまう―――――そう考えたら、一層怖くなった。 友であったあのピオニーも、魔物との戦闘が災いして、すぐに帝位から遠ざかって…早くに亡くなってしまった。 魔物との戦いは、国内はもとより内外のいかなる猛者よりも剣の強かったピオニーでさえ、剣を持てなくさせたのだ。 今回もそうなる可能性があった。 そんなことを考え、悶々としていた折――――――唐突に、変化は訪れた。 輝かんばかりの金のたてがみを揺らした狼が、森に入ってきたのだ。 薄暗い森の中ではよく目立つその色は、狼が一歩踏み出す度に僅かな光を反射して煌き、遠目からでもその姿が分かった。 金の毛並みに一瞬目を奪われたジェイドだったが、誰かに呪われ、姿を変えられただけだと思い直し、すぐに森の奥へと戻っていったのだが ……金の狼は、あろう事かジェイドの居住区域にまで迷い込んできて。 そして間近でその姿を見て、言葉を失った。 青の瞳をしていて、狼の姿だというのに気位の高そうな気配――――まるで、かつての友をそのまま獣にしたような彼を、ジェイドは ピオニーと呼び、傍に置くことに決めた。 読心の術を使わずとも感情表現が豊かであった狼のピオニーとの生活は、なかなかに充実していた。 手に取るように言い分が分かり、実に気楽で。 そして、驚くほど戦闘に関する能力が高かった。 狼の姿になっているとはいえ、元々の能力が影響するのに、彼は武器もなしに森に住む魔物を撃退してみせた。 ジェイドはそこに目をつけ、王族ではないだろうが、彼ならあるいは手伝ってくれるかもしれない――――――そう考え、初代ピオニーがジェイドの手元に置いていった剣を彼用に改造する事に決めた。 しかし、それはピオニー王子の弟の出現により、断念した。 狼のピオニーが、本当に『ピオニー』であったことを知ったからだ。 どうして使い魔はこの事実を伝えにこなかったのだろうと思ったら、弟王子のすぐ傍に所在無さげに佇んでいるのが見えて、舌打ちした。 言動から察するに、使い魔はピオニー王子を殺そうと躍起になっている弟王子のストッパーに回っていたのだろう。 しかしながら、彼が驚くほど友に似ていて、驚くほど能力が高かったのは…預言に詠まれていた初代皇帝級の剣士だったからだったとは。 その事実をこの一件で知ったジェイドは、ひどくショックを受けた。 そして同時に、結局の所誰かに甘えようとしていた自分にようやく気がついて―――――…一人で戦う決意を固めた。 一人で戦って、一人で死ねばそれでいい。 ようやく自分の元々の考えに戻って、一人封印の場へと飛び出していったのだ。 「お、ようやく目が覚めたか」 朗々と響いた声は、あのピオニーとは少し違っていたが―――――ひどく耳に心地よい声音だった。 ぼんやりとしている視界に入ってきた姿を見て、ジェイドはふと内心首を傾げる。 姿は、親友とよく似ている男だ。 生き写しのようだが――――どこか違う。 しかし、ジェイドの記憶の中にあるこんな男の名前は、一つしかなかった。 ようやく死ねたのだろうか? そんな事を考えながら横を見たら、見覚えのある光景が目に入った。 「―――――…ここは」 「城だ。改築はしていない筈だから――――お前にも馴染みある光景だろう?」 「…………」 その言葉で、ジェイドは唐突に現実に引き戻された。 ああ、そうだ。 9代目のピオニーと共に、ネビリムを倒したのだった。 ゆっくりと起き上がり、ジェイドは改めて、目の前にいる青年をじっと見る。 「確かに、使い魔の報告通り――――よく似ている。改めて…はじめまして、ですか?ピオニー」 「なんだ、驚かせようと思ってたのに」 ため息をついたその男は、呪いの解けたあの金の狼――――ピオニーだった。 ネビリムにとどめを刺すその瞬間だけ、力の収束のせいなのか―――一瞬、人の姿に戻っているのが後姿だけ見えた。 今この姿になって、しかも城にいるという事は――――大方、あの後弟が呪いを解き、迎えにやって来たのだろう。 だが、こうして真正面から見るのはこれが初めてで…改めて、ジェイドはその似すぎている面差しに驚く。 (しかし、少々熱過ぎる性格が、違いますがね) 単に血族というだけなのだ、全く同じ人間など、いよう筈もない。 思いなおして、ふとジェイドはピオニーの姿に目をやった。 あの場所に到達するまでについたのであろう数々の生傷の痕が、人間に戻った今の姿にも、まざまざと残っている。 その上、あのネビリムと戦った為であろう、左腕は包帯で包まれ、動かないように吊ってあった。 その痛ましい姿が過去の友人と重なって見えて、ジェイドは思わずその腕にそっと手を伸ばす。 「………状態は」 「ああ…2〜3週間もすれば動かせるようになるとさ」 その言葉に、ジェイドは柄にもなくほっとした。 これが昔だったら、治癒師でも呼びつけてすぐに治るものだが―――今は譜術士の悪い噂ばかりがはびこり、治癒術に長けた特別な譜術士である 第七譜術士まで絶えてしまっている。 その上、自分はその第七譜術―――回復の術だけは使えなくて。 ピオニーの大怪我の時、自らの資質の無さをひどく嘆いたものだった。 「――――――なぁ、ジェイド」 ああ、呼びかけ方は良く似ている。 だから、先ほどは夢うつつで、一瞬あのピオニーかと思いかけてしまったのだ。 苦笑しながら、ジェイドはその呼びかけの意味を考えていた。 倒れる前後や、倒れてからの記憶は混濁していて、よく覚えていない。 「……その、あの魔物はもう心臓を貫いた。復活の心配はないのに、どうしてまた封印を?」 ピオニーの問いかけでようやく合点がいって、ジェイドは思わず、ああ、と声を上げる。 「そんな事ですか」 「そんな事って―――――…だって、そうだろう。現に、ぴくりとも動かなかったじゃないか。何もしなくても良かったんじゃないのか」 ピオニーのもっともな意見に、ジェイドはどう返答すべきか考えあぐねた。 オブラートに包んでも良かったが――――…彼は近いうちに施政者となる身。 ここは、あえてはっきりと口にするべきだろうと判断すると、ジェイドは上半身を起こす。 少し体が痛むのは―――――やはり、寿命をとうに過ぎている事と、…… 考えかけて、ジェイドは首を振ってその思考を中断させ、口を開いた。 「――――貴方は、あれが絶対に復活しないとでも思っているのですか?」 「…………………は?」 不可解なジェイドの言葉に、ピオニーは一瞬言葉を失う。 ジェイド自身が言った事ではなかったか。 心臓を貫けば、と 「そうですね……完全な復活の阻止を願うのなら、ピオニー。――――――今ここで、私を殺しなさい」 頭に疑問符を浮かべていたピオニーに、ジェイドはなんでもないような顔をしてそう言った。 しかしピオニーの方は、唐突に言われた言葉に頭が追いつかず、目を白黒させている。 今、誰を殺せ、と―――――? 「……どうしてか、聞いてもいいか」 「あれは私の力を媒体に永らえる魔物です。私が生きている限り、復活しないとも言い切れません。 ……だから、ああして念のために封印を施したのですよ」 「―――――――お前、それでいいと思ってるのか」 「ええ、既に私は陛下との『約束』は守りましたから。…………それに、百年も昔の『譜術士』の存在は無為に隣国を刺激するだけでしょう」 さらりとそういうと、ジェイドは何処に持っていたのだろう――――短剣をすっと差し出して、ベッドの上、ピオニーの目前に置く。 確かに、ジェイドの言う事は尤もだった。 譜術というものが絶えて久しいこの現在では、ジェイドという譜術士――――しかも、文献によれば右に出る者はないとまでいわれた 、最強の譜術使いだったという――――の存在は、関係国との摩擦を招きかねない。 だけど、たった一人で、あの深くて暗い森の中で、初代皇帝との約束を守るためだけに生き続けてきた男の最期が、こんな事で良いのだろうか? 「本当に満足なのか?お前」 「……はい。」 彼は、マルクトの為に、師を魔物に変えてしまった責任を全うする為に、そして国家を憂えた皇帝の為に、その身と精神を削った。 ジェイド自身が魔物と勘違いされ、時によっては罪なき人を手にかけたこともあったという。 その長い時が辛くて、悲しくて。 そして、それから開放されたいのだと言われてしまうと―――――ピオニーもどう答えたらいいのか分からなくなる。 ジェイドの瞳は、暗にそう告げていたのだ。 それだけ、ジェイドは長く生き過ぎた。 人の摂理に逆らったこの生を、早く終わらせてくれと、そう願っているのだ。 「――――――分かったよ」 古風な装飾がされている短剣を手に取ると、ピオニーはその柄をすう、と横に引く。 すると、綺麗に光る刀身が現れて―――――…ジェイドは、どこか嬉しそうにそれを見つめた。 「それで良い。ピオニー、貴方が皇帝として成功することを祈っていますよ」 「…………ジェイド……」 本当に嬉しそうにジェイドが呟くものだから、ピオニーは思わず、息を詰める。 彼は、真実、友との『約束』の為だけに永らえてきたのだ―――――怖いくらいにすっきりとした笑みを浮かべているジェイドを 見ながら、ふとピオニーは、自らの祖たる初代皇帝を羨ましく思った。 (こんなに大切に思われてるのに―――――すぐに死んだっていうアンタは…ジェイドの苦悩なんか、知らないんだ) 深く深呼吸をして、短剣をジェイドの後ろ――――うなじへと宛がう。 ジェイドは既に瞳を閉じ、斬られる覚悟を決めていた。 ひゅん、と軽い音がした。 陽が差し込んでいて明るいこの部屋に、暫時沈黙が訪れる。 そして数秒の後、からん…という、乾いた音が響いた。 「―――――初代皇帝ピオニーが懐刀、ジェイド・カーティス。その首は……もらった」 なぜか、死んだ筈なのにピオニーの声が聞こえてくる。 首を落としたのではなかったのか―――――…床に落ちた短剣には、血の一つもついてはいない。 暫く呆けていたジェイドは、そこでようやく、全く斬りつけられていない事実に気が付き、目を見開く。 「――――…ピオニー!?」 「言っただろう。百年前の譜術士『ジェイド・カーティス』は死んだ。――――――ここにいるのは、ただのジェイドだ」 にっと笑い、ピオニーはジェイドの首へと指を持っていく。 すぅ、とゆっくりと撫でていくそこには、傷のひとつさえない。 「また復活するなら、お前が俺の子孫と一緒に、また倒しに行ってくれればいい。もしお前が死んでいたなら、その技術を選んだ者に伝え ればいい。―――――それじゃあ駄目なのか?」 「………私が死ぬのが一番てっとり早い、と言った筈です」 「だから、もう死んでるだろう。それに、帝位についた時に頼りになりそうな懐刀候補が死ぬのは困るぞ」 「!―――――…いま、なにを」 ジェイドが瞠目してピオニーを見やると、ピオニーはしてやったり、とばかりに満面の笑みを浮かべる。 「明日からお前は、次代皇帝「ピオニー9世」の懐刀だ。」 「………拒否権は」 「ない。自害も禁止な。――――――なぁ、簡単に死ぬとか言うなよ?お前の友達だったっていう俺の祖先も早くに死んだってのに百年も 生きて……寂しかっただろ」 「っ…」 ふ、と小さく笑うピオニーに、ジェイドは一瞬答えに窮する。 その笑みが、印象は違えど友によく似ていたのだ。 まるで――――――初代皇帝から、死ぬなと言われたような…寂しかっただろう、と慰められたような、そんな錯覚に陥る。 いや、違う。ここにいるのはピオニーの名を継いだ友とは違う男なのだ。 死ぬな、といったのはこのピオニー。 約束をしたのは、初代。 「……………」 しかし、そこに更に約束を持ちかけてきたのは、この、目の前のピオニーだった。 もし復活するなら、また倒せばいい。だから、死ぬな。 随分と多くの要求をされたものだが――――――……死のうと随分昔から決めていたのに、その固かった決意を揺らがせるには十分過ぎる言葉だった。 「――――今のマルクトのこと、教えてやるから。その譜術士だっていわんばかりの服もやめだ。これからは今のマルクト軍人の軍服 でも着りゃあいい。―――――…な、ジェイド」 ジェイド、と呼ぶその声は、ある種暗示のようだった。 ジェイドにとって『絶対』だったあのピオニーの声とは違う印象なのに、その声音は無条件に従わせる力を持っている。 (―――――ピオニー、貴方がそう言うのなら) 心の中でだけ、ジェイドは初代皇帝を呼んだ時のような親しみを込めて、目の前の男の名を呼んだ。 「……分かりました。――――――…陛下」 久しぶりに呼ぶ敬称を呼び、ジェイドは深く深く頭を下げた。 ――――――そうして、以降『赤い目の魔物』は忽然と森から姿を消した。 そしてその代わりのように、新しく帝位についたピオニー9世陛下の脇に、赤い目をした軍人がしばしば見られるようになったという。 Fin. +反省+ |