[金の狼 2] 男が辿り着いた家はとても小ぢんまりとした、しかしとても古めかしい感じのする佇まいだった。 藪や木々に隠されて、ともすればそのまま通り過ぎていきそうな程の微かな存在感しか示さない家は、何だか隠れ住んでいるかのような印象を与える。 だが、見た感じでは行動そのものは堂々としているし、周囲を気にしている風でもない。 「さ、汚いですがどうぞ」 そう告げながら戸を押さえて笑う男。 しかし、入れてもらった室内は几帳面そうなこの男らしく、掃除がしっかと行き届いていた。 何が汚いだ、と内心思いつつきょろきょろと見回していると、そこかしこに見慣れぬ道具や装飾品が目に入ってくる。 細やかな飾りや彫り込みがされていたり、よくわからない文字のようなものが刻まれていたり、それらはとにかく歴史と曰くを感じさせるものばかりで。 ―――――その道具たちの独特ともいえる雰囲気で、ピオニーは彼が魔術師なのではないかと思った。 とうに、わずかばかりの呪術以外は使い手の絶えたという魔術。 その魔術を目の前の男が使うのかもしれないと思うと、つい身構えてしまう。 だが男は部屋の異様さにピオニーが驚いたと思ったのだろう、別に害はありませんよ、と苦笑した。 「それに、この家は―――――」 『……?』 更に何かを言おうとし、唐突に口をつぐむ。 何事だろうと顔をあげてみると、男はピオニーを―――――正確にはピオニーの目を、見ていた。 「…あなたの目は海色なのですね」 『え?ああ…』 どこか得体の知れない紅が懐古に細められて、その優しげな様にピオニーは言葉を失う。 「……言葉が通じないので名前も聞けませんし、あなたの事は仮にピオニーと呼ばせてもらいますね」 先程の表情を引っ込めたかと思えば、言葉が通じていないはずだというのに偶然にも同じ呼び名をつけられ、吃驚してしまった。 その顔を見て気に入らないのかも、と思ったのだろう、男は少しばかり窺うような顔をしている。 慌ててぶんぶんと肯定の意を伝えようと動いたら、どうやら伝わってくれたらしく、ほっと胸を撫で下ろした。 「―――――そういえば、まだ名乗っていませんでした。……私はジェイドといいます」 『……ジェイド、か』 ぅう、と唸るような声しか出ないのだが、何とはなしに復唱してみる。 その様子で何となく自分の名を呼ぼうとしたのだろうと察して、男―――ジェイドはまた笑う。 「さて、もう疲れたでしょう。今日の所は間に合わせの寝床しか用意できませんが……ゆっくり休んでください」 言いながら手際よく寝室から毛布を持ってきたかと思えば、暖炉の前に簡易的な寝床を作ってくれる。 元々置いてあったソファの上に毛布を敷いた、という程度のものだったが、丁度体も冷えていて疲れ切っていたピオニーにとっては極上のものだった。 色々なことが一気に起こり過ぎて頭はもはや飽和状態だったが、それらは考えないようにして。 半ば強制的に、ピオニーは眠りへと落ちていった。 結局行くあてもなく、そのままピオニーはジェイドの家に世話になることになった。 自分ではそうとは言わないが、彼は魔術師などではなく研究者か何かのようで、時折本や実験道具の沢山ある部屋に篭っては暫く出てこなくなる。 外へも出かけるが、大抵はサンプル用なのだろうか、薬草を取りに行くか、あるいはその辺りを歩き回って帰って来る、というだけだ。 魔術師が住んでいそうな家に住んでいるというのに、彼は魔術師的なことは一切せず、ただただ実験器具や本を睨むだけ。 そんな彼の日常を見ているうちに、彼が最初の日に言おうとしていた言葉が分かったような気がした。 『……ここって、元々ジェイドの家じゃないのかな?』 そうだとすれば、納得がいく。 立ち振る舞いはまるで科学者だか錬金術師だかのようだから、魔術をまず否定しそうな人種だし、白衣を着て謎の液体をじっと見据えている姿からは、魔術を行使する姿など想像もつかない。 確かにその瞳だけは、まるで何かの力を持っているかのような不思議な雰囲気を感じるのだが――――――それは『紅』という、珍しい色合いだからそうだと感じるだけなのだろう。 すっかり自分自身の呪いの事よりも彼の方に興味が移ってしまっている事実にふと気が付いて、ピオニーは口の端を歪める。 呪術は全く専門外なのですが…と言いながら、親切にもピオニーの呪いについてまで調べてくれているジェイドに対し、なんだか申し訳ない。 そんな事を考えながら、ピオニーは日課となりつつある夕飯の時間を知らせる為に、外へと出た。 最近は、室内で本を読んだりする事よりも外に出かけている事の多いジェイドは、食事の時間などをしばしば忘れて、夜遅くまで帰って来ない事がある。 それで、ついこの間魔物に出くわしてしまい、すんでのところでピオニーが助けに入ったのだ。 魔物など、狼ならではの鋭い牙と、不思議と身についていたすさまじい早さで魔物を翻弄してやれば、すぐに撃退する事ができる。 だがジェイドはただの人間だからそういう訳にはいかない。 そんな事実に唐突に気付かされたピオニーは、以来、夕刻が迫ってくるとジェイドを探しに外へ出かけ、一緒に帰るようになった。 嗅覚も発達している狼の姿であるお陰か、ジェイドの香水の香りだけを頼りに森を歩けば、すぐに彼を見つけることができる。 今日もそうしてすぐに彼の背中を発見すると、わざとがさがさと音を立てながら近付いていった。 『ジェイド、もう夜になるから帰ろうぜ』 うぉん、という飼い犬じみた高い吠え声にしかならないが、そんな呼びかけをしながら彼の横へと張り付く。 いつもならばそこでピオニーの存在に気が付いたジェイドが振り返り、微笑みかけてくれるのだが。 『………ジェイド!?』 「〜〜〜〜〜ッ…」 俯いたままなのを不審に思い、下から覗き込んでみると、ジェイドは浅い呼吸を繰り返し、冷や汗を額に滲ませていた。 自分の体を抱きしめるようにして何とか堪えようとしているのだが―――――その様子は依然ひどく苦しそうなまま。 『ど、何処か調子が悪いのか…!?』 「……だ、大丈夫…」 心配しているのが分かったのだろう、ジェイドはぎこちない動作でこちらを振り返って笑ってみせた。 だが、今にも倒れてしまうんじゃないかというくらいに青白くなった顔で無理矢理に作った笑顔を見せられても、焦燥感が増すだけだ。 そんなジェイドのいつになく弱った様子は、ピオニーを狼狽させるには十分過ぎて。 『と、とにかく戻ろう!動けるか…?』 「………す、すいません、ちょっと待ってもらえば動けるように―――――ッえ、ピオニー!?」 自身の肩をしっかと掴んでいた腕を無理矢理にどかし、ピオニーは強引にジェイドの脇へと入ってきて、そのままぐいっと頭を持ち上げ歩き出そうとしたのだ。 その行動の意図が分かると、ジェイドは大丈夫だから、と何とか自分で立ち上がろうとする。 だがそれすら許さないとばかりに頭を振られて、体の半分以上をピオニーにもたれさせるような形にされてしまった。 「…………………乗れ、という事なんですか…?」 まさか、と思いながらもジェイドがそう呟くと、くるりと振り返って力強く頷いてみせるピオニー。 ここで拒否しても無理矢理にでも引きずっていきそうだ、と今までの行動を見て考えたジェイドは、とりあえずこの場は従っておこう、と大人しくピオニーの背に跨った。 家に着くなり、ピオニーは手際良く(といっても主に口を使っての作業なので、手際というべきなのかは疑問だが)暖炉に木をくべ、火をつける。 その前にジェイドを座らせたので、恐らくは体を温めようとでも考えたのだろう。 一連の動作から彼の意図を読み取ったジェイドは、思わず苦笑する。 先ほどの異常も彼を見ている内にいつの間にか緩和されていたので、尚も気遣わしげな視線を送ってくるピオニーに、大丈夫だとでもいう風に手を振ってみせた。 「本当に大丈夫ですよ。時々―――――本当に時々、ああなるだけですから」 『……本当かよ…?』 いつ体調を崩してもおかしくない生活だったので、いまいち信用ならない。 ピオニーがそんな事を考えているとも知らず、ジェイドは少し疲れた風な溜息をつく。 「古傷があるんです。それが、時折痛むんですよ」 心配しているのが伝わったのだろう、少し躊躇ったようだが、ジェイドはぽつり、とそう呟いた。 「――――――強力な…譜術…、でしたからね。後遺症が残っているんです」 『譜術……って、おま、譜術師と戦ったことあるのかよ!?』 目を丸くしたピオニーを見て大まかな意思を読み取ったのだろう、ジェイドは苦笑を浮かべている。 「はい」 この国ではとうに消えうせ、方々にも数える程度しかいないといわれている魔術師――――所謂、譜術師。 呪術とはまた違った方向性で強力なその術を操る者と戦ったことがあるだなんて。 歴史的な問題もあるのだろうか、随分と苦しい立場にいる彼らが、まさか人を傷つけるなんてことはしないと思うのだが… しかし、事実、ここに譜術を喰らったと言うジェイドがいるのだ。 信じない訳には―――――― 「………!?」 考えている途中で、唐突にジェイドがすっくと立ち上がり、窓をじっと見つめ出した。 何事かと見上げてみれば、いつになく緊張した面持ちで――――声をかける事すら躊躇われる。 だがすぐにこちらへと向き直ると、「この家から出ないで下さいね」と言って自分は家を飛び出して行ってしまった。 『……何があったんだ………?』 不可解な彼の行動に、ピオニーはしきりに首を傾げた。 そして、彼が顔色を変えた要因が部屋に残っていないか、うろうろと見て回る。 相変わらずの妙な調度品と雑貨類で、ものによっては触ったら何かが起こりそうなちょっと怖いものさえある。 しかし部屋の中にあるものにヒントなどある筈もなくて、気になって仕方なかったピオニーは、ジェイドの言いつけを聞かなかった事にして、ジェイドの様子を見に行く事にした。 気配を殺して、静かな足取りでジェイドの匂いを辿って歩く。 広い森なので随分と時間がかかるが、ジェイドに後でねちねちと怒られる事を考えれば安いものだ。 そうしてどれだけ歩いたのかは分からないが―――――段々と金属の擦れるような音が耳へと届いてくる。 複数―――それも武装した人間が、この森へと来ているらしい。 ジェイドは、そんな異変を察知したというのだろうか…? 半ば信じられないという心持で、様子が窺えるような場所まで近付いて、その気配のする方向へと少し顔を出した。 『――――――…あれは!』 少しだけ拓けているその場所には、こちらに背を向けたジェイド。 そしてその対面する位置には、ピオニーの弟と武装した少数の兵が立っていたのだ。 弟自身も剣を手にし、何処か青い顔をしてジェイドを睨みつけている。 「…………貴方は見たところマルクト王族の者、ですね。」 かけた眼鏡を押し上げながら、ジェイドは推し量るような視線を彼へと向けている。 その紅の瞳が自分を映す度に、彼はびくりと震えているようだった。 「話を聞け!………ここに金色の狼がいないか、それだけ答えればいい!」 「!………その狼が何をしたというのですか?」 「預言によれば、ピオ……あれの存在ある限り、近い未来にマルクトが滅ぶと…そういわれているのです。」 "預言"。 その言葉に、ピオニーの金色の耳はぴんと立った。 災厄が降りかかるというのは、狼になることでも弟に銃を向けられることでもなく、マルクトの存亡に関わる事象に巻き込まれるからだというのだろうか。 自分が王になり、在位をしていれば、滅ぶと。 そう思って、弟なりに国を守る手段として自分を手にかけようとしていたのだと考えれば、あの優しい弟の行動にも納得がいった。 「―――――その預言、詳しく教えてはもらえませんか」 弟の話にも動じずに、ジェイドは変わらない声のトーンで尋ねる。 「お前などに誰が言うものか――――その紅い目、どれだけ人を欺こうと私は騙されないぞ!魔物め!!」 「……おや、バレましたか」 「!!やっぱり…!」 「冗談ですよ」 実に楽しそうに、しかし意地悪そうに笑いながら、ジェイドはけろりと言い放った。 わななく彼を後目に、一つ小さく息をつくと、その言葉に一言付け足す。 「しかし、私があなた方に『魔物』と呼ばれたのは事実です。もう…随分昔の話ですが」 『………ジェイド、が…?』 確かに紅い目というのは珍しいが、それだけで魔物などと呼ばれるものなのだろうか。 疑問に感じて、ピオニーは小さく首を傾げる。 「―――――預言の詳しい内容を聞いてはいないようなので、教えて差し上げましょう。 それは表層に過ぎません。実際に同様の滅びの預言が100年前にも詠まれましたが…その時点で、既に回避の策が講じられました。それが成功するかどうかは別として、滅ぶ事と、あなたの兄が王位に就く事とは関係ないんですよ」 「!!…………貴様、……!そんなもの!!」 信じない、とばかりに頭を振る彼に、ジェイドは畳み掛けるように決定的な一言を落とす。 「王族の資料室で過去の資料を探してみなさい。丁度100年前の今日、同じ内容の預言が詠まれ、対策が話し合われた、とある筈ですよ」 「―――――そんな…ッ!!」 「…その預言が再び詠まれたという事は―――やはり、……………ッぅ!?」 独り言のように何かを呟いたかと思うと、ジェイドはがくりとその場に膝を付いた。 苦しそうな息遣いが、ピオニーの耳に届いてくる。 思わず先ほどの光景がフラッシュバックして、ピオニーは自分が出て行ったらどうなるか、という事も考えずに飛び出してしまった。 目を丸くする弟達には目もくれず、荒い呼吸を繰り返すジェイドに鼻先を近づける。 「ピオ…ニ………」 「やはりここに…!魔物と一緒とは、都合のいい―――――」 彼の声が気にならない訳ではなかったが、今は苦しんでいるジェイドの方が大切だったので、聞こえない事にしてジェイドの様子を窺う。 先ほどと全く同じ症状。 やはり、治ってなどいなかったのだ。 内心の押さえられない苛立ちを押し殺して、何とかこの場から移動しなければ、と、ぐいぐい袖を引っ張る。 『ジェイド、大丈夫か!?』 「何を……早く家に……ッ外は………」 『言いつけ破って悪かったよ!でもそれよりッ』 ジェイドが何処か必死な目をして自分を見ていたのが気になったが、それに時間を裂いている余裕がなくて―――――無視しようとした折に、何かぞくりとした感覚が背筋を襲う。 重たげな空気が辺りに漂い始め、寒気もしてきて。 何事かと上を見てみると、木々の隙間から見える僅かな空も、曇ってしまっていた。 「――――――……家に、戻りましょう。あなた方も早く逃げなさい!」 荒い呼吸もそのままに、ふらふらと立ち上がり怒声を飛ばす。 びくりと震えた兵達はその言葉に従い、びっくりして状況がつかめないままでいるピオニーの弟の腕をがっしと掴んで、乗ってきたらしい 馬に乗せ、あっという間に去ってしまった。 「急ぎましょう、ピオニー」 『え?あ、ああ…でもお前…体調は』 ピオニーの疑問を理解したのだろう、ジェイドは少しだけ、悲しそうな顔をした。 「これは、治らないんですよ。師の―――――呪いの傷ですから」 それだけを言うと、ジェイドはすぐに前を見て歩き出してしまう。 すぐに手を貸そうと近寄ったピオニーだったが、レンズ越しの紅がその助けすら拒絶しているように見えて、それ以上近付く事ができなかった。 +反省+ |