[金の狼 1]



























ある小さな国に、それは聡明な王様がいました。
国を愛し、民を愛していた王様は、侵略してくる隣国の兵士に民が殺されていくのを見ていられず、自らが剣を取り、立ち上がりました。
剣には自信のある王様でしたが、やはり僅かな兵士と王様だけでは不利に変わりはなく、どんどん追い詰められていきます。
しかし、それを見かねた王様の友が助けの手を差し伸べた事で、状況は変わりました。
その地で一番の魔術師であった王様の友の力はとても強く、味方も恐れる程だったからです。

そうして何とか国を守りきり、また元の平和が戻ってきたかにみえました。
しかし、戦いの中で王様は友のあまりの強さに恐れをなして、友を森の奥へと追放してしまったのです。

それを恨んだ友もまた王様を憎むようになって、悪い魔術をかけようとしていたので、王様は森へと刺客を送り、魔術師を殺してしまいました。

その後は本当の平和が訪れて、王様も民も、安心して暮らせるようになりました。

ですが、その森では死んだ魔術師の血肉を喰らって魔物になった紅い目の獣が、いつか王様の一族を根絶やしにしようとその瞳を輝かせているのです。















「―――――懐かしいな」

部屋を片付けていた折に見つけた古めかしい絵本を閉じて、ピオニーはふっと笑った。
これは、西の森に入らないように、王族の子どもに恐怖心を与え、森に入らなくする為に作られた絵本だった。
当時それを知らなかったピオニーも、そして腹違いの弟も、この絵本の内容を信じてあの森には入らないまま大人になった。
森の全てがこういう話で溢れていると信じてしまった弟などは、13を過ぎて狩りに出かけるようになるまで、本当に怖がりで森を極端に嫌っていたものだった。

そんな弟とどちらが王になるかで色々と揉めたが、つい先日、とうとう弟がピオニーを王にする事を認めたので、王位継承権を巡る争いはあっさりと決着した。
その為、現在慌しく王子としての部屋を片付け、いつ亡くなるか分からない病床の王に代わりに早々に戴冠の儀の準備を行っている所だった。

こん、こん。

絵本に没頭していた為に全く片付けが進んでいない部屋を見て途方に暮れていたら、控えめなノックの音が聞こえてきた。
この聞き覚えのある、何処か控えめな音。
継承権争いになってからはすっかり疎遠になってしまっていた、弟のノックの音だ。
嬉しくなって、ピオニーは片付いていないという事も気にせずすぐにドアを開けて出迎える。
案の定、片付いていない部屋を見て一瞬彼は絶句したが、すぐに彼の母に似た柔らかい微笑みを浮かべると、手にしていたティーセットを持ち上げて見せた。

「兄さん、お茶でも飲もうよ」

「ああ―――――散らかってて悪いが、」

「どうせ兄さんのことだから、こんなことだろうと思ってた」

ふふ、と赤茶の目を細めると、弟は器用に荷物を避けてテーブルへと辿り着き、ティーセットをそこへと置く。
金茶の髪に碧眼という、父に良く似た容貌――――歴代の王と良く似た容貌を持つピオニーに対して、黒に近い茶の髪に赤茶の目の弟。
片親と育った環境は一緒だというのに、どうしてここまで違うのだろう…と、日々家臣達は首を傾げたものだった。
性格に関しても、激情…といわないまでも、感情が豊かなピオニー、それに相対するようにとても物静かで、しかしその内側には深い思考を持つ弟。
何もかもが正反対で、よく衝突した。
だけれども、今こうしてそんな争いを経ても尚、兄と呼んでくれる弟が愛しくて、ピオニーは自分がとても幸せだ、とつくづく感じていた。

「準備はどうなってるの?」

「……ご覧の通り、まだまだだ。戴冠の儀の方はノルドハイム達に任せてあるから大丈夫なんだが」

「期日まであと一週間無いんだから、暗殺だとか、そういうのにも気をつけないと駄目だよ」

「―――――分かってるさ」

心配性の弟は、こうした事を良く言う。
慣れた手つきでお茶を淹れながらそんな事を言うものだから、なんだか亡くなった母を見ているかのようだ。
苦笑を浮かべると、ピオニーは弟の差し出したお茶を勢い良く飲み干す。
……だが、飲み終えてカップを置いたときに見た弟の表情が気になって、ピオニーは思わず眉を顰めた。
彼は―――――何がおかしいのか、笑っていたのだ。

「………………?」

「―――――言ったじゃないか。気をつけないと…、って」

いつもの笑みを浮かべたまま、弟がそう言ったのが聞こえた。
そうして、それを最後に、ピオニーの視界は唐突に暗転した。



















■                           ■




















―――――次に目が覚めた時には、眼前に真っ青な顔をした侍女がいた。
耳がキンキンと痛む事や、目覚める直前の耳障りな音からして、彼女が叫んだのだろう。
だが、何故?
そう思って、「どうした?」と声をあげようとした所、何故か低い獣の呻く声が聞こえてきた。

「ひぃ……ッ、こ、来ないで…!!!!」

一層顔を青くして後ずさる侍女。
それを不思議に思ったが、今自分は喋った筈なのに、先ほどの呻くような声もまた気になっていた。
随分と近くで聞こえたような気がする。
それに、何故だろう――――視点が少し低い。

ピオニーが首を傾げていたら、とうとう決定的な一言が、彼女の口から発せられる。

「だ…誰か!!ピオニー様のお部屋に狼が………ッッ!!!!!」

言うが早いか、侍女は一目散に部屋を飛び出し、逃げていってしまった。

狼――――?そんなもの…

この部屋には自分しかいないのに、何を言っているのだろう。
嫌な予感がしつつも、それがどうにも信じられず、ピオニーはベッドの傍に置いてある姿見に目をやる。

『――――――…ッ!?』









そこには、確かに狼がいた。
金茶の毛並みに蒼い目をした、大きな狼だ。
確かにこの場所には自分がいる筈なのに、自分がいる筈のこの場所を映しているあの鏡は、狼の姿しか映していない。
という事は、自分は狼の姿になっている、という事で。

嘘……だろう?

半ば放心状態で、ピオニーは今一度瞬きをすると、鏡を見やった。
だがやはりそこに佇んでいるのは大きな狼一頭きりで、それがピオニーへと容赦なく現実を突きつける。

「何処だ、狼というのは!!」

「こっ、こちらです!ピオニー王子のお部屋に…!!」

大声でそんなやりとりをしながら、今度は弟と、先ほどのメイドとが飛び込んできた。
彼の手には、普段狩りで使う猟銃が握られていて―――――――…ピオニーを見た瞬間、にやりと笑う。

『まさか、お前――――――…!?』

あの絵本にあるような凄まじい魔術師は世からすっかりと消えてしまったが、呪術といった程度の奇術を用いる術師は、未だに存在していた。
そんな輩に頼んだのなら、この変貌してしまった姿にも説明がつく。
丁度、彼の淹れたお茶を飲んでから意識が遠のき、そして目覚めたらこの姿だった。
仕組んだのが弟だとすれば―――――…全て、つじつまが合う。

「この…我が兄の部屋に侵入するとは、不届きな狼め!!」

ガゥン!!

『…………ッ!?』

足元に、容赦なく猟銃の弾丸が飛んでくる。
自分の姿を認識してもらえないという事、そして未だ弟のせいだとは信じられない、混乱した心持のまま、ピオニーは夢中で窓まで駆けていくと、その窓枠からひらりと飛び降りた。
―――――とてつもない高さだった筈なのだが、不思議と軽い音を立てただけで大した衝撃もなく着地できて、ピオニーは内心ひどく驚く。
一体なんなのだろう?
そうは思ったが、外にいた多くの兵士が、上から怒号を飛ばす弟、それから突如として現れた金の狼に驚きつつも剣を向けてきた為に、すぐにその思考を中断した。

まずは、逃げなければ。

決断して走り出せば、もはや「人間」が追いつけるようなスピードではなくなった。
自分でも驚く程に軽やかに足が動き、周りの風景がどんどんと流れていく。
狼というこの姿でとりあえず落ち着ける場所を探さなければならないから、勿論町の中にもいられない。
そう思って、真っ直ぐに城門を目指していき、門兵が気付いて剣を構えるよりも先に、その真ん中を走り抜いた。



『………こんな形で自由になるなんてなぁ』

草原が続く、城門を出てすぐの場所でも落ち着ける筈がない。
しかし追いかけてくる人がいないからと少し走る速度を落としながら、ピオニーは苦笑した。

今まで、次期の王ともてはやされて育ち、その環境に息苦しさを感じない訳ではなかった。
だがこれが王族の子としての務めと割り切って、この年まで生きてきて―――――今更嫌だとも言えず、かといって期待の目を向ける国民を裏切る事もできず。
そうしてとうとう、玉座から動く事を許されない立場になると決定した折に、こんな獣の姿に。
しかもそれを成したのが、あの弟だったとくれば、ショックではない筈がなかった。





―――――災厄。

今年の誕生日に詠まれた預言は、こういう事だったのだろうか。
だが、やりようによっては変わる事もある「災厄」だと言っていた。
だから、ピオニーはその災厄を回避できるように、あらゆる事に手を回したつもりだった。
それでもダメだったというのか―――――…
それとも、自分自身そのものが災厄だったのか………

半ば落胆にも近い気持ちで、ピオニーはその毛むくじゃらの肩を落とした。



走り続けていると、とうとう『入るな』と言われていた西の森の入り口にまで来てしまった。
見晴らしの良い場所にいれば、この金のたてがみは目立ってしまうから―――――この森に入るのが、身を隠す妥当な手段なのだろうが…

『絵本まで作ってあれだけ警告してたんだから、それなりに危ないんだろうなぁ』

紅い目の魔物がいる、と言われているこの森。
入ったことのないピオニーには、当然森の中がどうなっているのか分からないし、どんな生き物が待ち構えているかも分からない。

だが―――――ここで夜を明かして、気が付いたらあの世だった、というのも笑えない。
少なからず目に付くこの場所では、狼の存在に驚き、銃を持ち出して撃ってくる可能性が高いから。

『……………』

行くしかない。
よし、と声にならない意気込みと共に、ピオニーはゆっくりと森へと入っていく。
一瞬何か違和感を感じたが、森の中のあまりの暗さと静けさに吃驚していたピオニーは、気のせいだろうとすぐにそれを忘れた。









入って驚いたのは、外から見る以上に、この森は広く深いという事だった。
その上常に霧がかっていて見通しも悪く、夕方でもないというのに異様に薄暗い。
魔物が住む、というのもあながち嘘ではないのかもしれない――――――…どこから何が現れても大丈夫なように、周囲を警戒しながら、ピオニーはゆっくりと休める場所を探して歩き続けた。

だが、さすがに慣れない道を慣れない姿で歩き続ければ、疲れが早くに溜まってくるのも当然で。
気が付けば足取りは随分重くなっていた。
その分、確かに森の奥へと入ってきていたようだけれど―――――気味悪さが増すばかりで、休めそうになかった。
しかしだからといって、今から戻る気力もなく、ピオニーは仕方なしに辺りを見回して休めそうな場所を探した。

『―――――ッ!?』

ようやく、木の根元で何とか丸くなれそうな場所を見つけ出し、そこへと駆け寄ろうとした折。
視界の端に赤い光を見たような気がして、反射的に顔を上げてしまった。

『…………魔物…か!?』

がさり、と、確かに小さな物音がして、ピオニーはさっと木に寄り音源を捜す。
大まかにしか分からないが、自分も狼としてはそれなりに大きい部類に入る筈だ。
それに、疲れてはいるが走るのは早いのだし―――――本当にあの魔物ならば、一目散に逃げてしまおう。
そう思えば少しは気持ちが落ち着いて、少しだけ、姿だけでも確認してみよう、と思い立ったピオニーは、じりじりと音源であろう方向へと歩みを進めて行く。

「―――――誰です!!」

『……………人間!!?』

がさり、と。
今度こそ大きな音を立ててその場に立ち上がり、こちらを睨みつけてきたのは――――――なんと、人間だった。
肩で跳ね返る程度にまで伸びた鷲色の髪をゆらりと揺らし、この薄暗い森の中ではより目立つであろう白磁の肌をした、まだ年若い風な男。
その若い外見の割には妙に落ち着いていて好印象を受けそうなものだが、眼鏡の奥にある血のように紅く禍々しい色をした瞳が、彼を魔物じみた雰囲気に感じさせていた。
事実得体の知れないものを感じたピオニーも、少しばかり及び腰になってしまっているのだ。
どのような者が相手でも、王宮では物怖じなどしたことがなかっただけに、ピオニーは彼こそが魔物なのでは、と頭の端で考える。
しかしそんなピオニーの内心とは裏腹に、男は吃驚した顔のままゆっくりと近付いてきて。

「金の狼とは珍しい――――いえ、違いますね」

『!』

「その瞳、このたてがみ。あなたは人間でしょう?」

『…なんで、それを』

顔にゆっくりと手を差し伸べられたかと思うと、彼は血色の瞳を細めてそう呟いた。
驚きのあまり、言葉が通じない事も忘れてピオニーが返せば、彼はにこり、とそこで初めて表情を露にして微笑んだ。

「このような色彩の狼など、いるとすれば魔物以外にありませんし……何よりあなたには害意もなければ、魔力の質だって違います。少し気を探ってみれば分かる事ですよ」

ピオニーの言った事が分かったのだろうか、彼はピオニーの疑問に的確に答える。

「見たところ、人間に追い詰められた挙句にこの森へと迷い込んできたようですね。こんな奥にまで来ると、安全に休める場所はありませんから―――――今日は私の所へ来なさい」

『え、いいのか?』

「ええ、構いませんよ。誰も訪ねてこなくて退屈していた所ですから」

途端に耳と尻尾をぴんと立ててこちらを見てきたピオニーに、苦笑を浮かべながらそう言うと、彼は先導するように歩き出していった。






















+反省+
うぉお、なんだか慣れてないので滅茶苦茶っぽいですが…!
あともうちょっと続きます。

皆さんの予測どおりの話かな…と思いますよ☆(笑)

2006.8.27