[白金の剣姫] ――――――風でショールが飛ばされないよう、それとなく押さえながら庭に出たマリィの目に、珍しいものが目に入った。 それは、小さな庭に似合いの、少し草臥れた感のある小さなポストに入っていた、一通の手紙だった。 彼女は、元貴族という身分でありながら、かつて仕えられていた者と共に、現在は質素な家で、質素な暮らしをしている。 そんな家に、一通とはいえ手紙が届くことは、実に珍しいことなのだ。 何せ、半ば生き別れのようになってしまった弟以外に、この地で暮らしていることを告げていない為、ここに手紙を寄越してくる人物は限られている。 「…やっぱり、ガイから」 何処となくぎこちない所作でポストから抜き取ったシンプルな封書の差出人には、彼女のかつての家名―――『ガルディオス』と書かれている。 その、随分久しぶりに感じられる名を反芻しながら、マリィはふと苦笑を浮かべた。 ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。 それが、弟の本来の名前であり、そのファミリーネームは、彼女もかつて名乗っていたものであった。 ほんの去年までは、差出人はいつだって『ガイ・セシル』となっていたそれが、こうして本来の名前でやってくるのは、これが初めてのことだった。 ――――本当に、ホドに戻ったのね… マリィは、ふと郷愁と諦念といった感情を、胸のうちに巡らせた。 名実共にマルクト領へ戻り、領主としてホドに戻ることができた弟が羨ましい訳ではないが――――ひとつだけ、このダアトに亡命してしまったが故に悔やんでいる事がある。 父を喪ったあの場所に、かつての名でかつてのように赴くことができない、という事だ。 マルクト国籍を放棄し、流れ上仕方なく、国籍上はキムラスカ国籍を所持することになってしまったマリィは、マルクトの貴族の名であるガルディオスの名を放棄し、『マリィ・セシル』を名乗ることとなった。 同様に、かつて騎士家としてガルディオス家に仕えていたヴァンデスデルカも、ヴァン・グランツと名を変えて、亡命後程なく誕生した妹と共に、現在はローレライ教団、神託の盾騎士団に所属している。 「――――マリィベル様、こんな所においでとは」 いつも何かと忙しく、真昼から家に戻るなんていうことがない人物の声がして、思わずマリィははっとして声のした方を見やる。 「…ヴァン」 案の定、そこにはマリィの本名を知る数少ない人物の一人にして、同居人の一人たる、ヴァンデスデルカ―――…もとい、ヴァンの姿があった。 彼は手紙を手にしていたことよりも、マリィが外に出ていたことに吃驚し、思わず外では絶対に呼ばないその名を呼んでしまったのだろう。 言ってすぐに、何処かばつの悪そうな顔へと変わっていく。 それは本当に僅かな変化で、彼の母親が亡くなって以降は、そんな感情の波に気付くことができるのは、マリィだけとなってしまった。 時間の経過と共に次々と失われていったものを思い起こしながら、しかしマリィは外で本名を呼ばれたことについては言及せず、手にした手紙をひらひらと振って見せる。 「――――手紙よ。ガイから…いえ、ガルディオス伯爵、からの」 晴れているとはいえ、少しばかり風が冷たいこんな日に、用もなく外に出たと知れば、この男が顔には出さずとも怒るのは目に見えている。 それが分かっていた彼女は、手紙を見せることでそれを無理やりに理由としておいた。 「ガイラルディア様から?それは…」 「あの子なりに、気にしているのでしょうね――――…父上の命日のこと」 言いよどんだヴァンの言葉を繋ぐように、しかし、なんでもないことのようにマリィは呟いた。 思い出さずとも、今でも昨日のことのように目に浮かぶ、最期に見た父の姿。 いつでも穏やかに笑って、悠として構えていたあの父は、いつでもマリィの目標であり、憧れであり、自慢でもあった。 その父の亡くなった日――――奇跡とまでいわれた、一日にして終結したホド占領戦の起きた日が、もうすぐそこまで迫っている。 「――――――もう、随分経つのね」 聞こえるか聞こえないか、といった極々小さな声音での独り言だったのだが、小さく歪んだヴァンの表情で、それが伝わってしまったのだと分かった。 ヴァンはしかし、その言葉に答えることなく、「ここは冷えますから」と、マリィに家へ入るよう促した。 だが、そう誤魔化そうとするヴァンの表情も、マリィと似たような心中なのだと、暗に告げていた。 +反省+ |