[準夜] ――――――ジェイド・カーティス。 階級は大佐、第三師団の師団長を務めるマルクト軍のブレインであり、内外から『死霊使い』と恐れられる程に、戦場では強いことで有名な人物である。 また、最近即位した皇帝ピオニー九世陛下の幼馴染としても有名で、彼に遠慮なくものを言うその姿から、『皇帝の懐刀』の異名を持つ。 そんな懐刀――――ジェイドは、今日も今日とて皇帝のお傍に………などという事は決してなく、通常と変わらず軍の雑務をこなしていた。 大した計算も考慮も要さない、機械的に行なえばいいだけの予算配分や軍備の為の段取りが、どうも軍人には苦手なものらしい。 自分の師団のものだけならまだしも、見知った上司や同僚からも頼まれてしまい、ジェイドの机の上は今やあらゆる部隊の予算配分、軍備に関する書類…物資の調達ルートの確認書やら運搬の段取りのメモやら、とにかく色々な書類で溢れかえっていた。 自分の師団の分は――――そう、せいぜいこの書類の山の十分の一程度だ。 「…………全く、こうなることが分かってて言いましたね、あの方は………!」 それもこれも、『適材適所じゃ』というゼーゼマンの厄介な一言から始まったのだ。 まずはゼーゼマン自らが、ぽん、と当然のように第三師団の関係書類の上に、彼の持つ部隊の書類を上乗せした。 それから、いつもは全く笑わないくせに、奇妙な笑みを浮かべたままやって来たノルドハイム将軍が、その横に同じように書類を置き去りにし、その次は申し訳なさそうな顔をしたフリングス少将がやって来て、遠慮がちに、しかしきっちりと書類を置いていった。 そうして集まった、半分以上の軍の予算関係の書類。 これを全部やれというのか。 いくら外に出づらくなった身とはいえ――――嫌がらせにも程がある。 「………適当に配分してやりましょうかね」 半ば自棄になりながら、ジェイドは一人ごちる。 まぁ、言うだけで、そんな事はしないのだが――――ここまで量があると、そして予定外の仕事が舞い込んでくると、自暴自棄にもなりたくなる。 せめてもの救いは、傍らで部下が苦手なりに手伝ってくれていることだろう。 彼もなんだかんだで、ジェイドと同じくらい不眠不休状態で働いてくれている。 「マルコ、休憩して効率を上げることも仕事のうちです。少しは休憩を取りなさい」 「は、ではこれを終えてから――――」 苦笑を浮かべてみせる副官マルコの表情にも、疲れの色が色濃く見えた。 最初から押し付けるつもりでいたのなら、最初から言ってくれれば――――(不本意だが)こちらとてある程度仕事を片付けておいて引き受けるものを。 なんとも、軍人とは妙な所で狡い連中である。 ジェイドの処理能力をもってしても、間に合うかどうか微妙なタイミングで寄越してきて。 よもや皆が皆、揃って同じタイミングで、締め切りまで刻限がそこそこに迫っている折に持ち込んでくるだなんて、誰かの陳腐な陰謀にさえ感じられる。 あるいは、嫌がらせか。 手は休めないまま、そんな取りとめのないことを考えて自分を誤魔化しながら、ジェイドはひたすらに仕事を続ける。 「それでは、大佐」 「ああ、ご苦労」 ふらり、と力なく立ち上がったマルコに一言労いの言葉をかけてやって、しかしジェイドはすぐに机上へと視線を戻す。 「大佐はお休みにならなくても?」 「あと少しだけやってから、きちんと休憩を取りますよ」 「しかし、もう―――」 「マルコ、勤務時間は超過しているから―――休息といわず、もう帰りなさい」 部下の気遣いは嬉しいが、部下にまで残業を命じるつもりはない。 時計を見て定時の勤務時間がとうに終了していることに気付いたジェイドは、疲れの色の濃い副官に、帰るよう命じた。 確かに自分にも休息は必要だが、まだ自分の中でこの程度の疲労は許容範囲内だ。 …仕事の能率もさほど変わらないし、集中さえしていれば、眠くもならない。 しかしこれは、邪魔が入らない、という前提条件の下で初めて発揮されるものだ。 一人になると、図ったかのようなタイミングで現れるどこぞの馬鹿皇帝がいるから――――あれが現れた場合、能率は格段に低下する。 会話や言葉遊びに付き合わされたり、果てはゲームに駆り出されたり。 確かに元々小難しい言葉遊びやボードゲームに興じるのは(相手が相当な阿呆でない限り)楽しいので、嫌いではないのだが――――…それも時と場合による。 我らが皇帝陛下殿は、殊、遊びという分野においては、時と場合とをわきまえない。 ここ数日、あちらのスケジュールも詰まっていた筈だから――――そろそろ飽きて、脱走でもしている頃だろう。 その行く先は、大抵城下かジェイドの執務室、と決まっているから、城下でない限りは傍仕えの者達も無理に皇帝の(無理矢理にもぎ取ったともいえる)休憩時間を、一定時間だけは黙認してくれる。 (…全く、すぐにでも連れて行けばいいものを) 城下であれば捕まるのを承知している皇帝は、あろう事か、もっぱらジェイドの執務室を主な逃げ場とてしまっていた。 +反省+ |