[決戦前夜] 明かりの少ないこの町からだと、夜空に輝く星がよく見える。 騒ぎや大事件がついてまわる、たった三人で構成されているギルド―――【凛々の明星】の語源たる星も、ダングレストで見るときよりも一層輝いているようだった。 その上、住民がまだ少ないためなのか夜は特に静かで、虫の声がやけに大きく聞こえる。 夜の雰囲気だけを見ていれば本当に平穏で、明日世界の命運を分けるであろう大きな戦いが控えているだなんて、俄かには信じがたい。 「――――――あれ、寝なくていいの?」 「……俺は子どもじゃないぞ」 さも当然のようにハリーの気配を察したレイヴンが、くるりと振り返って笑みを浮かべた。 その笑みの先にあるのはうず高く積み上げられた建物用資材があるだけだったのだが、彼はそこにハリーがいることを既に看破している。 早々に降参したハリーは、殊更ゆっくりと物陰から姿を現した。 月明かりの下に姿を現したことで、彼の金茶色の髪が少ない光を反射して薄暗闇でも彼の姿をしっかりと浮かび上がらせている。 半ば世話役であったレイヴンにおいでおいで、と手招きされるまま、ハリーは彼の傍らへと近づいていった。 ――――――名づけられたばかりのこの町…オルニオンは、全てが未完成である。 ほんの数日前まではただの野原だったというのだから、つくづく人間の力というのは侮れないものである。 突貫工事ながらきちんとした町の形を成している、今は夜の闇の中にまぎれている町の全貌を思い出しながら、ハリーは苦笑を浮かべた。 「どしたの?笑ったりなんかして」 「いや、なんていうか―――すげえな、って」 町のことについて返答したつもりでいたが、レイヴンの顔を見ていたらそれ以外の意味でも同じ感想を抱いていたらしい。 思わず、まじまじと「すごい」対象のひとつである男を見つめてしまう。 レイヴン――――物心つく頃には既に祖父のギルド【天を射る矢】に所属していた元・素性不明の男。 見た目だけを見ると、手入れを怠っているのでは、と疑いたくなるようなぼさぼさのくせッ毛を適当に結い上げて、ゆったりとした服に身を包んだ…ありていに言ってしまえば一見怪しいだけの浪人だ。 見た目のせいもあるが、言動や性格も胡散臭いことこの上ない、と昔は常日頃から思っていたのだが、それでも働きはかなりものだ、と、祖父―――ドン・ホワイトホースは彼をギルドから切り離すようなことはしなかった。 身のうちで毒を飼うようなものだ、とギルド幹部の誰かが昔は叫んでいたような気がしたが、ドンの鉄拳制裁でそんな事を言うような輩はいつの間にかいなくなっていて、気がついたらレイヴンは大幹部の一人になっていた。 そしてその頃には、ハリーも素性が分からないとはいえ人となりは信用できるから、と、すっかり彼に気を許してしまっていたように思う。 何か含みがあるのは気になっていたが、それを払拭してしまうほどに面倒見がよく、お人よしだったのだ。 元・素性不明の男は、十年間、ずっと騎士団に所属したままギルドに所属し続け、ハリーたちを騙し続けていた。 今となっては確かめる術がないが、もしかしたら、ドンはそれにも気づいていたのかもしれない。 仮に同じ立場でレイヴンの人となりを知った後だったなら、恐らく自分もドンと同じ様に知らないふりをしたまま懐に抱え持っていただろう。 だから、今更「騎士団に所属していたんだ」といわれても、だからどうした、となんでもない風に返すことができる。 ドンが亡くなった後、少し落ち着いてきた折にやけに真剣な顔でその話を切り出されたとき、実際ハリーは笑ってしまったのだ。 思えば、あの頃から自分の腹は据わってきたように思える。 「ハリーは少し見ない間にしっかりしてきたねぇ」 「そ、そうか?」 「うんうん。会談でのハリー、立派だったわよ〜」 地べたに座ったまま、にっこりと笑いかけてくる彼のこの表情は、いつから見られるようになっただろうか。 ハリーは、ふと、これまでの彼とのやりとりを振り返ってみる。 (…笑うようになったのは、結構経ってからだったな) 幼かったのでしっかりと覚えているわけではないが、少なくともダングレストにやってきたばかりの―――ギルド【天を射る矢】の一員となったばかりの頃のレイヴンは、お世辞にも愛想のいい男とはいえなかった。 服装こそ今のような浪人風ではあったが、眼差しは鋭く、隙のない男という印象だったのである。 それが、数年経つ頃には少し笑うようになり、やがて周囲の空気を変えるほどに振舞えるようになり―――今では、屈託のない笑みを向けてくれるようになった。 数年前に、ようやくハリーはその笑み全てが処世術による薄っぺらい作り物だと気づいて悲しくなったものだったが、今この場で向けている笑みは、そういった薄っぺらさがない。 旅をしている中で、彼は自身を縛り付けていた因縁を断ち切ってきたのかもしれない。 多くを語らないこの男の変化は、きっとそういうからくりだ。 まさかハリーからそんな風に観察されているとは思いもよらないレイヴンは、ただ気の抜けた笑みを向けてくるだけだった。 「緊張してないのか?」 「そうだねえ…特には」 「でも、ここにいるってことは、眠れないんだろ」 普通の人間なら、世界の命運が己の手の中にあると思えば気分も落ち着かないものだろう。 そう思って尋ねると、レイヴンは一瞬だけ目を丸くすると、すぐに弾かれたように笑い出してしまった。 「緊張してるっちゃあ、してるけど。でも眠れない程じゃないのよホント」 「じゃあ、どうして」 問いを重ねると、彼の笑みが急に穏やかになった。 今まで見たことのない、妙に年齢相応の落ち着いた顔―――多分これが、普段おどけた口調や表情で隠している素なのだろう。 「――――――十年前死んだ筈なのに、こんなところまでよく来たなぁ、ってね。少し昔のこと思い出しながら、ぼーっとしてたの」 それだけよ、ほんと。と笑う彼の言葉は、表向きの軽さとは相反して、ハリーの胸にずんと重たくのしかかってきた。 彼が話してくれるまで一切知らなかった、彼の死人のような十年間、そして十年前の話。 勿論全てを語ってくれたわけではないだろうが、そうだとしても彼の生きてきたこの人生は、相当なものだろう。 それを思い出しながら、というなら、ぼーっとしていたとしても頭の中で処理を行うので手一杯で、眠れるはずがない。 「気持ちは分からないでもないけどさ、それは戦いの後でもできるだろ。今は休んで、明日に備えるもんじゃないのか?」 一日で処理が終わるはずないのだ。 言わなければ一晩中考えているであろう彼の事を思い憮然としながら指摘してやれば、レイヴンは虚を突かれた様な顔をする。 「おっさん、ハリーに叱られちゃった」 「…茶化すな。早く寝ろって」 「はいはい、分かってますよ〜」 彼なりの照れ隠しを受け流しながら、ハリーは宿に戻ろうと立ち上がったレイヴンの前に立ちはだかる。 「――――――戻ったら、ユニオンの立て直し手伝ってくれるよな?」 「…戻ったら、ね」 確認するように呟いたハリーの言葉に、レイヴンは言葉少なに返した。 きっと、彼にはその言葉の意味するところ―――必ず生きて戻って欲しい、というメッセージが届いたのだろう。 口元だけで笑うと、ハリーはそのまま道を譲り、宿に戻るレイヴンを見送った。 +反省+ |