[嘘はつかないで] ――――――ひときわ大きな爆音が、森の入り口近くから聞こえてきた。 部下が顔色を変えたのを見止めて、フリングスはすぐに大事無い、目の前の戦闘に集中しろ、と叱咤する。 温和な人物として有名な彼は、戦ともなるとその人柄を変貌させる性質の人間だった。 軍に在籍する以上、このようにならざるを得なかったのか、それとも元からこのような性質だったのか。 今となっては理由は分からない。 (あの方角は―――第三師団だった筈) 敵との直接衝突部にあたるあの場所は、皇帝の信が特に厚いジェイドの担当だった。 タルタロスそのものを盾に、かなり乱暴な策―――しかし軍人的思考としては至極当然であった策だ―――を提案したのを却下され、仕方なしに彼は衝突部分へ自師団を配置することを願い出た。 だが近接戦闘となると、譜術士が多い第三師団は分が悪い。 しかしあくまでそれは『多少』の話であって、近接戦闘を得意とする兵士が極端に少ない訳ではない。 恐らくはジェイドや他の譜術士たちが術を発動させるくらいの時間稼ぎができる筈なので、他部隊に遅れを取るということはないだろう。 フリングスはそう思って、心配だから私も、と進言することをすんでのところで堪えた。 軍人にとって、この申し出ほど屈辱的なものはないからだ。 …いや、気分の問題ではない。 事実、ジェイドの部隊にはそこまで過剰な心配がいらないくらい、頼もしい面々が揃っている。 それが分かっていても気になってしまうのは、果たして何故なのか。 あの派手な爆音とて、単にジェイドが大掛かりな譜術を使っただけのことかもしれないのに、現にフリングスは、 部下を叱咤した身でありながら、森の方角が気になって仕方がない。 一応、連絡を取ってはみたのだが、涼しげな声で『大丈夫ですよ』の一言で済まされ、早々に通信は切られてしまった。 タルタロスに装備されている連絡装置もノイズ一つなかったから、機体にも問題はないのだろう。 声も平静そのものだったから――――本当に順調に戦況が進んでいるのだろう。 しかし、何か胸騒ぎがする。 従軍歴と共に培われてきた何かが、フリングスの中で危険だと言っているのだ。 「第三師団の状況が分かれば―――――…」 「師団長!新手ですッ」 しかし、兵力を割けるだけの余裕は今はない。 敵の増援を知らせる焦った部下の声に努めて平静な声で応じながら、フリングスは考えた。 (確か、フーブラス川付近の部隊は優位に戦闘が進んでいると聞いたな) あそこに配備したのは中隊クラスの部隊だった。 早めに切り上げてくれば、ここの援護にあてることが可能な筈。 「フリングス少将、第一中隊から敵部隊撤退の報告がありました!」 「!ならば、ここの援護を頼むと伝えろ」 丁度良かった。 今まさに援護にと考えていた部隊の手があいたとの報を聞いて内心喜んだが、それは表情には出さずに指示を飛ばす。 だがその内心を知らない兵は、自部隊の優勢な戦況を見て、不思議そうな顔をした。 「は…?しかし、この場は我らに優位に進んで――――」 「この場の話ではない!」 短く言うと、フリングスは何名かの小隊長に声をかけて、前線を目指し出発した。 道中に見かけた戦闘はいずれも撤退のタイミングをうかがっているといった様子で、これは自分の予感が外れたかと思ったが、いざ衝突部に到着してみると、ひときわ激しい戦闘が続いているのが見え、フリングスは目を丸くした。 収束の方向に向かっていると思っていたのに、収束どころか一層の広がりさえ見せているではないか。 その上、なにやら地面が異様な焦げ方をしている。 譜術によるものではないから、マルクト軍の攻撃ではない。 こげた場所が妙に不規則で、範囲があまりにも狭すぎる。その上直線的。 第五音素の譜術は、いずれも広範囲大威力のものが多いのだが、この焦げ跡は、真っ黒で土すら焦がしているようだから大威力なのは間違いないだろうが――――広範囲ではないのだ。 この妙な攻撃のせいだろう、そこかしこに無残にも餌食となったマルクト兵が多数倒れていた。 そしてその先には、攻撃を喰らってしまったのか、多少軍服を焦がしている様子のジェイドがいて、フリングスは思わず彼へと声をかける。 「―――――大佐!」 「!」 彼が驚いたのは、一瞬だけだった。 フリングスは、何事かと怪訝な顔をしたが、その理由をすぐに悟って剣を抜いた。 「下がってください、フリングス少将」 「しかし、あれは―――」 「いいから!」 言いかけたフリングスの声を、珍しく荒々しい声で掻き消すと、ジェイドはフリングスをも伴って横に避けた。 対していたのはたった二人か三人程度の兵士だったのに、何故。 そう思った瞬間、その兵達は背中に積んでいた何かをこちらに向けてきて、それが一気に迫ってきた。 「―――"スプラッシュ"!」 迫ってきた何かに対し、咄嗟にジェイドが第四音素を収束して水の柱を発現させる。 それによって半ば強制的に動きを停止させたものは、"炎"だった。 あの兵達が背負っている何かは、強力な炎を発生させる譜業だったらしい。 「大佐、あれは…ッ」 「ええ、キムラスカもただ胡坐をかいていた訳ではなかったようですよ」 苦笑を浮かべて、ジェイドはフリングスを振り返った。 あの新型の譜業によって、第三師団は予定以上に痛手を喰らったらしく、その笑みにはいつもの余裕がみえない。 このジェイドでさえそうなのだから、数がいれば何とかなるものではないのだ。 対処法は今、何となく見えてきたが―――これをいきなり兵達に言っても、なかなかうまくはいかないだろう。 逡巡の後に決心したフリングスは、剣の柄に手をやった。 「―――それでは。あの者達だけ、私たちで何とかしましょう」 「……そうですね」 「…ところで、大佐」 細身の剣を抜いてから、フリングスはちらりとジェイドを振り返る。 既に詠唱準備に入るべく、彼の周囲には音素が集まり始めていたけれど――――構わずに口を開いた。 「お願いですから、嘘はつかないで下さい。」 真剣な眼差しを向けると、ジェイドは瞳をわずかに伏せて、その眼差しから逃れた。 通信では大丈夫と告げていたのに実際の戦況は芳しくなかった事を、この男は咎めている。 それは分かっていたが、認めてしまうのがはばかられて、早口に「留意しておきましょう」と答えるにとどめた。 まずは眼前の敵をどうにかするべきだと、自分に言い訳をして。 「大佐。少し、宜しいでしょうか」 ――――――フリングスと彼の率いた増援もあって、唯一激しかった衝突部での戦闘も収束した。 そうして自陣へと戻る道すがら、フリングスは珍しく厳しい眼差しを、自らの同僚に向ける。 なんでもない風に横を歩くジェイドは、飄々とした顔つきで彼へと振り向いたが―――――気を抜いていたのだろう、多少動きがぎこちなかった。 その一動作だけで彼の軽くはない負傷を知ったフリングスだったが、しかしそれには気づかないふりをして、足を止める。 だがフリングスが何かを言うより先に、言いたいことは分かっているとばかりに、ジェイドは笑った。 「必要な嘘というものもあるのですよ」 「ジェイド大佐…しかしあの場では、増援を要請すべきでした。貴方は仮にも、陛下の腹心の一人で――――」 言いかけた言葉を、しかしジェイドは緩慢に首を振ることで否定する。 「今回は、たまたまフーブラス川近郊の勢力が弱かった。だからこそ増援が望めたのでしょうが―――いつも何処からか増援が望める、 という確率の低い希望は本来持つべきではありません。」 …私は、そうした甘い考えを持たないよう、第三師団の者に徹底的に教えています。 彼の言うその言葉は、的を得ていた。 しかし、いくら命のやりとりをする軍人とはいえ、その心得はあまりにも酷薄過ぎる。 「それは…しかし、」 言いよどんだ彼を見て、今度はまっすぐにその蒼の目を見据えたジェイドは、正直な言葉を重ねる。 「貴方の言う意見は、結果論だ。時によっては貴方の言葉こそが残酷な嘘となる」 低く静かな声音は、フリングスの内心を冷たい氷で撫でるように通り過ぎていく。 こんな感覚に陥るのは、きっと彼が本心で語っているからなのだろう。 軍の会議で、時に国の今後さえ左右するような重要な決断をすることがあるが―――そんなときに意見を述べるジェイドの声を聞くたび、 似たような感覚に陥っていた。 その冷たい感覚の正体を今更知ったフリングスは、知らずうちにごくりと喉を鳴らす。 ここで言い負かされたら最後、彼はいかなる状況でも、呼吸を永遠に止めるその瞬間まで、援護を望まなくなるだろう。 だからこそ今、フリングスは気圧される訳にはいかなかった。 何とか背筋を伸ばすと、先ほどまでいやというほど見ていた鮮血と同じ色をした瞳が、感情すら滲ませずにフリングスを映している。 常にその静かな眼差しでもって、彼は己すら駒の一つとして計算してものを語るのだ。 それが軍人という生き物の理想的な姿なのだろうと奥底では分かっていたが、わずかに捨てきれない優しさが、それをよしとしなかった。 「それならば、私はそれが嘘にならないよう、必ず援護に駆けつけましょう。」 やや間をおいて答えると、フリングスの言葉が冗談のように聞こえたのだろう、ジェイドは薄く笑った。 それはありえない話だ、と。 その反応も予想していたフリングスは、それならば、と言葉を続ける。 「では、次の機会―――――もし、大佐が窮地に陥るようなことがあったら…私はこの約束を実行します。 もしそれを成しえたなら、もう、戦において嘘をつくのはやめていただけますか?」 元々、実績や確証有る結果を望めないならば物事を信じない男だ。 これがただの口約束だと思っているからこそ、笑い飛ばす。 「――――――いいでしょう。一度でも守られたなら、ね」 彼の思考の変遷が分かっていたフリングスは、この条件を承諾させることに成功した。 後は、この約束が戯言ではないことを証明すればいい。 これだけで、今後彼に無謀なことをさせなくて済むのだと思えば、至極簡単な事だ。 ……何をおいてもこの約束を忘れさせまい。 固く誓ったフリングスは、ようやくいつもの柔和な笑みへと表情を戻した。 +反省+ |