[咎き人形] 拍手に掲載していた突発パラレルです 譜業人形――――…一般に人形、と称されるそれは、歴史的にはかなり古くからある、便利な譜業だった。 人形製造の始まりは、鉱山都市アクゼリュス。 地下深くの坑道より噴き出してくる『瘴気』という有害な空気に生身の人間が触れなくても済むように、と開発されだした。 それが10年もしないうちに、貴族の護衛の為の護衛人形、戦争の為の戦闘人形――――…あらゆる種類の人形が開発、製造されていき、とうとう皇帝の傍仕えの護衛までもが、人形の仕事となっていった。 思考を統制されている事から、裏切りや姦計を謀る心配がない、というのが大きな要因だった。 そうして製造が増えていった折に人形専門の会社が発足した事もあり、主に普及していたのはその会社の作ったいわゆる『量産型』だったのだが、皇帝の傍に置かれたのは、個人が趣味で作ったといわれる、『特別型』。 しかも、その個人製作者の中でも最も有名であった譜業の天才S.W.ネイスの最高傑作――――――『J』という人形であった。 カモフラージュの為に軍服を纏った人形は、それはそれは自然な動作で皇帝と話し、微笑んでいたという記録さえある。 それだけ精巧で緻密な構造をした人形を製造する技術を持っていたその国。 しかし、その国は数年の後、隣国キムラスカの手によって、人形製造技術と共に消え去っていった。 「―――――――…そんな凄い人形なのか?こんなのが。今だって、俺が転んでも動きもしないし」 「ルーク…それは電源が入ってないからだって…」 広い、広い屋敷で。 その屋敷の主、ファブレ公爵の息子ルークは、人気のない人形置き場―――物置部屋で、小さくため息をついていた。 たまたま本で数百年も前の人形の歴史を読んで、興味が沸いて。 そして譜業マニアと名高い使用人兼幼馴染であるガイに、更に話を聞いてみたら、読んでいた本――――隣国の皇帝が所持していたという、まるで人のように笑い、会話をしたという個人製造人形が自邸にあると聞かされて、ここまでやって来たのだが…。 「ホコリまでかぶって。これじゃいつも働いてる奴ら以下って事じゃんか…」 父―――ファブレ公爵は、有能で優れた姿をした人形しか使わないし、買い求めない。 それはこのキムラスカではとても有名なことだった。 顔のつくりをこぎれいにしたからといって、戦闘にばかり長けていたって、彼はどちらかだけでは人形を購入しない。 屋敷の『備品』としての美しさを備え、かつ主人の命令に忠実、戦闘能力も兵士並でなければ、彼は人形を買わないのだ。 だから、この屋敷で働く人形は、いずれも愛らしい顔立ちをしていながら、戦闘能力は王家の騎士団に勝るとも劣らない。 ついでに言うと、威圧感があってはならない、と、公爵の買い求める人形は女性型のものが多かった。 「ルーク、そう言ってくれるな。こいつにだって、何かしら長所があるから、公爵も購入を決意されたんだろうし――――」 譜業マニアのガイにとっては、たとえ埃をかぶっていても、起動しているところを一度しか見たことがなくても、本の記述にある皇帝の傍仕えであった伝説の人形がここにある、という事実が、単純に嬉しかった。 この屋敷に買い取られるまで、さる人形マニアの男の家で、起動すらされずに飾られていたこの『J』は、本によれば、護衛も会話も戦闘も、ものの見事にこなすオールマイティな人形だったらしい。 感情回路はどの人形にも搭載されているものだが、量産型の回路はどれも単純な構造で―――どんなに頑張って学習させても、せいぜい日常の決まりきった応答をするのが限度で、生身の人間と同じような会話機能を得る事はできない。 個人製造のものならば、その個人の趣味によって、情緒面ばかりを特化させて会話を楽しんだり、戦闘能力にばかり特化させて、コロシアム形式で戦闘をさせて楽しんだりする事も可能だ。 しかし、その機能特化にも限度があって、やはり、後にも先にも、『J』程の能力を備えた人形が作られることはなかったのだ。 人間と遜色のない情緒機能を持ち、闘技場に連れて行けば。ものの数分で戦闘能力に長けた人形全てを地に伏せてしまったという、J。 そのJが実際に戦うところを見て見たいというのがガイの正直な思いだったのだが――――初期起動時に既に落胆してしまった公爵が、もう二度とこれを起動させる気がないことは、何となく察していた。 「――――しかし、勿体無いなぁ…実際有事に使ってみたら、いい動きをするかも分からないのに」 「…こんな、数百年前のモデルだっていう、こいつがか?」 寝ぼけてるのか?ガイ。 嘲笑うルークの声がきこえてきたけれど、しかしそれでも、ガイはこれが公爵の落胆するようなマリオネットには思わなかった。 何故だろう―――――…? 不思議だと自分でも思ったが、しかし瞳を閉じ、(誰かの趣味だろうか)鼻の上に乗せられた眼鏡も時を経たせいで曇ってしまい、もはやかつての姿からは考えられないような有様のこの人形を見て、どうにも胸が騒いで仕方がなかった。 +++++++++++++++++++++++ こんなんでどうでしょう。 ええ、ジェイドですよ、Jって。 あと名前を省略してるだけで、サフィールが製作者という…勿論皇帝ってのはピオニー陛下。 で、生身のジェイドは実在してました(笑) [1] ―――――それは、あまりに唐突な出来事だった。 滅多に上ってくるもののない、バチカルの最上層。 その最上層に聳え立つキムラスカの中心たるバチカル城のすぐ傍に建つ、王家に近しいファブレ公爵邸。 警備も厳しく、特に優秀な人形を配備していると有名なこの屋敷に、侵入者があったというのだ。 「――――おい、アッシュ。ルークを見なかったか?!」 滅多にない有事に、ファブレ邸は混乱していた。 しかしそんな中、まずは公爵子息達の安全を確保せねば、とガイは仕事を中断し、すぐに部屋を飛び出していた。 そうして、まずは分かりやすい場所―――自室で読書をしていた双子の兄アッシュの安全を確認、それからすぐ隣の部屋にいる筈のルークの姿がなかったのに狼狽して、思わず彼に尋ねてしまっていた。 どちらかは王家の姫君の婚姻相手として王位に、そしてどちらかはこの公爵家を継ぐという地位にある子どもたち。 ――――彼らはこの屋敷において、特に大事にされている。 どちらかといえば貴族の子息らしい威厳と気位の高さ、たまに見せる下々の者への優しさ、という所が使用人たちにとって人気らしい兄のアッシュに比べて、自由奔放、使用人だろうが貴族だろうがどんな相手にも同じ態度で接する、身分など全く気にしていない、良くも悪くも貴族の子息とは思えないような弟のルークは、頭を垂れる、命令をされることに慣れている使用人たちにとって、戸惑う存在であるらしく―――人によっては敬遠する者もいる。 だが夫妻も兄も、形は様々ではあるが、そんなルークをとても可愛がっていた。 狼狽のあまり知らせてしまった弟の不在を、そんな兄が放っておく訳がなく。 ガイの言葉を聞くなり、弟の場所など分かりきっていたのだろう、アッシュが黙って部屋を飛び出し、ものの数分でルークの居場所を突き止めた。 「アッシュ、お前は早く部屋に戻っておけ。いつ敵が来るか―――」 「おい!!」 ガイの言葉を無視して、アッシュは苛立ちを隠そうともせずに声にする。 すると、兄とは全く対照的な、緊張感のない顔がくるりと振り返って、へらりと笑った。 「――――…あ、アッシュ。それにガイも」 彼が…ルークがいたのは、物置部屋だった。 散々人形を鑑賞した後、「つまんねぇ」と一言だけ口にしたものだから、てっきり人形には飽きたと思っていたのに。 迷わずアッシュの足が物置部屋に向かった時には、正直ガイは驚いた。 「知らなかったのか。……まぁ仕方ないだろうな。こいつは使用人の目を盗んでここに来ていた」 ガイの表情で疑問を察したのだろう。 アッシュは小さくそう補足した。 「毎日見てたら、動き出す気がしたんだ」 「………ルーク」 ガイの熱弁を聞いていた影響なのだろうか、その声音には少し熱が入っていて、アッシュも、原因であろうガイも、少し困惑する。 人形は何かしらエネルギー源がないと動かない。 Jは使えない、という公爵の判断の元、資源の有効利用という名目で、Jからは主たる動力源が取り除かれていた。 その上電源自体が入っていないとなれば、どんなに見ていたって、話しかけていたって、動かないのは当然だろう。 それを説明して理解させたいのは山々だったが、ガイはすぐに現状を思い出すと、座り込んでいたルークを立たせて、敵の侵入を伝えた。 「人形が応戦に出ているから入り口近く以外はまだ安全なんだが―――…とりあえず、部屋に戻っておいてくれ、な?」 「そういう事だ」 だから早くしろ、とばかりに睨みつける兄と心配げに見てくるガイとに挟まれて、仕方ないという風に、ルークは小さく頷き、出口に向かって歩き出す。 だがその瞬間、唐突に扉はけたたましい音を立てて開かれた。 …それも、横にではなく、縦に。 「――――あったぞ!!」 今回の侵入者!? ルークたちは揃って身構えて、そして同時に首をかしげた。 ―――――…あった? 「Jか!」 「「は?!」」 すぐに侵入者の意図するところを理解したガイは声を上げる。 これは、譜業マニアの間でもそうだが、よからぬことをたくらむ人間にとっても、悪用できる可能性のあるものとして、有名だった。 もし入手できれば――――高く売って組織の資金源にするもよし、性能が伝承通りならば、そのまま組織で利用するもよし。 「恐らく公爵の子と使用人と思われる者がいる。面倒になるだろうが、殺すぞ」 後ろにいたらしい数名の人間にそう声をかけて、じりじりと室内へと入ってくる、黒い服装の男達。 「J盗みに入ったんだ、こいつら」 自分よりも背の低い双子の子どもたちを庇いながら、ガイは退路を塞ぎ、じりじりと寄ってくる彼らを睨み、後ずさりする。 物が多いこの部屋では、ガイの剣は使い物にならない。 せめて彼らを中庭までおびき寄せなければ――――…しかし、そうしようにも、この部屋の出入り口はあれ1つで、今は双子も守らなければならない。 最悪、Jが破壊されるか盗まれるかという事になりかねない。 実に勿体無いと思うが―――使用人としての仕事の方が重要だった。 どちらかに怪我のひとつでもさせようものなら、公爵は怒るだろうし、公爵夫人などは倒れかねない。 ―――――こいつもこれで見納めかもしれない…… そう思うと、何だか最後に一目くらいは見ておきたい、と振り返りたい気持ちになった。 「…っ?」 ……と、唐突に軽く風が起こった。 「…………ッッ!」 「………っあ」 「…どうしたんだ、あいつら」 その途端、何故か男達は足を止め、こちらを驚いた様子で見つめている。 何が、起きたんだろう。 訝しがりながら彼らを観察していると、ガイ達を…というより、その後ろを見ているようで。 「―――――あ」 そして更に、背に庇っていたルークが、唐突に後ろに向かって声をあげる。 これだけの反応がある対象が後ろに集中しているという事は……まさか。 ひゅ! 風を切る音がして、『それ』は唐突に目の前を通過する。 青い、何か。 それが何かを認識するより先に、侵入者の男達の悲鳴が先に上がった。 「…………『J』……?」 青い、今は存在しないという国の軍服を纏った人形が、崩れていく部屋の荷物をものともせず、むしろそれで敵の動きを止めるているかのように、立ち回っている。 動力源がない筈の、埃をかぶった人形が、今目の前で、侵入者と戦っていた。 「ぐぁッ…!」 容赦のない攻撃は、休まるところを知らない。 他の人形と変わらぬ無表情で、Jは目の前の敵を次々と倒していった。 この屋敷にあるどの人形よりも速く、その上歴戦の軍人のような、隙のない動作。 ファブレ公爵のいう『使えない』という要素は、Jのそんな動きを見ている限りでは、全く感じられなかった。 そうして、ものの5分も経たないうちに、Jは敵を全て倒してしまった。 得てして人形というのは手加減ができないから、恐らくは侵入者は全て死んでいることだろう。 まだ幼い双子の子供は、初めて遭遇した凄惨な場面に、少し青くなっていた。 「………ん?」 戦闘を終えたJが、おもむろに倒れた男の一人へと歩み寄っていく。 そして、いきなりその腹を軽く蹴った。 「ぅ………ッ!」 ―――――生きて、いる。 そもそも手加減ができないこと、そして屋敷の安全を守る上で殺した方が早いという事から、ファブレ公爵はどの人形も戦闘レベルを最上級に設定している。 大抵死んでしまうが、戦闘レベルを一番上に設定しておけば、必ず相手が死ぬまで戦闘を続けるからだ。 だが、どうしたことだろう―――Jも無論一度起動した時に戦闘レベルを設定し直した筈なのに、殺していないとは。 ガイが何も言えずに目を丸くしていると、唐突にJは振り返った。 (…………赤い、目) 真っ赤な、血のような瞳。 人形なのに、理知的な光を放っているようにも見えるその瞳は、真っ直ぐにこちらを見て――――…そして、一瞬驚いたように丸くなる。 しかしそれは一瞬のことで、すぐに、人形が浮かべるとは思えない、まるで人間のような…いわゆる苦笑らしい笑みを浮かべて見せた。 「……私が起動されなくなったのは、これのせいなんですよ」 低い、だがよく通る声が、困ったようにそう告げる。 伝承に違わぬ自然な動作、自然な笑み。 そして本当に人形らしからぬ自然なしゃべり方で、Jはガイへと話かけたのだ。 その事実に軽く感動を覚えながらも、しかし彼の口にしたこれ、という事実の確認の為、驚きのあまり言葉もしゃべれなくなっている双子を差し置いて、一歩前へと出る。 「これって…お前、戦闘レベルは」 「ええ、お察しの通り、最上級に設定されています」 「殺さない、のか?」 「………いえ、殺せない、というのが正しいでしょう。私は詳細設定が変更されていますから。」 詳細設定を変更するには、電脳だか回路だか、とにかく素人では扱えないような部分を弄らなければならない。 その上、譜業に詳しくない者は、詳細設定があること、変更できることすら知らない場合がある。 そこまで思いいたって、ようやくガイは公爵が「使えない」といった意味が分かった。 「―――だから、こうして埃をかぶることになった、と。そういう事です」 そう言って、本当に人間のように、彼は軽く肩をすくめてみせた。 +++++++++++++++++++++++ [2] Jはその後、ばたばたと慌しい音が聞こえてくるのを察すると、「それでは」と短く言って、元いた場所へと歩いていく。 思わず双子が後ずさって道を空けたが、それにも頓着する様子はなく、ゆっくりと振り返って、目を閉じた。 ――――――すると、少し埃が払われた感があるものの、最初と変わらない、物言わぬ人形の立ち姿に変貌する。 まるで、今まで動き回って話をしていたのが嘘のように。 その姿に、何故だかガイは、悲しくなった。 「―――――動いた、だと?」 ガイは黙っているつもりだったのだが、驚きのあまり、ルークは公爵の顔を見るなり事の次第を説明してしまっていた。 途端にその眉はしかめられて、その次の瞬間、ため息と共に元へと戻る。 「…ルーク。それは夢か何かを見たのだろう。アレには動力源がない…動く筈がないのだ」 「でも、見たんだ!」 ちら、とこちらを…ガイとアッシュの方を見やったが、しかし二人が口を挟む様子はない。 ルークは落胆しつつも食い下がった。 「……ルーク、部屋に戻ろう。侵入者騒ぎで疲れただろう?」 「ガイ…っ」 「戻るぞ」 言い募ろうとするよりも早く、アッシュが強引にルークの腕を取って歩き出した。 そうして取り残されてしまったガイが追いかけようと足を踏み出した時、低い公爵の声が背中にかかる。 「―――――あれの言う事は、本当なのか」 実のところ、公爵としても、Jという人形は未知なるものだった。 目に見えて分かる動力源は取り除いたが、曲がりなりにも、かの天才の作である――――動力源がたった一つとは思えない。 バチカルの人形技師は勿論のこと、シェリダンの技師にも見てもらったが、Jはとにかく造りが精巧過ぎて、手入れもままらなないのだ。 動力源どころか、感情回路がどうなっているのか、運動回路の構造の詳細すら解明できてはいない。 一番技師達の関心を誘っているのが、まるで人間のようだったという、複雑な感情回路の構造なのだが―――― それはともかくとして、ルークの言っている事があながち嘘にも思えなくて、公爵はガイに確認しようとしたのだ。 ガイも、正直に答えるべきかどうか、迷った。 元より「使えない」と判断され、物置に捨て置かれていた人形だ。 もし動力源を除いても動いているという事が判明してしまえば、いくら伝承にある有名な人形とて、破壊処分なんて事になりかねない。 「………いえ」 「…………そうか。」 結局、ガイは嘘をつくことにした。 一瞬公爵の瞳が剣呑に光ったような気がしたが、それは鉄壁の笑みで流して、ガイはそそくさと部屋を後にする。 元より『キムラスカの人間』相手には嘘を塗り重ねている――――今更嘘のひとつを加えたところで、大したことはない。 そんな事を考えながら扉を閉め、ガイは一人、暗い笑みを浮かべた。 ガイとアッシュが黙っていたのが気に入らなかったのだろう、その後のルークは少し拗ねてしまって、対応に困ってしまった。 しかしJの処遇にも関わる問題だったのだ、と諭してやると、「そうか」と素直に認め、すぐに機嫌は戻った。 そして、残る案件はひとつ。 ――――――皆が寝静まった頃を見計らって部屋を抜け出したガイは、月を見上げながら、昼間の出来事を想起していた。 (なんで、あの時驚いたんだろうなぁ) Jのあの反応が、どうにも引っかかっていた。 非常電源が入って動作し始めた事と、何か別の動力源で動いた事はすぐに理解できたので特に疑問でもなかったのだが、あの表情だけが、どうにも不可解で仕方がない。 初期起動時は確かにガイは見たことがなかったが、何故あそこまで驚かれなければならなかったのだろう。 また起動するとは思えなかったが、ルークの言葉に感化されてしまったのだろうか…何となくまた動き出すような気がして、ガイの足は自然に物置部屋へと向いていた。 「………って、都合よく動き出す筈がない、か」 案の定というか当然というか、Jは昼間と同じ場所で、同じ表情で佇んでいた。 白い顔はぴくりとも動かず、動いた事で埃は払われ減っているものの、やはり長年放置されていたこともあり、つもり積もった埃は全ては払いきれていない。 「―――――今はない国の軍服…ね」 Jの青い衣装を見て、ふとガイは目を細める。 その昔、カイツールより北を中心として栄えていたという、人形を生み出した国。 最後の皇帝の傍らで警護をしていたのは、このJだったと本にはある。 その皇帝は侵略の際に兵の手にかかり、今はその血筋は傍系以外に残っていないといわれていた。 残った皇族の傍系は、勢力が分散した事で派生した小国の主となり、今ではキムラスカに尻尾を振っている。 そんな者達には興味はないが、何故滅ぼされたのか分からない位、当時の皇帝は評判が良かったらしい。 絵画のひとつさえ残っていないその皇帝がどんな人物だったのか――――Jという人形自体にも興味はあったが、皇帝にも少しばかり興味があった。 「…気になりますか?」 「ぉわっ…!?」 まるで心の中を読まれたかのようなタイミングで声がかかって、ガイは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 驚いて目の前を凝視すると、埃を払いながら、Jがこちらを見つめている。 ―――――本当に起動した まさかまた動き出すとは思ってもいなかったガイは、目を丸くする。 しかしJの方はそんな事には頓着していないのだろう、埃を払いきった事で現れた、青の軍服の襟をつかんで笑った。 「今はない国家――――『マルクト帝国』に、興味があるのですか?」 「!……聞いてたのか?」 マルクト帝国――――その呼称を呼ぶことさえ禁じられたこのキムラスカで、その名を聞くのは随分と久しぶりのことだった。 「いえ、違いますね。興味があるというより………まるで懐かしんでいるようだ」 とうとう、ガイは言葉を失って、何と答えたら良いのか分からなくなった。 一体、この人形はどれだけ鋭いのだろう――――――…あまりに的確な指摘に動揺してしまい、さすがの彼も取り繕うことができなかった。 「―――――…J…おまえ、」 「Jは通り名ですよ、ガイ」 どう答えたら良いのかわからないまま名を呼ぶと、人形は即座にそれを否定する。 この人形は、Jという以外に名を残していない―――というより、製造時につけられた銘は、確かに『J』とあったのに。 「マルクトでは、私は『ジェイド』と呼ばれていました」 そんな事を考えながら続きを待っていると、逡巡したのだろうか、少しあごに手を当てたかと思うと、人形は自らをそう名乗った。 「…じゃあ、ジェイド」 「はい」 「………なんで、俺がマルクトの人間だと分かった?」 J―――否、ジェイドの物言いは、まるで確信めいた問いだった。 あまりに核心を突いてくる言葉の数々は、偶然あてずっぽうに言ったものとは思えない。 「―――――以前、扉が開け放されていた時、中庭で子どもの稽古の相手をしている貴方を見かけた事がありました。その時の剣術が、ホドに伝わるシグムント流によく似ていたものですから」 「………」 「それから、貴方は私がマルクトにいた頃交流のあった、ガルディオス伯爵に面差しが少し似ています。間違いでなければ――――…貴方はその昔ホド島を治めていたガルディオス一族の生き残りではないだろうかと、そう思いまして」 だから、あの時目を丸くしたのだろう。 急に疑問が解明されて、ガイはなんとはなしにすっきりした気がした。 そして、ジェイドのほとんど確信らしい問いにも、答えてやることにする。 「…………全部、正解だ。俺はガイラルディア・ガラン・ガルディオス―――――ガルディオス家の最後の生き残りさ」 ここまで読まれているのだ。 彼になら本名を明かしたとて問題はあるまい。 元より、ジェイドは公爵には使えないとレッテルを貼られ、捨て置かれている人形。 彼を経由してガイの身分が明らかになってしまうという事はないだろう。 そう思えば、何だか気が楽になれた。 「…最後、ですか」 「ああ。十年程前までは、姉上や母上も生きていたが…ある街に定住していたら、ひょんな事から元マルクトの人間だとバレちまってね、二人とも殺された――――逃げて、生き残れたのは、俺だけだ」 人形とはいえ、他人にこんなことを語ったのは、初めてのことだった。 ジェイドがマルクトを知っているからだろうか―――いとも簡単に、マルクトの人間であったこと、ガルディオス伯爵家の者であった事を語れた。 「何百年も前に滅んだとはいえ、俺の一族の故郷はマルクトだ。だからだろうな……人間みたいに話ができるっていうアンタから、マルクトの話でも聞いてみたかったのかもしれない」 「……………」 伝承にある譜業人形だからだとか、人間のように精巧だったという人形だからだとか、そういったものは言い訳に過ぎなかったのだ、と、ジェイドとの会話の中で、ガイは唐突に理解した。 ただ、ジェイドからマルクトの話を聞いてみたかった―――――ただ、それだけだったのだ。 ジェイドにも何かが伝わったのだろうか、彼は淡く笑みを浮かべて、小さく「そうですか」と返すだけで、それ以上何かを言おうとはしなかった。 +反省+ |